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『廿日会祭の記憶』

作者: 小川敦人

『廿日会祭の記憶』


空は曇り、しかし雨は降らない。そんな穏やかな春の日、私は古びた蕎麦屋の窓際に座り、浅間通りを見つめていた。店内には私のような年配の客が数人、黙々と蕎麦をすすっている。

「いらっしゃいませ」

店のおかみさんが温かい笑顔で茶を注ぎながら声をかけてきた。年の頃は60代半ば、目尻の皺が優しい人柄を物語っている。

「ええ、何十年ぶりでしょうか。県外に出ていて、久しぶりに静岡に戻ってきたんです」

「そうでしたか。お祭りを見に来られたんですね」

「はい。昔の賑わいが懐かしくて」

おかみさんは窓の外を見やり、小さくため息をついた。

「昔とは比べものになりませんよ。あの頃は祭りの間、休む暇もなかった」


昭和30年代、私が小学生だった頃の浅間通りは、廿日会祭の期間中、まるで別世界のようだった。学校の春休み最後の楽しみとして、友達と連れ立って祭りに繰り出したものだ。

「まさおー!」声の方を振り返ると、同級生の健二が手を振っていた。

「もう親から小遣いもらったか?」と健二。

「うん、50円だけどな」

「俺は30円しかもらえなかった。けちだよな」

私たちは肩を組み、人混みをかき分けて通りを歩いた。浅間通りの両側には屋台が所狭しと並び、金魚すくい、射的、綿あめ、りんご飴、おもちゃ屋、花やしき人形…。子供心を惹きつけるものがあふれていた。

「見ろよ、あれ!」健二が指さした先には、赤と白のストライプのテントがあった。中では太った男が声を張り上げている。

「さあさあ、珍しい生き物だよ!一度見たら忘れられない!大人30円、子供15円!さあどうぞ!」

私たちは顔を見合わせた。貴重な小遣いの使い道だ。じっくり考えなければならない。

「折角だし、見てみるか」と健二。

「おう」

テントの中は薄暗く、人々が何かを囲んでいた。背伸びをして覗き込むと、そこには水槽があり、小さな人魚(?)のようなものが泳いでいた。後年になって、あれは単なる魚の上半身に人形の頭を接ぎ合わせたものだとわかったが、当時は本物の人魚を見たと信じて疑わなかった。

テントを出ると、通りはさらに賑わいを増していた。遠くから祭囃子が聞こえてくる。夕方近くになると、提灯に火が灯り、昼間とはまた違った幻想的な光景が広がった。


「昨日、駿府公園に行ってきましたよ。桜が満開で見事でした」と私はおかみさんに話しかけた。

「ああ、今年は例年より少し早く満開になりましてね。お花見客で賑わってますよ」おかみさんは嬉しそうに答えた。

駿府公園の桜は静岡の春の風物詩だ。昨日、散策した時の光景が蘇る。空を埋め尽くすように広がるピンク色の花々。足元に散るひらひらと舞う花びら。ベンチに座った老若男女がお弁当を広げ、笑い声を響かせていた。そこには、浅間通りで失われた賑わいが、形を変えて存在していた。

「昔は廿日会祭と桜の季節が重なると、本当に華やかでしたねえ」とおかみさん。

「そうでしたね。祭りの帰りに駿府公園に寄って、花見をするのが定番でした」


私が就学前、まだ5歳か6歳だった頃の記憶は断片的だが、鮮明に覚えていることがある。浅間神社の境内にある池の上を、ワイヤーで吊るされたゼロ戦の模型が飛んでいた光景だ。

「見て、飛行機!」と父に手を引かれながら叫んだ。

父は黙って頷いた。今思えば、彼自身も戦争から戻ってきたばかりだった。あのゼロ戦の模型を見て、どんな思いだったのだろう。

そして、もう一つ忘れられない光景がある。浅間神社の入口に座り込んでいた白装束の人々。傷痍軍人たちだ。彼らは杖をついたり、義足をつけたり、時には目が見えなかったりした。白い装束と、その傷ついた体が幼い私の目に焼き付いた。

「あの人たちはどうしたの?」と母に尋ねた時、母はただ「戦争で傷ついた人たち」と短く答えただけだった。

当時は理解できなかったが、彼らは戦争から帰還した兵士たちで、傷ついた体で生きるための糧を得るために物乞いをしていたのだ。祭りの喧騒と賑わいの中に、戦争の爪痕がまだくっきりと残っていた時代だった。


「当時の白装束の人たちのことも覚えてらっしゃるんですか」とおかみさんが静かに尋ねた。

「ええ、子供心に強く印象に残っています」

「私も子供の頃、怖かったけど、父に『お前たちが平和に暮らせるのはこの人たちのおかげでもあるんだよ』と言われたことを覚えています」

私たちは黙って頷きあった。かつての浅間通りには、祭りの喧騒と同時に、戦争の傷跡も色濃く存在していたのだ。


中学生になった頃、私は友達と祭りに行くことが少し恥ずかしくなっていた。それでも、最後の春休みの楽しみとして浅間通りを歩いた。

その頃になると、廿日会祭と静岡まつりの区別を意識するようになっていた。廿日会祭は浅間神社の神事として4月1日から5日まで行われ、静岡まつりは市の行事として別の日程で開催されるようになっていた。

「今年から静岡まつりと廿日会祭は別々になるんだって」と友人の一人が言った。

「へえ、なんで?」と別の友人。

「さあ、大人の事情じゃないの」

私たちにとっては、どちらも楽しい春の祭りであることに変わりはなかった。ただ、年齢を重ねるにつれ、祭りを見る目も変わってきた。屋台の食べ物や射的よりも、神輿の担ぎ手たちや、稚児行列、大御所花見行列などの伝統行事に目が向くようになった。

そして、浅間神社の入口にいた白装束の傷痍軍人たちの姿も、徐々に見なくなっていった。あるいは、私が大人になるにつれて、あえて見ないようにしていたのかもしれない。


「おかみさんは、静岡まつりと廿日会祭が分かれた経緯をご存知ですか」と私は尋ねた。

「詳しくはないんですが、母から聞いた話では、昭和32年に静岡まつりが正式に始まったそうです。最初は廿日会祭に合わせて開催されていたんですけどね」

「私の調べたところでは、静岡まつりは市民参加型の祭りとして、パレードや芸能発表などを中心に発展していったようです。一方、廿日会祭は神社の神事としての性格を保ったまま」

おかみさんは湯呑みを拭きながら頷いた。

「そういえば、昔は商店会が『大御所花見行列』をやっていましたよね。あれが静岡まつりの原型になったんでしょう」

「ええ、昭和24年に静岡浅間神社が稚児行列を復活させた時、それに呼応して静岡商店会が始めたものだそうです」

「よく調べていらっしゃいますね」とおかみさんは感心したように言った。


時は流れ、私は大学進学で静岡を離れ、就職、結婚、子育てと、めまぐるしい日々を過ごした。静岡に戻ってくるのは、正月や盆の時期だけになり、廿日会祭や静岡まつりに足を運ぶ機会もなくなっていった。

子供たちが成長し、自分の家庭を持った今、私は定年退職を迎え、生まれ育った静岡に戻ってきた。懐かしさと好奇心から、令和7年の廿日会祭の時期に浅間通りを訪れた。

しかし、そこで目にしたのは、かつての賑わいを失った静かな通りだった。数軒の屋台が寂しく並び、人通りも少ない。浅間神社の境内も、昔ほどの混雑はなかった。


「時代は変わりましたね」とおかみさんがつぶやいた。

「ええ」と私は答えた。「子供たちはスマホゲームに夢中で、屋台の射的なんかに興味を持たないんでしょうね」

「それだけじゃないと思いますよ」とおかみさんは言った。「祭り自体も変わりました。廿日会祭は神事としての側面が強くなり、静岡まつりはイベント化して、昔のような一体感がなくなった気がします」

私たちは黙って蕎麦を食べた。窓の外の通りを行き交う人々は少なく、かつての喧騒は想像もできないほどだった。

「でも、駿府公園の桜は相変わらず美しいですね」と私が言うと、おかみさんは柔らかく微笑んだ。

「そうなんです。自然の美しさだけは変わりませんね。駿府公園の桜は昔も今も、多くの人の心を癒してくれる」


私が子供だった頃、廿日会祭は春の訪れを告げる大イベントだった。学校の春休み最後の楽しみとして、友達と浅間通りを歩き回った日々。金魚すくいで獲った金魚を大事に持ち帰り、家のガラス鉢で飼った思い出。射的で当てた景品を自慢した日々。綿あめを頬張りながら、提灯の明かりに照らされた夜の通りを歩いた感覚。

そして、戦争の傷跡を身に刻んだ白装束の人々の姿。ワイヤーで吊るされたゼロ戦の模型。戦後の混乱から復興へと向かう日本の姿が、この祭りにも反映されていた。

昭和から令和へ。時代は大きく変わり、祭りの形も変わった。廿日会祭と静岡まつりは分離し、それぞれが独自の道を歩んでいる。かつての賑わいは失われたかもしれないが、それでも春になれば、浅間神社では神事が執り行われ、静岡の街ではパレードが行われる。

そして、駿府公園の桜は今年も満開に咲き誇っていた。昨日見た桜の下では、家族連れや若者たちが思い思いに春の訪れを祝っていた。時代は変わっても、桜の美しさは変わらない。人々の花を愛でる心も変わらない。


「最近の静岡まつりは派手になったけど、なんか魂が抜けたような気がしますね」とおかみさんは言った。

「そうですね。でも、時代と共に祭りも変わるのは自然なことかもしれません」

「そうかもしれませんね。でも、私たちの記憶の中には、あの頃の祭りがしっかりと残っています」

私は頷いた。そして、ふと思いついた。

「孫を連れてきてみようかな。昔の祭りの話をしながら」

「それはいい考えですね」とおかみさんは笑った。「お孫さんにとっては新鮮かもしれませんよ。私も時々、孫に昔の話をするんです。目を丸くして聞いてくれるんですよ」


蕎麦を食べ終え、会計を済ませた私は、店を出た。浅間通りはいつの間にか薄暗くなっていた。街灯が灯り始め、かすかに祭囃子が聞こえてくる。

「またいらしてくださいね」とおかみさんは笑顔で見送ってくれた。

「ええ、来年も来ます。孫と一緒に」

私は浅間神社の方へ足を向けた。境内に入ると、神聖な空気が漂っている。人々はまばらだが、静かに参拝している。

池を見ると、もうそこにゼロ戦の模型はない。入口には白装束の人々もいない。時代は確実に変わった。でも、この場所が持つ意味は変わらない。

私は手を合わせ、祈った。

過去の記憶に感謝を。

現在の平和に感謝を。

そして未来へと続く祭りの灯に感謝を。

来年は孫の手を引いて、この場所に来よう。そして語ろう。私の見た廿日会祭の記憶を。浅間通りの賑わいを。戦後の日本の姿を。そして時代と共に変わりゆく祭りの形を。

記憶は語り継がれることで生き続ける。祭りもまた、形を変えながらも、人々の心の中で生き続ける。

私は深呼吸し、夕暮れの浅間神社を後にした。静かになった浅間通りを歩きながら、かつての喧騒を思い出していた。あの頃は、こんな静かな通りになるとは想像もしていなかった。

駿府公園へ向かおう、と私は思った。夕暮れ時の桜もまた美しいはずだ。昼間とは違う趣の中で、ライトアップされた桜を眺めながら、もう少し昔を思い出してみよう。

時は流れ、すべては変わる。それでも、心の奥底に刻まれた記憶は色褪せない。72年の人生で見てきた祭りの変遷は、そのまま日本の戦後史でもあった。

明日は孫に電話しよう。来年の春、一緒に廿日会祭に来ようと誘おう。そして語ろう、私の見た祭りの記憶を。そして、駿府公園の満開の桜の下で、新しい思い出を作ろう。

浅間通りの灯りが、一つ、また一つと灯っていく。駿府公園の方からは、桜を愛でる人々の笑い声が風に乗って聞こえてきた。


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