第5話 沈黙を破る艦列
海は静かに見えて、実際には荒れていた。
祖国の艦列が近づくにつれ、波は不自然なまでに高く盛り上がり、竜たちの低い唸りがその下で共鳴する。
アシュタルの背に跨がった私は、握った手綱が汗で滑るのを感じていた。けれど目は逸らさない。あの日、処刑台から島へ落とされたときと同じだ。恐怖を噛み殺し、ただ正面を見据えるしかなかった。
「本当にやるんだな」
隣で飛ぶレオンの声が風に混じる。剣ではなく、ただ真っ直ぐな視線で私を支えていた。
「ええ。これが……“最初の交渉”だから」
帆を広げる音が近づく。甲板に並ぶ鎧の列。銀に輝く兜の中に、見覚えのある顔を探した。
――あった。
リーヴス伯爵家の家紋をつけた鎧。父の執事長が、まるで憑かれたような眼差しでこちらを睨み上げている。
その隣には母の影。そして、妹リリアナ。
彼女はピンクのドレスを着て、笑っていた。作り物の笑顔。けれど、それはかつて私をすべて奪ったときの顔だった。
胸の奥で何かが燃える。七年分の怒りと、七年分の孤独が。
でも、口にする言葉は冷たいほど澄んでいた。
「――ここは竜王国の領域。入る者は目的を示せ」
私の声に、甲板がざわついた。
“処刑されたはずの娘”が、竜に跨がり空から見下ろしている。
兵士たちの顔は恐怖に染まり、唇が震えていた。
その中で、リリアナだけが声を張り上げた。
「お姉さま……! 生きていたなんて! なんて嬉しいことでしょう!」
――嘘。
その口ぶりも、震わせた声も、すべて計算。
私は冷笑した。
「嬉しい? 私を“処刑”に仕立て上げた人が?」
沈黙が、甲板を覆う。
母が震え、父が顔を逸らした。
そしてリリアナは、それでも笑っていた。
「誤解ですわ、お姉さま。すべては王家の命で――」
「黙れ」
私の言葉と同時に、アシュタルが咆哮した。帆がはためき、兵たちが一斉に跪く。
その声は世界の秩序をねじ伏せる力を持っていた。
◇ ◇ ◇
後方から、帝国の旗を掲げた船が進み出た。
甲板に立つ蒼の外套の人物――帝国宰相シグルド。大陸で最も切れる頭脳と呼ばれる男だ。
彼は目を細め、ただ一言を放った。
「記録せよ。――竜王国、成立の瞬間を」
世界が、動いた。
祖国は凍りつき、帝国は証人となった。
私の言葉はもう、ただの令嬢の叫びではない。
七年の孤独が燃え、風に舞い上がり、翼と共に大陸へ広がっていく。
その熱を、レオンが隣で受け止めていた。蒼い瞳が静かに輝く。
「始まったな、アメリア」
「ええ。これは、竜と人が並ぶ世界の――第一歩」
竜たちの咆哮が、海を震わせた。
そして私は、ついに知った。
――捨てられた身代わり令嬢の名が、世界を揺るがす旗印になることを。
(つづく)