零 最北端の地
陽暦元年 丹省・省都岐杏
目の前に広がっていたのは、雲を貫く程に高い山々だった。
春も終わりの頃だと言うに、名残雪などという程度ではすまない白雪が、その山脈の全てを包んで一色に染め上げていた。
澄み渡る広大な青空の下では、その姿は雄大でありながらも美しく、荘厳なる身姿で聳え立つ。その風格に、人々の目と心を奪ってやまないのだと言う。
その山、霊峰白仙山と呼ばれ、神が棲まうと云われている。
雄大さ、優美さ。どちらも兼ね備えた姿が、神の威光を見せつける。
その日、丹省都岐杏へ初めて降り立った少年――姜蚩尤は、その姿に圧倒されていた。
「うわぁ」
と、思わず幼いながらも感嘆の声が漏れてしまうほど。まだ十にも満たない幼さであったが、あまりの荘厳なる山の姿に蚩尤はすっかり虜になっていた。
空からも見えていた景色ではあった。けれども、地に足をつけて眺めるとではまた情景は違って見える。
その隣で、同じく子供の声色……と言っても、蚩尤よりもやや低い、声変わりが終わったばかりのそれも「すごいな」、と同じ様に声を弾ませていた。
蚩尤は白仙山に向けていた目線を声のした右側へと向ける。
黒髪、そして龍人族の特徴である金眼を備えた、蚩尤よりも三つばかり年上の少年――郭雷堂が憧憬にも似た眼差しを白仙山へと向けていた。
その視線に気がついたのか、「あの向こうには、何があるんだろうな」と、期待を胸に抱いた少年の眼差しを蚩尤に向けながら、雷堂が言った。
蚩尤は、「うーん」と声に出して考え込んだ。
国の地図は一通り学んで頭の中にあったのだが、白仙山は国の終わりで、その向こうは何一つ描かれていなかった。国の半分を囲い覆い尽くす白仙山がどれだけ続いているかなどとは、地図にも教本にも記されてはいないのだ。
まだまだ学ぶ事は多いのだと一つ頷いて、蚩尤はまだ少ない自分の知識に諦めをつけて考えるのをやめた。
「……わからない。父上か、伯父上なら知っているかも」
「じゃあ、今度訊いてくれよ」
「うん、そうする」
今日の夕餉の時ならば、そんな余裕もあるだろうか。蚩尤は新たな事を学べる喜びに胸を膨らませながら、再び幼い目は心奪われた山へと向いていた。
けれども、その晩。
蚩尤の問い掛けに、普段は優しい父や伯父は厳しい目と声で真実を告げた。それは、ある意味で蚩尤自身の知識が間違っていないのだと知った時でもあったのだが。
霊峰白仙山。
そこは、白神と呼ばれる神が棲まい、国を守護するが為に山頂に座す。
神が棲む場所は神域と呼ばれ人には毒。白仙山もまた、例に漏れず神域である。その頂きへ辿り着いた事のある者は記録上一人もいないとされた。
神域を通り抜ける事が出来るのは、神格を持つ者か、神格に準ずる者、神格により資格を与えられた者。または、無死なる異能を持つ者だけ、であると。
経典にも綴られた言葉は、決して蚩尤では辿り着けない場所であると告げていたのだった。
この国の神域の中でも最大にして要たる神域は二つ。
白仙山には、白神が。
青海には、四海竜王が。
神威により、この国を外界から守るが為に座す。
この国――陽皇国は、入る事も出来なければ出る事も出来ない、神の力によって封じられた国である。