第1章 第1話:プロローグ・知識を持つ者の降臨
異世界、起動
一瞬の眩い光と、胃の底がひっくり返るような浮遊感。
カイトが次に感じたのは、乾いた土と草木の匂いだった。目を開けると、見慣れた自室の天井は、分厚い原生林の樹冠に変わっていた。頭上の木々が太陽の光を遮り、周囲は薄暗い。
「……なんだ、これ」
反射的に立ち上がろうとする。体には見覚えのない、しかし驚くほど馴染み深い革鎧が装着されていた。腰のベルトにはポーションポーチ。そして腰には、古びた魔導剣が納められた鞘があった。全身の装備は、まるで誰かが新品の初心者用装備を揃えてくれたかのように簡素だった。
そして、空間の何もない場所に、半透明の光のウィンドウが浮かび上がった。
名前 : KITE
ジョブ: ルーンブレイド(未成熟)
レベル: 1
HP/MP : 100/50
能力値 : 筋力E /知力B +/器用D -
称号 :知識の継承者
「レベル1……だと?」
カイトは呆然とした。サービス終了直前まで廃人レベルでやり込んでいた彼のキャラクターは、最高レベルに達していたはずだ。しかし、目の前のステータスは、まさしくゲームを開始したばかりの初期設定を示している。
これは夢ではない。そして、この世界がMMORPG——**『クロノス・オンライン』の世界であることも間違いない。だが、何かが決定的に違う。彼は「最高レベルの知識」を保持したまま、「レベル1の肉体」**で転移してしまったのだ。
「最悪だ。これじゃ、初期装備の雑魚にも勝てない……」
唯一の救いは、ジョブ名の下に小さく表示された**《知識の継承者》という称号だった。この称号が意味する通り、カイトの脳裏には、『クロノス・オンライン』**の全ての情報が完璧に展開されていた。
未実装の**「最終拡張パック:五界の試練」**の内容までが具現化しているこの世界で、その知識こそが、カイトの唯一の命綱だった。
知識という名の設計図
カイトは、周囲の状況を解析する。場所は**初期エリア「始まりの森」**の奥深く。本来ならLv. 5程度のモンスターが出現するはずの安全地帯だ。しかし、周囲の空気は妙に重く、流れる魔力の質が不安定だった。
(この場所の魔力値の変動は、通常の自然現象ではない。世界のデータが**「現実」として固定化される際に生じた構造的なバグ**だ)
カイトの頭の中で、膨大なマップデータと、その裏側の設計コードがフラッシュする。目の前の森の光景は現実だが、カイトにはその下にある**「プログラムのレイヤー」**が見えているかのようだった。
彼の知識こそが、この世界における**「未来のシナリオ」、「全てのダンジョンの設計図」、そして「世界の終わりを回避するための修正データ」**となる。
「生き残るためには、この知識を使うしかない。レベルはゼロに等しいが、俺は世界の設計者だ。この世界を、正しい方向に**『パッチ』**してやる」
カイトは覚悟を決め、装備の確認を行った。腰の魔導剣は、Lv. 1のルーキーが持つ**《光のルーン剣:試作型》。その弱すぎる能力にため息が出るが、唯一の希望は、この剣がジョブ名「ルーンブレイド」**の名を冠する通り、魔力を流し込むことで属性エンチャントが可能という点だ。
カイトは最も危険度が低いとされる集落を目指し、慎重に森を進んだ。彼の行動原理は1つ。知識に頼り、無駄なリスクを避けること。
森を進むカイトは、すぐに**「世界のバグ」**の兆候に遭遇する。
本来Lv. 5程度のフォレストスライムが出現するはずの場所で、突如、**火炎を纏った「レッドコボルト」**の群れが出現したのだ。レッドコボルトは、Lv. 10以上の、初期エリアのモンスターではない。
(バグのせいで、モンスターの出現テーブルが書き換わっている!これはまずい。Lv. 1の俺では、正面から遭遇すれば一瞬でHPがゼロになる!)
カイトは即座に、自分の知識の深層を検索した。
「レッドコボルト:火炎耐性・物理防御力高。攻撃パターンが予測可能なため、『視線外からの奇襲』で一撃必殺が有効。弱点は左側頭部」
カイトは、自分の貧弱な**《ステルス:Lv. 1》スキルを最大限に活用し、茂みに身を隠した。彼の「知力A」が、コボルト群の移動ルートと、彼らが「データが崩壊したことで発生した不自然な赤い草木」**を嫌うという特性を瞬時に解析した。
(この草木は、コボルトにとって**「バグデータ」**として認識され、接近を避けている。これを利用して、奴らを誘導する!)
カイトは、コボルトのリーダーに気づかれないよう、小さな石を投げ、わずかに進行ルートを変えさせた。コボルトたちは、彼の誘導通り、赤い草木を避けるために迂回する。カイトは、その一瞬の隙を突き、集落のある方向へと逃げ出した。
彼は、己の肉体的な弱さを痛感し、知識こそが生存の唯一の道だと確信した。
カイトが集落の門前にたどり着いたとき、目にしたのは激しい戦闘の光景だった。
集落の住人たちは、先ほどカイトが遭遇したレッドコボルトの群れに襲われていた。そして、その群れの前に、ロングソードを構えた一人の少女が立ちはだかっていた。
少女は、アリア。その剣技は力強いが、疲弊の色が濃い。彼女の目は、恐怖ではなく**「守りたい」**という強い意志に燃えていた。NPCのような定型的な反応ではない。彼女は、生きている人間だ。
コボルトのリーダーが火炎を纏った棍棒を振り上げる。アリアは本能的に、火炎を避けるため右側へ跳んだ。
(駄目だ! 右へ避けるな! それじゃ、このまま押し切られる!)
ここで、カイトの**「知識」**が介入する。彼はレベル1で戦闘には参加できない。唯一できることは、知識の提供だけだ。
「そこの剣士! 左だ! 左へ跳べ! 奴らは右側への攻撃に慣れている! 左の隙を突け!」
アリアは、突然の異質な声に驚き、一瞬の戸惑いを見せた。しかし、切羽詰まった状況下で、彼女は**「論理的ではあるが、非常識な」**カイトの指示を、直感的に信じた。
アリアは、無理やり体勢を左へと崩す。その結果、火炎を完全に避けきることはできなかったが、コボルトのリーダーは装甲の薄い左側頭部を晒した。
アリアは、その瞬間に渾身の力を込めた一撃を、迷いなく弱点へと突き込んだ。
ゴシュッ!
火花が散り、コボルトのリーダーは断末魔と共に崩れ落ちる。残りのコボルトは恐怖に怯え、すぐさま逃走した。
戦闘が終わった後、アリアは荒い息を整え、ロングソードを地面に突き立てた。そして、レベル1の革鎧を纏った、冷静な目の青年――カイトを、鋭い眼差しで見据えた。
その目には、驚愕と警戒、そして僅かな期待の色が混じり合っていた。




