第16話 暴走竜の咆哮
ヴェルディア要塞の楼閣に鎖で繋がれた竜は、もはや原形を失っていた。
黒い鱗は剥がれ落ち、瞳は血走り、口からは泡混じりの炎が漏れている。
薬物と鎖で正気を奪われ、ただ破壊だけを求める影と化していた。
――けれど、私にはわかった。
その奥に、かすかに震える心がまだ残っている。
七年間竜と共に過ごした私には、その小さな叫びが聞こえた。
「……助けを求めてる」
◇ ◇ ◇
「アメリア!」
レオンの叫びが届く。
彼は剣を構え、蒼い瞳に決意を宿していた。
「暴走竜が解き放たれれば、兵も民も焼き尽くされる。……討つしかない!」
「でも――!」
胸が張り裂けそうになる。
竜は怪物じゃない。人と同じく生きている。
私がここで見捨てれば、カイゼルの言う“怪物”という言葉を自ら認めることになる。
「……救える。必ず!」
アシュタルが咆哮を放つ。
その声に呼応するように、影竜たちが空を舞い、海竜たちが堀を割ってうねった。
仲間を救うために――竜王国の翼が集結した。
◇ ◇ ◇
「馬鹿な!」
楼閣からカイゼルが叫ぶ。
「薬で狂わせた竜を戻せるはずがない! ……見せてやろう! 本物の怪物を!」
鎖が引き千切れた。
暴走竜が解き放たれ、狂気の咆哮が平原を揺らす。
観衆は悲鳴を上げ、兵たちは後退した。
その炎が放たれる刹那、私は叫んだ。
「アシュタル、翼で遮って!」
黒竜が身を翻し、炎を受け止める。
熱で鱗が赤く染まる。
けれど彼は一歩も退かない。
「お願い、聞いて……! あなたは怪物じゃない!」
私は暴走竜に向かって手を伸ばした。
心を削るように、声を張り上げる。
「あなたも、私と同じ……捨てられたのよね! でも大丈夫、もう一人じゃない!」
◇ ◇ ◇
一瞬。
血走った瞳に、光が宿った気がした。
竜の動きが止まり、炎が喉で震える。
だが次の瞬間、鎖に仕込まれた毒薬が再び流れ込み、竜は苦悶の叫びを上げる。
「やめろ……!」
私は楼閣の上のカイゼルを睨んだ。
彼の手には薬液を流す装置が握られている。
「竜も女王もまとめて焼き尽くせ! それでこそ俺の正統性が証明される!」
狂気の笑みが広がる。
◇ ◇ ◇
「レオン!」
私の叫びに、彼は即座に頷いた。
「任せろ!」
蒼い閃光のように、レオンが楼閣へ駆け上がる。
剣が閃き、薬液の管を断ち切った。
カイゼルの悲鳴が空に響く。
暴走竜の目が揺らぎ、呼吸が荒くなる。
私はアシュタルの背から飛び降り、その額に触れた。
「戻ってきて……あなたは、守れる存在なの!」
沈黙ののち――竜は低く唸り、私の掌に鼻先を寄せた。
その瞬間、狂気は霧散し、瞳に穏やかな光が戻った。
◇ ◇ ◇
観衆が息を呑む。
暴走竜は再び人を守る存在として立ち上がり、空に咆哮を放った。
その声は、怪物ではなく“仲間”の誓いだった。
「馬鹿な……! そんなはずは……!」
カイゼルが膝をつき、顔を歪める。
その姿を見下ろしながら、私は宣言した。
「これが竜王国の証明よ。竜は怪物じゃない。人と共に立つ友なの!」
平原を埋め尽くした歓声が、大地を揺らすほどに響いた。
◇ ◇ ◇
だが、その熱狂の中でも私は知っていた。
カイゼルはまだ終わらない。
玉座を奪うため、さらなる陰謀を仕掛けてくる。
けれど、私はもう恐れない。
七年前に捨てられた娘ではなく――竜と人を繋ぐ女王として、次に進むのだから。
(つづく)