第9話 竜王国の証明
議場は、海鳴りのようなざわめきに満ちていた。
百を超える議員たちが、竜の姿を前に言葉を失い、やがて一斉に叫び始めた。
「怪物を連れ込むとは何事だ!」
「危険だ! 議場を守れ!」
「いや、見ろ……あの女は竜を従えている……!」
恐怖と好奇心と嫉妬が渦を巻き、場は混乱寸前。
中央に立つ私は、深く息を吸った。震えそうになる心臓を、竜の鼓動に合わせて落ち着ける。背後でアシュタルが静かに鼻を鳴らし、低い唸り声を響かせる。それだけで、ざわめきが一瞬止んだ。
「――ご静粛に」
宰相シグルドの声が響いた。
彼の一言で、波のような喧騒がすっと引く。
蒼の外套を翻し、議場の中央に進み出た宰相は冷ややかに告げた。
「ここに立つは竜王国の女王、アメリア・リーヴス。その存在を目にし、なお彼女を“怪物使い”と呼ぶのか。……ならば、証拠を見せてもらおうではないか」
◇ ◇ ◇
沈黙の中、立ち上がったのは第一皇子カイゼルだった。
整った顔に笑みを浮かべ、しかし瞳は氷のように冷たい。
「証拠? いいだろう」
彼はわざとらしく両腕を広げた。
「竜は暴力と炎でしか語らぬ。ならば証明してみせろ、この場で――竜が人を傷つけぬことを!」
議場にざわめきが広がる。
無茶な要求。しかし、これを退けば「やはり怪物だ」と烙印を押されるだろう。
視線が私に集中する。胸の奥で小さな炎が燃えた。七年前、何もできずに捨てられた私とは違う。
「いいわ」
私は即答した。
◇ ◇ ◇
中央に歩み出ると、騎士たちがざわめきながら退いた。
アシュタルがゆっくりと前へ出る。漆黒の鱗が光を反射し、巨大な影が壁を覆った。
議員たちが息を呑み、何人かは腰を抜かした。
私は掌を竜の額に置き、囁いた。
「アシュタル。……お願い」
竜は瞼を伏せ、喉を鳴らす。
その仕草は猫が甘えるように穏やかで、議場を凍り付かせた。
「見ろ! 牙も炎もない……まるで家畜のように馴らしているだけだ!」
カイゼルが叫ぶ。だが声は焦りを帯びていた。
「家畜ですって?」
私は微笑んだ。
「いいえ。これは“信頼”よ」
そう言って私は身を翻し、アシュタルの顎の下に潜り込んだ。
議場から悲鳴が上がる。竜の喉元――最も危険で無防備な場所に人間が入るなど、自殺行為に等しい。
けれどアシュタルはただ静かに目を閉じ、私の肩に鼻先を寄せた。
「――これが竜王国の証明。彼らは怪物ではない。友であり、隣人よ」
◇ ◇ ◇
議場に沈黙が落ちた。
誰もが言葉を失い、ただその光景を見つめている。
そこに割って入ったのは、ひとりの少年だった。
下級議員の子息らしく、まだ十にも満たない。
護衛を振り切って駆け寄り、震える声で叫んだ。
「……竜に、触れてみたい!」
議場が再びざわつく。
私は少年を見て、そしてアシュタルを見た。竜は私に目を向け、小さく鼻を鳴らした。
「行きなさい」
私は少年の背を押した。
小さな手が竜の鱗に触れた瞬間――
アシュタルはまるで宝物を扱うように首を傾け、その掌を受け入れた。
少年の顔に涙が浮かんだ。
「……あったかい」
議場に息を呑む音が広がる。
冷たく恐ろしいと思っていた竜が、ただ温かい。
その一言が、何百もの反論より強い力を持っていた。
◇ ◇ ◇
私は顔を上げた。
「竜は心を持つ。炎でなく、信頼で応える。これが竜王国の証明よ」
沈黙を破ったのは、宰相シグルドだった。
「――記録せよ。竜王国の女王が、竜と共に帝都の議場で“証明”を果たしたと」
その瞬間、歴史の歯車が確かに回った。
カイゼルの笑みは引きつり、レオンは隣で力強く頷いた。
七年前に捨てられた娘は、いまや竜と人を繋ぐ証人となったのだ。
(つづく)