第1章 第2話:信念の剣士と最初の指示
絶体絶命のデータ解析
レッドコボルトのリーダーが倒れ、残りの群れが恐怖で逃走した後、集落の門前には静寂が戻った。
カイトは、胸をなでおろすと同時に、全身に冷たい汗が噴き出るのを感じた。レベル1の体には、この緊張だけで限界だった。もし戦闘に巻き込まれていたら、彼の命は間違いなく終わっていただろう。
彼を救ったのは、肉体的な力ではない。極限状態の中で瞬時に引き出された、**「知識」**という名のデータだった。
荒い息を整える少女――アリアは、ロングソードの切っ先をカイトに向けたまま、その鋭い眼差しを緩めない。
「あなたは……一体誰? 見たこともない装備。それに、なんで私の動きを読んで、あの魔物の弱点まで知っていたの?」
アリアの問いかけには、混乱と、そして彼女自身も理解できない**「真実」**への強い探求心が込められていた。
カイトは、ステータスを確認する。MPは微動だにしていない。剣を抜くことさえなく、彼はこの戦闘の最大の功労者となった。
「俺は、君の戦い方を**『読んだ』わけじゃない。君が戦っていた相手の『仕様』**を、完璧に把握していただけだ」
カイトは、レベル1の身体で一歩踏み出し、あえて冷徹に言い放った。感情的な応答は無意味だ。彼の唯一の武器である**「知識の絶対性」**を、この少女に理解させる必要があった。
「あのレッドコボルトは、火炎を避ける君の行動パターンを予測していた。火炎を避けようと右に跳んだ時、君は無意識に体の中心線を崩し、防御力の薄い左側のプレートが一時的に開いた。奴らは、その一瞬の隙を突く戦術を取る。だが、奴らの**『仕様』では、興奮時に熱を逃がすため、左側頭部の装甲が薄くなる。それは絶対に変わらないプログラム**だ。君が左に体勢を崩したことで、結果的に奴らの弱点を露呈させた」
集落の住人たちは、カイトの異質な言葉に戸惑うばかりだった。彼らにとって、魔物との戦闘は「運と経験」で勝ち取る「現実」であり、カイトが口にした「仕様」や「プログラム」など、理解の範疇を超えていた。
しかし、アリアは違った。彼女は剣士としての直感で、カイトの言葉が真実を突いていることを理解した。自分の命を危険に晒した一瞬の行動が、誰かの**「データ」**によって予見され、制御されていた。その事実に、アリアの瞳は揺れた。
「……私の名はアリア。この集落の守り手よ。あなたの名は?」
「カイトだ」
「カイト。あなたが言う『データ』なんて、私には理解できない。けれど、最近の世界の違和感――異常な魔物の出現、世界の歪み――それを、あなたは**『バグ』**と表現したわね」
知識は最高の武器である
カイトは頷き、世界の真実を淡々と語った。
「そうだ。この世界は、かつて俺がいた世界でサービスが終了したゲーム、**『クロノス・オンライン』だ。しかも、未実装の『最終拡張パック』の内容までが具現化している。この世界は今、不安定に『現実化』**する過程で、構造的なバグを発生させている。このままでは、世界そのものが崩壊する」
アリアは目を閉じた。カイトの話はあまりに突飛だが、彼女が日頃感じていた世界の**『崩壊の予感』**と一致していた。
「世界の崩壊を防ぐ方法、安全なルート、そして君たちがこれから直面する**『五つの試練の塔』**の攻略法まで、俺はすべて知っている」
カイトは、あえて自分のレベル1という弱さを隠さなかった。彼は、この少女に自分の**「知識」**の価値を絶対的に理解させる必要があった。
「俺は、この世界で戦闘力は最弱だ。だが、知識は最強だ。この世界の設計図を知っている。この世界の未来を書き換えるための、唯一の**『修正パッチ』**だ」
カイトはアリアの目をまっすぐ見据えた。
「俺の目的は、この世界の崩壊を食い止め、俺たちがいた世界へ帰る手がかりを見つけることだ。そのためには、君の剣の力と、この世界の住人としての意志が必要だ」
アリアは、長い沈黙の後、深く息を吐いた。
「もし、私たちが誰かに作られた**『データ』**だとしても、私たちの意志は本物よ。痛みも、怒りも、守りたいという気持ちも。……あなたの知識が、本当にこの混沌を終わらせるなら、力を貸すわ」
彼女は、剣をカイトではなく地面へと降ろした。
「ただし、忘れないで。私はあなたの道具ではない。私は、この世界を守る剣士として、あなたの知識が本当に世界を救うのか、最後まで見届ける」
「結構だ。俺は君の力と、その意志が必要だ」
こうして、**「知識」を武器とするレベル1の転移者カイトと、「信念」**を剣とするこの世界の剣士アリアの、奇妙な主従関係にも似た旅が始まった。
最初の任務と完璧な予測
カイトは、すぐにアリアの協力を得て、集落の長から依頼されていた**「聖なる泉の薬草」の採集に向かうことにした。これは、カイトにとって、自分の「知識」が「バグ」によってどこまで歪められているかを検証する、重要なテスト**だった。
アリア:「その薬草は、危険なエリアにあるわ。泉の周りにはフォレストスピリットがいて、生半可な力じゃ近づけない」
カイト:「知っている。フォレストスピリットは物理攻撃が効きにくいが、光属性の魔力に極端に弱い。アリア、君の剣に光属性の魔力を込めることはできるか?」
アリア:「ええ、それはもちろん。けれど、私は炎や風の魔法剣術は得意だが、光属性は苦手だわ」
カイト:「問題ない。俺のジョブは**『ルーンブレイド』だ。本来はレベル70以上で習得するスキルだが、俺の『知識』が、このレベル1の剣にエンチャント**を施す方法を知っている」
カイトは腰の**《光のルーン剣:試作型》を抜き、アリアのロングソードに触れた。集中すべきは、筋力ではなく知力**。膨大なデータの中から、**「Lv. 1の最低限の魔力で光属性エンチャントを付与する手順」**を検索し、実行する。
《スキル:属性付与(光)》
アリアのロングソードが、青いルーンの光を帯び、チカチカと不規則なノイズを立てながら、不安定ながらも光属性を維持した。
「成功だ。ゲームの仕様通りなら、三体のスピリットは、エンチャントされた一撃で消滅する」
二人は泉に到着し、三体のフォレストスピリットに遭遇した。アリアは、カイトの指示通り、光を纏った剣を一閃する。
キィイイン!
予測通り、スピリットは光の力に触れると同時に、悲鳴を上げて消滅した。
アリアは驚きを隠せない。「本当に……あなたの言う通りだわ。まるで、この世界があなたの手のひらの上にあるみたい」
カイト:「そうだ。そして、この手のひらの上の世界は、今、熱を出して震えている。俺たちは効率的に動く。無駄な戦闘は避ける。俺がこの世界の設計図だ。君は、その設計図通りに動く最高の戦力になれ」
剣士の直感と転移者の孤独
採集を終え、集落へ戻る道すがら、アリアはカイトの横顔をじっと見つめていた。
「あなたは……いつもそうなのかしら? 知識とデータだけを頼りに生きているの?」
カイトは少しの沈黙の後、答えた。「レベル1の俺に、感情や直感に頼る余裕はない。俺は全てをデータとして処理し、生存確率が最も高い選択肢を選ぶ」
「そう。でも、あなたはコボルトとの戦いの時、私を助けるために**『危険を冒して声を上げた』わ。それは、生存確率が低い行動よ。あなたの知識は、その時、あなたが助けるべきは私ではなく、安全に逃げることだと『予測しなかった』**の?」
アリアの質問は、カイトの**「知識絶対」**の原則を揺さぶるものだった。
(なぜ、俺はあの時、アリアを助けた? Lv. 1の俺にとって、あれは最大の危険行動だったはずだ……)
カイトの頭の中で、論理と感情が激しくせめぎ合う。彼は、自分が**「ゲームのプレイヤー」だった頃、目の前のNPCが窮地に陥るのを見過ごせなかった「過去の記憶」が、無意識に「生存の論理」**を上書きしたことを悟った。
「……それは、世界の**『バグ』だ。俺の中の、『データ処理の異常』**だ」カイトは、感情を否定するようにそう言い放った。
アリアは、カイトの言葉を信じなかった。彼女は、カイトの冷たい知識の裏に、この世界に戸惑い、全てを背負おうとする人間らしさが隠されていると直感した。
「データ処理の異常、ね。私はそれを、『意志』と呼ぶわ。あなたは一人じゃない。あなたの知識を、私と共有しなさい。あなたは、この世界の未来を知る『予言者』かもしれないけれど、あなたを支える剣は、私よ」
アリアの言葉は、カイトの孤独な心に、この世界で初めて向けられた**「現実」**の感触を与えた。
カイトは、初めてアリアの顔をまっすぐ見た。そして、小さく頷いた。
「わかった。俺の知識が、この世界の真実を教えてくれるだろう。次の目的地は、『賢者の塔の残骸』だ。そこには、俺と同じように世界のバグに苦しむ者がいるはずだ。俺たちの知識と力が、そこから始まる」
カイトは、アリアという**「意志」**の力を得て、次の目的地へと歩みを進めるのだった。




