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霧中の人君  作者:
第一章 冬の都
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第一章番外 苦手意識

 雷堂の、この世で一等怖いもの。それは、自身の叔母・(よう)彩華(さいか)である。人生一頻り、恐ろしい体験をしてきたというわけでもないのに、何故そこまで怖いのかと言うと――簡単に言えば幼少期の恐怖体験が、身に沁み過ぎたのだ。



 それはまだ、蚩尤と雷堂が皇都で暮らしていた頃の事だった。


「雷堂、私は何と言ったか覚えていますか?」


 晴天のよく晴れた午後だった。広い、整えられた庭は子供にとっては格好の遊び場で、いつもであれば雷堂は蚩尤と共に、剣の撃ち合いの真似事をしたり、蚩尤の庭の散策に雷堂が付き合ったりと。何とも長閑な日常風景が――その日もあるはずだった。

 だがしかし。今、雷堂の目に前には、腕を組み仁王立ちで構える叔母が立ち塞がっている。まだ、十歳の雷堂は、叔母――(よう)彩華(さいか)の姿と声に怯えるばかり。いつものように、優しくゆったりとした口調であれば、雷堂も身を竦ませることもなかっただろう。が、今の楊彩華の声音は恫喝などといった生易しいものではなく、逆鱗に触れてしまった龍が轟かせる咆哮を思わせた。実は今、目の前にいる叔母の姿は龍に変じているのではと錯覚してしまうほどの威圧。さながら、蛇に睨まれた蛙――いや、龍に睨まれた小龍。雷堂は楊彩華の怒りを一身に受けながらも、恐ろしさのあまり顔が上げられなかった。ついでに言えば、怖くて声も出ない。


「雷堂」


 返答が無い雷堂に、一段と怒りを滲ませた声が降り注ぐ。返答が無い雷堂に対して、このまま行けば何が起こるのか。普段、怒りという感情から遠い人物となると予想もできない。何か、何か言わなければと思いながらも、あまりの怖さに言葉は上手く通らなかった。


 そんな時、助け舟が現れた。正確には、最初から雷堂の隣にはいたのだ。


「彩華、僕が雷堂に龍の背に乗ってみたいと言って頼んだんだ」


 雷堂よりも、三つ下――まだ七つとは思えぬ程にはきはきと話す少年――蚩尤は、彩華の威圧に屈する事なく進言した。肩を竦ませる雷堂とは違い、堂々と真正面から楊彩華に向き合い、目を合わせる。その目は、楊彩華の心中を見透かすような――少々、七つの幼さを思わせない程に凛としていた。


 そもそもの発端は、蚩尤の申し出通り、雷堂が龍の姿に変じて蚩尤を乗せた事が原因だった。先んじて、雷堂は楊彩華からまだ誰かを載せて飛んでは行けないと教わっていた。幼い龍というのは、自身の意志で龍の姿を制御が難しい。泳ぐように飛ぶことは出来ても、突然人の姿に戻ってしまう事も無きにしもあらず。龍人族とて、人の姿では空は飛べない。これが心の傷となり生涯飛べない龍もいたりするのだが――単純に、危険という事なのである。


 そうだから、楊彩華の怒り心頭は治る気配がない。そこへ、主人の甥が、自分の責など申し出た訳なのだが――


「蚩尤様、それが事実だとしても、咎められるのは矢張り雷堂です」

「でも――」


 蚩尤が一歩前に出て、さらに申し立てをしようとしたが、楊彩華はそれを掌を蚩尤に見せるようにして前に出して、遮った。蚩尤の前で膝を突き、蚩尤の目線に合わせて、雷堂に向けていた声色とは違う――いつものゆったりとした、楊彩華の大らかさを感じさせる声で言葉を紡いだ。

 

「蚩尤様、確かに言葉や行動には責任が伴います。蚩尤様が雷堂の主人という立場で無理強いにも等しい状況で命じたのであれば、確かに責は蚩尤様となりましょう。ですが、現状の雷堂は蚩尤様を嗜め、子供の龍の危険性を蚩尤様に説明せねばならなかった。それが出来る立場でもあるのです。それを怠ったのであれば、やはり責は雷堂にあります。それに大方、雷堂は少しならば露見しないとでも思ったのでしょう。だから、今、私に言い訳が立たない」


 蚩尤を諭すように話して、楊彩華の目線は次に首をもたげたままの雷堂へとじとりと送る。それ気が付いたのか、雷堂の肩がびくりと跳ねた。どうやら図星、とう言う事なのだろう。


「なので、今日は折角、授業が無い日でしたが、雷堂の予定は一日お説教になりました」

「僕は?」

「この事は、お父上にも報告させて頂きます。蚩尤様に対して罰があるかどうかは、お父上に判断を委ねるほかありません」


 そう言って、楊彩華は立ち上がる。もうその時には、その目には側で事の次第をハラハラとした様子で見守っていた侍女たちへと注がれていた。侍女達は袖で顔を隠してはいるが、どうにも青ざめている。蚩尤も側にいたとなれば、彼女達の心中は落ち着いてなどいられなかっただろう。楊彩華が「蚩尤様を宮へとお願いします」と声を掛けた事により、侍女達からは安堵の息が溢れていた。


「それでは蚩尤様、今日は私と雷堂は此処で辞去させて頂きます。お父上には後ほど伝わるでしょう」

「うん。わかった。雷堂、また明日」


 蚩尤は真っ直ぐに雷堂へと向いて、その日の別れを告げると、まだ心此処にあらずの怯えた調子ながらも、雷堂はなんとかといった様子で視線をあげた。 

 

「……あ、うん。明日な……」


 そうして、蚩尤の後ろ姿を宮の中へと消えるまで見送ると、楊彩華は雷堂へと目線を戻した。


「さ、帰りますよ」


 その声は、怒りという程の何かは含まれていない。だからと言って、説教が消えたわけではないだろう。雷堂はその身に怒りうる最悪を想像しつつも、大人しく「……はい」と返事して、楊彩華の続いた。


 その後、母のように甲高く怒鳴るでもなく、父のように諭すだけで終わるわけでもない、厳然たる叔母の説教は、十歳の身には嫌でもこびりついたのだった。それは、楊彩華の本格的な修練が始まってからも記憶は薄れる事もなく。寧ろ、年々記憶は濃くなり、雷堂は今でも叔母に頭が上がらないままだ。


 番外編 苦手意識 了   

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