第8話 帝都の門を叩く翼
帝都アルテミアは、遠目に見ても巨大な怪物のようだった。
城壁は白銀に輝き、塔は天に突き刺さるほど高い。港には無数の帆船が並び、その上空を、竜たちの影が覆った。
――ざわめきが、波の音を呑み込んだ。
「竜だ……!」
「竜が船と一緒に……!」
「いや、あれを率いているのは……人間……?」
市民の叫びは恐怖と驚愕に入り混じり、港全体が渦のように揺れた。
私はアシュタルの背から見下ろしながら、胸を張った。
七年前、ただの罪人として島へ追放された令嬢。
いまは竜の女王として、帝都の門を叩いている。
◇ ◇ ◇
帝都の港には、すでに迎えの兵と役人が待ち構えていた。
黄金の飾りを施した馬車、その前に立つのは帝国宰相シグルド。蒼の外套を翻し、冷徹な眼差しで私を見上げていた。
「……なるほど。大陸に“前例”を刻む光景だな」
彼は静かに呟き、片手を掲げた。
その声に従って、兵たちは恐る恐る頭を下げる。竜たちの威圧の前で、それが精一杯の敬礼だった。
「竜王国の女王殿。ようこそ帝都へ」
その言葉に、周囲のざわめきがさらに広がった。
――“女王”。
宰相の口から発せられたその称号が、人々の認識を一瞬で変える。
◇ ◇ ◇
馬車の扉が開いた。
中から現れたのは、濃紺の軍装に身を包んだ青年。漆黒の髪に金の飾緒。
帝国第一皇子、カイゼル・アルテミア。
レオンの兄であり、次期皇帝の最有力候補だった。
「久しいな、弟よ」
「兄上……」
二人の視線がぶつかる。
空気は一瞬にして張り詰めた。
レオンは剣に手を伸ばしかけ、しかし踏みとどまった。
兄の笑みは優雅だが、瞳は冷え切っていた。
「竜を連れて戻るとは、ずいぶん派手な帰還だ。……そして、彼女が“竜王国の女王”か」
その視線が、私を射抜く。
全身が冷たくなる。だが、逃げるわけにはいかなかった。
「ええ。私はアメリア・リーヴス。竜王国の監督官にして女王」
はっきりと名乗りを上げる。
カイゼルの笑みがわずかに深まった。
「面白い。……だが、帝都の大議会で竜が歓迎されると思うなよ。半数はお前を“怪物使い”と呼び、排斥するだろう」
「なら、彼らの目の前で証明してみせるわ。竜は怪物じゃない、と」
静寂を切り裂くように、アシュタルが低く咆哮した。
帝都の空が震え、人々の心に恐怖と畏敬が同時に刻み込まれる。
◇ ◇ ◇
その夜、帝都の賓客用邸宅に案内された私とレオンは、窓から広がる灯火の海を見下ろしていた。
街全体がざわめいている。竜がやって来た、女王を名乗る令嬢が現れた、と。
「……兄上は必ず仕掛けてくる」
レオンが低く言う。
「竜を“怪物”と断じることで、自らの正統性を強めるはずだ。お前が女王として立つなら、その座を引きずり降ろそうとする」
「なら、私はその都度、証明するだけよ」
「証明……?」
「竜が生きていること。心を持っていること。――そして、彼らが人と共に未来を築けることを」
その言葉に、レオンは微笑んだ。
「お前なら、できる」
胸が熱くなる。
七年前には誰一人としてくれなかった言葉。
“信じる”というたった一つの贈り物が、私を支えていた。
◇ ◇ ◇
――翌朝。
帝都の大議会の扉が開かれ、私はついにその場へ足を踏み入れた。
円形の議場、百を超える貴族と大臣の視線が一斉に注がれる。
「女王」「怪物」「竜使い」……ざわめきが波のように押し寄せる。
その中央で、私はまっすぐに歩み出た。
背後にはアシュタル。黒曜石のような鱗が、議場の光を反射して煌めく。
恐怖と敵意、好奇と期待。
あらゆる感情を飲み込みながら、私は宣言した。
「――竜王国の女王として、ここに立つ。人と竜の未来を繋ぐために」
議場に衝撃が走った。
帝都の歴史が、確かに塗り替わった瞬間だった。
(つづく)