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廃炉  作者: 酒井 漣
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廃炉作業員 1ヶ月目

 事業所内での出向に関する手続きを全て終え、翌週からF県の対策委員会に廃炉作業員として着任する週末の土曜日、私は、電車に乗って、I県からF県に移動した。F県での原発事故後、I県とF県の沿岸を走る路線は、一部が緊急避難区域に指定されたため、10年間ほど、緊急避難区域を境に、I県側とM県側で折り返し運転がされていた。F県の原発事故から10年後、緊急避難区域の放射線量が低減されたことが確認された後、その路線は、ようやく折り返し運転を止め、通常運転を行う様になった。私は、1人暮らしで多少の貯金はあったが、車を陸送してもらった関係で、移動手段が公共交通しかなく、普通電車に揺られて、F県にある対策委員会の最寄り駅に到着した。最寄り駅は、いかにも田舎の駅、と言った感じで、何もない以外、特筆することはなかった。一応、駅前にタクシーが止まっていたので、私は、そのタクシーに乗り込み、行き先である、事務所の名称を運転手に告げた。タクシーで10分程度の距離であったが、タクシーの運転手は、私に、愛嬌のある声で、

「廃炉関係でこっちに来たの?」

と声をかけてくれた。私は、隠す必要もないので、

「はい、そうです。週明けから、廃炉作業員になります。」

と応えた。運転手は、

「それは難儀なことだね。頑張ってね。」

と応援してくれた。

 私は、事務所の建物の前でタクシーを止めてもらい、徒歩で事務所の入り口に近づいた。事務所は、プレハブで2階建ての構造で、いかにも急ごしらえである感は否めなかった。入り口付近には、看守、のような、警備員がおり、私の所属を述べる様、求めてきた。私は、現在の所属と次週から廃炉作業員として作業すること、あと、到着時間は事前に連絡してあることを、警備員に告げた。警備員は、私に身分証明書の提示を求め、私は素直に運転免許証を提示した。すると、警備員は、

「あなた、ここは別の建物で、廃炉作業員の宿舎はここから歩いて15分のところだよ。そっちに行ってみて。」

と、私の右側の道路を指して、移動を促してきた。どうやら宿舎は別にあるらしい。私は、警備員に御礼を言って、指示された方向に移動を開始した。徒歩で10分くらい移動すると、またプレハブの3階建の建物が私の目の前に現れた。先程の場所とは違い、少し人気がある。建物に近づくと、

「廃炉作業員 宿舎」

とぶっきらぼうな文字で看板の様なものが付けられており、その脇に

「御用の方はこちら」

という文字と矢印を見つけた。私は、その矢印通りに移動すると、扉の前に

「管理室」

の文字を見つけた。周りでは、私より年配のおじさん達が、作業着姿で車座になって、何か騒いでいた。私は、それを無視するように、管理室のドアをノックした。ノックをすると、また、おじさんの野太い声で、

「はーい」

と返事があり、ドアが空いた。声の主は私より明らかに年上で、60代ではなかろうかと思われる老人であった。日頃から節制しているタイプには見えず、腹だけが異常にでっぱっている。

 私は、老人の腹から目をそらすように、自分の所属会社と、来週から廃炉作業員になるため、こちらを訪問した旨を、老人に伝えた。老人は、私の説明に合点がいったようで、

「あなた、予定よりも早く着いたね。今日、何人かここに来るから、全員揃ってから、宿舎の説明をするよ。それまでは、あなたの部屋で、待機していて。」

と、部屋番号がついた鍵を渡された。私は、南京錠でないだけましか、と思い、その鍵を受け取った。車座のおじさん達は、大声ではないが、わいわい騒いでいる。私の不審そうな顔を見て、老人は、

「休みは門限があるだけで外出自由なんだけど、外に出たがらない連中が集まって、いろいろ遊んでいるみたいなんだ。長い目でみてやって。」

と諭された。私は、老人に御礼をいい、鍵に書かれた番号を元に、2階の自室に移動し、部屋の鍵を開けた。部屋には、I県のアパートから送ったダンボールが10箱程度、積まれており、それ以外は、窓と壁、ユニットバスがあるだけの、殺風景な部屋だった。窓には鉄格子がされていて、空気の入れ替えは可能だが、窓から顔を出す事はできなかった。外のおじさん達の声が、部屋の中でも聞こえる。防音性はあまり期待しない方がいい、と私は内心思った。老人の言った宿舎への入居者への説明の時間まで、まだ2時間程度、余裕がある。荷物を解く気にもなれなかった私は、開いているスペースで寝転んで、ただ集合時間が来るのを待った。

 集合時間の10分前になり、私は、言われた会議室、と呼ばれる部屋に足を運んだ。会議室には、10人程、人が集まっていた。大方の方は、手荷物を持った状態で着席していた。性別は全て男性で、見た目からは、年齢層は、30代から50代のように見受けられた。体格は、160センチメートルくらいの小柄な方から、大相撲に出場できそうな大柄の方まで、ばらつきがあった。私は、空いている場所に腰を降ろし、老人が来るのを待った。定刻になり、老人が入室してきて、我々の前に立ち、宿舎の説明を始めた。防犯上の問題から、私用外出による門限は、22時であること、業務により宿舎への帰宅が遅くなる場合は、職場から電話で目安の帰宅時間を管理人まで一報入れること、を老人から一番最初に言われた。理由は、過去に現場作業員で着任したものの、夜逃げした人がいたらしく、その対策のためらしい。大の大人が夜逃げなど、困ったものだ、と私は内心思った。次に食事だが、平日、朝食は朝6時30分から、夕食は18時から、食堂で採ることができ、食事がいらない場合は、3日前までに、管理人室にある台帳に不要である旨を記入すること、と老人は言った。また、平日であれば、宿舎にコンビニが入っていて、朝の7時から21時まで開いているので、必要な物は、そのコンビニで購入できる、とも老人は教えてくれた。コンビニはATMが併設されており、手数料はかかるが、現金の入金、出金も可能なことも付け加えられた。そして、土日祝日は、コンビニ、食堂は休みになるので、3食、自力でなんとか調達すること、最悪の場合は、自販機のカップラーメンで過ごす手もあるが、現場作業員だけで200人位いるから、自販機にはあまり期待しないこと、一番近い商業施設まで、宿舎から車で20分かかること、も老人から伝えられた。車で20分とは、意外と遠いな、と私は感じた。そして、宿舎の規則だが、自室での飲食、飲酒、喫煙は、他人の迷惑にならない範囲で行うことはできるが、公共の場での飲酒、喫煙は禁止とのことだった。最近は、喫煙する文化もほとんど無くなりつつあるが、A社の事業所でも、製品の現場に近い職員では、喫煙している者も一定数いた。私は喫煙しないが、業務が停滞しなければ、自己責任で喫煙するのも問題無いと考えているので、特に問題はないように思えた。廃炉作業でうまくできなかった時、憂さ晴らしに、自室で1人、酒が飲めれば、私はそれで十分だった。宿舎には、一応、共同トイレはあるが、共同風呂はないため、風呂は自室のユニットバスを使うよう、老人から指示があった。私は、I県の賃貸アパートに住んでいた時も、主にシャワーで入浴を済ませていたので、その点は問題なかった。下着類の洗濯物は、洗濯室が各階に2部屋ずつ用意されているので、宿舎の住人同士、喧嘩しないように使用する事、早朝や深夜帯の利用はトラブルの元なので避けること、と老人が付け加えた。狭い宿舎内だと、何がトラブルの引き金になるか、分からない。洗濯室は気をつけて利用しよう、と私は思った。最後に自室の防犯に関してだが、残念なことに、以前、金品の窃盗事件が発生し、宿舎に警察が来たことがあるそうだ。平日の業務中、お金を使うことは、昼食や休憩などの限られた場合を除き、ほぼ無いはずなので、多額の現金を自室に保管することのないよう、老人から、何度もしつこく言われた。外では、夕方なのにおじさん達がまだ騒いでいる。全員、出どころが分からない人間の集まりだから、個人情報は、最低限の開示に留め、廃炉作業に邁進しよう、と私は考えていた。週明け月曜に、廃炉委員会から我々10人に向けて、送迎バスが出るので、前所属の作業着と業務に必要な筆記用具等を持参の上、朝8時の集合時間に送れないように、と老人から締めの言葉があった。

 今日集まった新入りの10人には、宿舎側が、休日だが特別に、10人分だけの食事を用意してくれた、とのこと。我々は、そのまま食堂に移動した。我々は長椅子がコの字状に配置され、人数分用意された食事の前に、特別な感慨もなく、着席した。全員、言葉を発せずに着席したため、食堂に入ってきた順番に着席することになり、私は、コの字のテーブルの真ん中の席に座ることになった。管理人の老人の合図の元、歓迎会ではないが、食事会が始まった。食事は、冷凍食品を解凍したものが多かったが、私は食にうるさいグルメではなかったので、黙々と出された食事を口に運んでいた。老人から、今日は折角集まったのだから、簡単に自己紹介をして欲しい、との要求があった。自己紹介の内容としては、元の所属、年齢、廃炉作業員を志望した理由を簡単に紹介して欲しい、との事だった。私から見て、右端の人間から、自己紹介が始まった。当たり前の話だが、集まった人間は、A社、B社、C社の社員、またはグループ会社の人間だった。比率は、A社4人、B社3人、C社3人と、それなりに平準化されていた。私の予想が外れたのは、私のような、原子力発電所に関係する事業に取り組んだ人間が、少なかったことだ。原子力関係者は、私を含めて、C社の1人だけだった。他の8人は、家電製品の設計者、金融システムの品質保証のデバッガー、PCに実装する電子基板の設計者、モーターを使って動かす装置の駆動部の設計者など、専門分野がバラバラだった。廃炉作業員への志望理由を聞いていると、やはり、私と同じで、廃炉作業を少しでも進めたい、という大義を口にする人間が多かった。1人だけ、1年働いた後の見返りが大きいため、と本音を漏らす人間もいた。私は、自分の紹介で、年齢と、原子力部門に所属していたここと、志望理由としては、廃炉を少しでも進めたいという希望があったこと、と無難な内容でまとめた。自己紹介の後、管理人が雑談タイムを設けてくれたが、お互い初対面過ぎたため、特に話すこともなく、時間になり、食事会は終了になった。

食事が終わり、その日やる事も無くなったので、私は、自室に戻り、ダンボールを開け、簡単な片付けを始めた。部屋の壁が薄いので、できるだけ大きな音をたてないように、周囲に気をつけながら、荷を解いた。生活に最低限必要な物と、寝る場所が確保できた時点で、私は、その日の作業を終え、寝床に就く事にした。慣れない部屋の天井だったが、移動の疲れがあったのか、案外早く眠りに就くことができた。

 次の日は、日曜だったが、私は、いつもA社に出社する時間とほぼ変わりなく、起床することができた。慣れない寝具であっても、それなりに眠りにはつけるらしい。休日はいつも昼前まで寝ているのだが、慣れない部屋で目が覚めたのだろう。今日は、陸送した自動車を受け取る日だった。簡単に身支度をして、部屋の外に出た。A社の事業所に勤めていると、事業所と賃貸アパートの往復で、季節を感じる事もなかったが、どうやら今は秋らしい。F県は東北地方に所属しているが、まだそこまで寒くはなく、秋晴れで空は高かった。受け取った車を、どこに止めたらいいのか分からなかったので、昨日と同じく、管理人室を訪ねた。老人に駐車について聞いてみると、宿舎の前に駐車場があり、それぞれの区画に部屋の番号が白ペンキで印字されている、最近、塗り直したばかりだから、たぶんあなたの車を止める場所は分かるはず、と応えてくれた。私は、老人に礼を言い、宿舎の前に移動した。昨日はあまり周囲を見渡す暇がなかったが、宿舎の右手に、田舎には不釣り合いな、高級そうな車が、何台も並んでいた。A社で所属していた事業所があるI県や地方都市では、現代になっても、乗っている車が人格で、お互いの高級車でマウントを取り合う文化が残っていた。私は、車の運転が苦手なのと、車にお金をかける意味が分からなかったので、軽自動車の一番安いクラスの車を、普段乗り回していたが、周りからは変人扱いされた。少なくともI県の人間には、他人がなぜ、そのような行動を取っているのか、類推する文化が存在しないのだろう、と私は分析している。駐車場の中の、高級車の海を彷徨いながら、私は、部屋番号をヒントに、自分の駐車場所を見つけた。自分が思っていたよりは、時間がかからなかった。それぞれの駐車間隔は広かったので、運転な苦手な私でも、駐車はなんとかなりそうだった。駐車場所を確認し、程なくして、陸送業者が、私の待っている駐車場の入り口に、私の車を持って現れた。陸送業者は、I県からF県への移動で、大きな事故等はなかったこと、燃料は引き渡し時に満タンにしていたので、追加の給油はしていないことなど、事務的なことを私に伝えた。私は御礼を言い、車を受け取った。部屋の片づけは、まだ残っているが、今日は朝食抜きのため、だいぶ腹が減った。私は、受け取った車で、近くの商業施設まで移動し、食料品と必要物資を入手しようと考えた。車に乗り込み、ナビゲーションシステムに目的地を入力し、車を自動運転モードに変更した。すると、車は、機械的な発音で、

「これから発車します。」

と告げた後、ゆっくり動き始めた。車の自動運転技術も、実証実験当初は、車が障害物を認識できずにぶつかる等、事故が多発したが、トライ&エラーを重ねることで、現在では、私のような軽自動車のユーザーでも利用できるレベルまで普及した。ただ、私は、未だに、交通事故に遭った経験が根強く残っているため、自動運転は、知らない道を走る時の誘導ガイド的な役割でのみ利用、速度はいつも最低速度を選択し、人間の補助器機能を有効にする事を忘れなかった。車は、何もない林の中を淡々と走っていき、10分ほどで、住宅のある地域に出た。そこでは住宅はまばらにあるものの、以前、田んぼだった所には、雑草が茂っていた。F県の原発事故で避難し、緊急避難指示が解除された後も、地元に戻ることを諦めた方の空き家と空き農地であろう、と私は推測した。ここでも、原発事故の爪痕は、原発で事故を起こすことのリスクについて、我々人間に、無言のまま、問いかけてくる。車が進むにつれて、だんだんと家の密集度が上がっていき、私は、目的地である、商業施設に到着した。商業施設は、ガソリンスタンド、スーパー、ファストフード店、衣類店スポーツ用品店、コンビニ、書店、家電量販店で構成されていて、建屋は全て平屋だった。また、店舗は、コの字型に配置されており、コの字の中に駐車スペースがあり、来場者はそのスペースに駐車するスタイルであった。私は、まず、朝食と昼食を兼ねた食事をとるために、ファストフード店に飛び込んだ。ファストフード店は、全国チェーンの牛丼屋だった。その牛丼屋は、私がA社の事業所で働いていた際、よく利用した牛丼屋で、システムも理解していた。着席し、タブレットで食べたい物を注文し、5分程待つと、配膳ロボットが、私の定番メニューである、牛丼と生卵、豚汁セットを運んできてくれた。私は、F県の出向先でこの味が味わえるとは思っていなかったので、嬉しくなって、いつもより早く、牛丼を口の中に掻き込んだ。牛丼は、いつも通りの味がした。最近は、キャッシュレス決済を行う者が8割を超えており、現金派の私は、多少居心地が悪いのだが、牛丼店でも、レジを監視する従業員の前で、現金で支払いを終え、店を後にした。腹が膨れた私は、次に、スーパーで買い物をすることにした。少なくとも、今日の夜の食材は、自分で用意しなければならない。かといって、食材を調理するスペースはないのだから、自然と選択肢は、総菜となった。その他に、日持ちしそうなお菓子やカップラーメン類を、まずは1週間分、購入した。その後、私の車は、旧型のハイブリット車なので、今では高価になったガソリンを2000円分給油し、書店とコンビニで品ぞろえを確認してから、宿舎に戻った。商業施設は、毎日行けば飽きるだろうけど、週1くらいの頻度で行くのであれば、最低限の物は揃うだろうな、と私は感じていた。商業施設側も、私のような現場作業員を、購入者のターゲットの一部と考えているのだろう、どちらかと言えば、男性向けの品ぞろえが多かったように、後から感じた。

 商業施設の下見が終わり、私は、自室に帰って、荷物の片づけをした。元来、私は片付けが苦手であるが、部屋が6畳しかなく、効率的に配置しないと、居住スペースがなくなってしまうので、苦手な割には考えながら、作業を進めた。持ってくる物を厳選した甲斐もあり、2時間程度で片付けは終了した。一応、宿舎内にはインターネット回線が通っているとのこと、持ち込んだPCの電源を起動し、接続を試みた。結果、程なくして、PCのインターネット接続に成功した。簡単にブラウザでネット検索をしてみたが、早くはないが、我慢できなくはないスピードで、ネット検索が可能だった。これで、趣味である、有料動画配信サービスでのサッカーの試合観戦が可能だな、と私は思った。ただ、観戦時、イヤホンでの防音対策が必須なことは、昨日の壁の薄さから、理解していた。ここまで取り組んで、夕方になり、私は、さっき、スーパーで購入した総菜をつまみに、酒を飲み始めた。この時間が、1週間の中での至福の時間だと、私は認識している。ただ、元来のせっかちさがここで顔を現し、長時間、酒飲んで過ごすのは性に合わず、早く酔って、その後に訪れる浮遊感を楽しむことが好きだった。コップ2杯のハイボールを飲み干し、私はそのまま横になった。すると、周りがふわふわ浮いている感じになった。この時だけは、嫌なことを全て忘れ、自分が万能の神になったような、全能感に浸る事ができた。私は、これが1人飲みの醍醐味だと思う。私が全能感に浸っている間に、いつの間にか、私は寝落ちしてしまったらしい。外はすっかり暗くなっていた。私は、気だるく体を起こし、食べた物の跡片付けを行い、そのままシャワーで体を洗った。そして、明日からの廃炉作業員としての活動のために、A社で入社時に支給された作業服の上下、必要な事をメモするノートと筆記用具、身に付ける時計を準備し、いつもより早く就寝した。

 翌朝は、朝食が始まる6時30分に目を覚ました。顔を洗い、宿舎の食堂に向かうと、年代がバラバラのおじさんが、列を成しして並んでいた。朝食はビュッフェスタイルらしい。私は、自分の順番が来ると、盛り皿をとり、野菜は多め、それ以外は標準的な準的な量を盛り付け、空いている席で、黙々と食事をこなした。食べ終わって、自室に戻り、必要な準備をして、集合時間の8時の10分前に、集合場所に到着した。待ち時間、外を見ていると、ほかの現場作業員は、同じ作業着で、大型バスに無表情で乗り込んでいた。私は、その様をみて、なんだか収容所に来たみたいだな、と感じた。ただ、拘束時間が収容所染みているだけで、その他の時間は、ある程度自由に活動していいのだから、まだマシか、と私は自分の心を切り替えた。集合時間になると、この前集まった10人が、それぞれの会社の作業着に身を包んで勢ぞろいした。その後、我々専用の送迎用のワゴン車が、宿舎に到着した。管理人の老人からは、

「初日だけど、元気で頑張って。」

と声をかけられたが、私はその言葉に会釈をして無言の返事をし、ワゴン車に乗り込んだ。ワゴン車は10人乗ると密度が高くなったが、一応、全員乗ることができ、シートベルトも締めることができた。私は無言のまま、バスに揺られていた。バスに20分ほど揺られると、ワゴン車の前方に、ゲートのような物が現れた。ワゴン車の運転手から、

「何か、身分証になる物を顔の脇に提示して。」

と声をかけられた。私は、荷物の中から、運転免許書を取り出し、顔の脇に構えた。10人のうち、小柄な1人が、身分証の取り出しに手間取っていると、運転手から、

「早くしてくれ。」

とせっつかれた。小柄な1人は、ようやく自分の身分証を荷物の中から見つけ、顔の脇に構えた。窓越しからいかつい制服を着た警備員が、それぞれの身分証と顔を照合している。最近は、AIの発達で認証作業も自動になったはずだが、どうやら原子力発電所まで、その恩恵は届いていないらしい。5分くらいの確認の後、警備員がワゴン車の運転手に、前方に行くよう、促す仕草を見せた。運転手はそれに従い、車を前に走らせた。運転手は、

「毎日、出金と退勤の時に、今のチェックがあるから、身分証の提示を忘れないように。」

と我々に声をかけた。その後、車は道なりに進み、3階建ての白い建物の前で止まった。車の扉が開くと共に、ワゴン車の運転手から、

「目的に着いたから、降りて。」

と言われ、扉に近い者から順に、車を降りた。私は、若い頃、ある原子力発電所の内部である管理区域で2ヶ月程、働いた事があるが、原子力発電所内で発電所の建物以外で、こんな立派な建物を見たことがなかった。ああ、これが廃炉委員会の前線基地なのだな、と素直に驚嘆した。バスを降りた先には、中肉中背でメガネをかけた、如何にも日本のサラリーマン、といった風貌の男性が、作業着姿で立っていた。10人全員がバスを降りた所で、その男性は、

「おはようございます。これから、あなた達の面倒を見る、渋谷と申します。よろしくお願いします。」

と、何の淀みもなく発声し、我々に45度のお辞儀をした。我々は、慌ててお辞儀で返した。渋谷は、

「では、私の後について、歩いて来てください。」

と発し、スタスタと歩き始めた。我々は、またも慌てて、彼の後について歩いた。渋谷は、入り口から入ってから、淀みなく移動し、1階の訓練室、と書かれた部屋に入っていった。我々も、彼に続いて入室した。研修室は、入って左手にホワイトボードがあり、右手には長机が並んでいて、3人が1つの机に座れるようになっていた。また、長机には、それぞれの名前が貼り付けられており、我々は、渋谷のキビキビした動きに同調する様に、言葉を発せず、名前の貼り付けられた座席に座った。10人全員が着席するのを見計らって、渋谷は、

「それでは、これからオリエンテーションをはじめます。手元にある資料を見て下さい。」

と我々に、紙面を見るように促した。紙面には、オリエンテーション、と題名が書かれており、その後は、イラスト入りで、廃炉委員会での生活についての決まり事などが書かれていた。紙面の概要を確認していると、渋谷は、

「これは宣言ですが、基本、ここで学んだ内容は、建物の外には持ち出し禁止です。メモを取って、宿舎で憶え直すことも禁止です。資料は、全てこの場に置き、退出してもらいます。できるだけその場で憶え、実践し、定着させることを心がけて下さい。」

と、よく通る声で話した。多少は予想していた事だが、メモした書類の持ち出しも禁止とは、予想が外れた。廃炉作業にそれなりに真剣に取り組もうと思っていたが、その場で憶え、実践、定着する能力が、自分の中で衰えてはいないだろうか、と自問自答しながら、渋谷の話を聞いた。

 オリエンテーションでは、廃炉委員会内での生活について、事細かに説明を受けた。ここにいる10名が、民間企業から出向者として受け入れる、廃炉の実作業員の最初のメンバーとなるため、そのことを常に念頭に置いて行動する様に、渋谷から注意があった。仮に就業時間外で、宿舎以外で食事や酒を飲む機会があったとしても、廃炉委員会で学んだ内容は、絶対に話してはいけない、と渋谷から釘を刺された。この部分に関しては、A社の事業所に在籍していたときも、何度も注意されたことだったので、守れるだろう、と私は思っていた。オリエンテーションは進み、昼食は、基本、廃炉委員会の中にある社食で採るか、廃炉委員会の中に入っているコンビニで買って採るか、の選択になること、飲料関係は、宿舎や廃炉委員会内のコンビニで購入した、蓋の付いたペットボトルのみ認めること、それらの代金は、基本、これから各自に与えるIC機能付きの社員証から自動引き落としされ、それらの代金は、廃炉委員会が月締で支払うため、実質無料なこと、の説明を受けた。従って、あなた方にとって、社員証は命の次に大事なものになるから、大切に扱うこと、と付け加えられた。そして、渋谷は、首から下げるストラップのついた、顔写真付きの社員証を、我々1人ずつに、丁寧に配っていった。私は、A社の事業所内で、IC機能付きの社員証を3回ほど紛失した過去がある。3回とも、善意のある職員が拾ってくれて、数日中に私の手元に社員証は戻ってきたが、カードが戻ってくるまでの間、クレジットカード会社に電話をして、緊急で、クレジット機能を止めた、苦い経験がある。首から下げるストラップが普及してからは、私の社員証を紛失する癖は激減したため、ストラップ付きの社員証を見て、私は安堵した。

 渋谷は、食堂、コンビニ、トイレや喫煙所の場所を口頭で説明し、

「この後、廃炉作業に関する説明を行うので、10分休憩にします。」

と宣言した。我々10人は、トイレに行ったり、自動販売機で飲み物を買って飲んだりして、休憩時間を過ごした。私は、念のため、トイレに行ったが、トイレでは、他の作業員が、

「あの渋谷って人、厳しそうだなー。」

と、話していた。私もそうは感じたが、原子力部門では珍しい部類の人間ではないので、

その言葉をスルーして、自席に戻った。

 休憩時間が終わり、渋谷の説明が再開された。

「手元にある、廃炉作業について、という冊子を見て下さい。」

と、いう渋谷の声に促され、題目の冊子を手に取った。題目の下には、廃炉委員会の名前と、社外秘、と記載されていた。これも、原子力部門ではあるあるの話だ。冊子を開くと、工程表と呼ばれる、何をいつまでに行うか、の表が記載されていた。今日が説明日とあり、今日から3ヶ月、棒グラフで訓練期間、と書かれていた。その後ろに、9ヶ月間の枠の棒グラフで、廃炉作業(実作業)と書かれていた。工程表を見ている我々に渋谷は、

「皆さんには、はじめに、原子力発電所とは何なのか、放射線管理区域で作業するとはどんな事なのか、3ヶ月間を使って学んでもらいます。3ヶ月間は、座学もありますが、原子炉建屋内の放射線管理区域での実作業、実際の廃炉作業を想定した水中訓練を行ってもらいます。座学ではペーパーテストがあり、及第点を取らないと、3ヶ月後の廃炉作業に進むことなく、この場から元の職場に戻って頂くことになります。」

と早口でまくし立てた。その話を聞いて、私は内心、ざわついた。訓練期間があることは想定していたが、現場の作業員レベルであれば、特別な試験は無いだろう、訓練期間はしっかり実技を覚えて、来るべき廃炉作業に臨もう、と考えていたからだ。ペーパーテストは勉強期間が与えられ、宿舎で勉強してもいいのなら、及第点をとる自信はあったが、準備期間なしに試験を受けて、及第点が取れるか、私には半信半疑だった。他の9人も、私と似たり依ったりの考えだったらしく、今日初めて、訓練室がざわついた。渋谷は、そのざわつきが収まるのを待って、

「事前連絡がないので、面食らうのも分かりますが、我々も、廃炉作業中に、万が一の事故が発生してしまうと、ただでさえ遅延している廃炉作業が、マスコミ対応などに追われ、さらに遅延することになります。実技は、こちらの指導員が、できるまでしっかりサポートして、合否を判定しますし、ペーパーテストはその場で学んだことの理解度を確認するための物で、記述部分と選択部分がありますが、高校の数学の期末試験のような、応用問題の論述問題はないので、その指導員の講義をしっかり聞いていれば、及第点が取れる仕組みになっています。ペーパーテストを導入する目的は、あなた方に指導員の授業を、居眠り等なく、しっかり聞いてもらうためです。」

と、説明した。私は、その説明を聞いて、少し安堵した。元から講義等をおざなりにするつもりは毛頭なかったが、これで、訓練期間、手を抜く事なく、訓練に従事する決意が固まった。他の9人も、同じようだった。

 廃炉作業について、の冊子には、訓練期間の3ヶ月間、何曜日に何を行うか、が午前と午後に分かれて、記載されていた。最初の1ヶ月は、座学らしく、原子力発電所について、発電方法や制御方法、放射性物質の性質や取扱方法などについて、学ぶらしかった。私は、一応、若い頃、実習で原子力発電所内の放射線管理区域内で2ヶ月程、働いた経験があるので、座学の内容は、把握ができた。2ヶ月目から、座学が無くなり、実習がメインとなる。実習では、放射線管理区域での実際の保守点検業務や、VR(仮想空間)での廃炉作業の練習なども体験できるらしい。3ヶ月目に入ると、水中プールで最新型の防護服を着用しての作業訓練などが組み込まれていた。私は、このプランに沿って訓練すれば、確実に新型防護服を着用して、原子炉内のデブリを取り除く廃炉作業を人の手で行うことは、できなくはない、と感じた。昨今の災害ロボット技術、VR技術の発達により、メルトダウンを起こした3基の原発のそれぞれの原子炉の破損具合、デブリの位置を廃炉委員会は既に掴んでいて、VRでそれを再現できる所まで進んでいると、私は何かの報道で聞いた記憶がある。あとは、デブリの取り除きを人の手で行うだけなので、大きな事故さえ起こさなければ、私の任期期間である1年で、デブリの一部分でも取り除けるだろう、と私は予想していた。

 ここまで説明を受けたところで、1時間の昼休み休憩の時間となった。渋谷は、

「では、1時間後、説明を再開します。昼休憩に入ってください。」

と言い残し、スタスタと訓練室から出て行った。我々は、渋谷からもらった社員証をストラップ越しに首から下げ、食堂に向かった。食堂は、廃炉委員会で働く職員で、ごった返していた。ただ、都会の満員電車のような、120%の充足率ではなく、90%の充足率で、少し待てば食事にありつける状態だったので、私は、その列に並ぶ事にした。食堂のメニューは豊富で、和洋中が揃っており、副菜も充実していたため、昼食のメニューで困る事はなさそうだ。これで実質、食べ放題だとは、有り難い。私は、和食の焼魚定食とほうれん草のお浸しを自分のお盆に配膳し、IC機能付きの社員証で、タッチパネル形式で会計を済ませた。午前中、一緒の講習を受けた廃炉作業員候補とは、まだ打ち解けていなかったので、私は、A社の事業所と同じように、1人掛けのテーブルを探し、黙々と昼食を採った。ここの食堂の味は、決して悪くはなかった。確かに、都会のランチ時にやっている飲食店の味には追いつかないが、コンビニの弁当よりは味がよく、魚、野菜をメインにしたことから、栄養価も取れている気がした。個人的には、昼食に満足して、研修室に戻った。

 研修室に戻ると、他の9人が、それぞれ着席して、午後の授業までの時間を過ごしていた。私も、特にやる事はなかったので、こっそり持ち込んだ文庫本を手に取り、読み始めた所で、隣の席の男性から、

「その本は、何ですか?」

と、標準語で質問を受けた。男性は、中肉中背で、身長が160センチメートル程度と小柄であったが、口髭を生やし、貫禄を醸し出す事で、私と同年代の様に見受けられた。確か、家電製品の設計に携わっていた人で、名前は鈴木、だったと思う。私が、

「昔、流行した宮城県在住の小説家の初期の作品ですよ。大まかにはミステリーに分類されるらしいですが、この人のセリフ回りが好きで読んでます。」

と、小説家の名前と一緒に本を紹介した所、鈴木は、

「俺、実は宮城県出身なんですよ。その作家さん、仙台にいた頃に、喫茶店で見かけたことがあります。」

と応えてくれた。私は、その小説家の大ファンであり、現実と虚構が入り混じった世界観が好きだったので、そこから、我を忘れて、私も一時期、仕事の関係で仙台にいたことがあり、土地勘があるので、その小説家とどこであったのか、その時、どんな風貌だったのか、他にその小説家の出没ポイントはないのか、などなど、鈴木を質問攻めにしてしまった。鈴木は、私の熱に押されながらも、1つ1つ丁寧に応えてくれた。私が我に返って、鈴木を質問責めにしたことにようやく気付き、非礼を詫びると、鈴木は、

「好きな物には、人を惹き付ける魔力がありますね。また話しましょう。」

と大人の対応をしてくれた。鈴木との会話が一段落したところで、渋谷が午後のオリエンテーションで研修室に入室してきたので、我々は雑談を止め、オリエンテーションの内容に集中した。

 午後のオリエンテーションは、どちらかというと、事務的なものが多かった。出向先として受け入れるために廃炉作業員に提出する書類の作成、給与振込の銀行口座の設定、廃炉委員会で支給する作業着、安全靴の採寸など、流れ作業で進んでいった。特に作業着、安全靴に関しては、現在、我々は前所属の作業着を着用しており、それでも作業には支障はないのだが、廃炉委員会の一員として、統一感を出すこと、不慮の事故が発生した時に、廃炉作業員の職員であることが一目で分かることを目的に、廃炉委員会が費用を負担する形で新品の作業着が準備されることになった。新品の作業着が準備されるまでは、前所属の作業着で研修を受講してよい、と渋谷から申し伝えがあった。私は、この点には、特別不満はなかったので、そのまま受け入れた。

 事務手続きを終えたところで、初日は終了となり、我々は残業なしで宿舎に戻ることになった。最後に、渋谷から、宿舎から廃炉委員会までの移動に関して、申し伝えがあった。訓練期間のうち、座学がメインになる最初の1ヶ月は、廃炉委員会がワゴン車で送迎するので、それに乗って宿舎から廃炉委員会に移動する事、訓練期間の2ヶ月目以降は、実習の関係で、全員同じ時間に帰宅できるとは限らないので、協力会社であるA社、B社、C社の従業員が乗る、大型バスに乗り込んで、宿舎から廃炉委員会に移動すること、大型バスは、朝は7時から9時、夜は18時から21時まで、20分間隔で走っている事、21時を過ぎて実習が行われる場合は、廃炉委員会で、送迎タクシーを準備すること、廃炉委員会の駐車場は、廃炉委員会直轄の人間が使用するため、許可なくマイカー通勤はしないこと、が説明された。私は、これで、移動の心配はないな、と安堵した。

 我々は帰りのワゴン車に乗り込み、廃炉委員会の出入り口に近づいた。また、窓のから、いかつい警備員が身分証の提示を求めてきたので、我々は顔の脇に身分証を掲げ、無事、廃炉委員会の外に出る事ができた。ワゴン車の運転手の運転に揺られ、宿舎まで戻る間、我々はお互い、一言も話さず、ただ座っていた。ワゴン車が宿舎に到着し、運転手から降車を求められるまで、我々は、特に示し合わせた訳ではないが、お互い、話す事はなかった。私は、宿舎に着き、自室に戻って、一旦荷物を置いた後、食堂に向かった。我々10人のうち、何人かは、ワゴン車から降車後、そのまま食堂に向かったらしい。数人が群れになって、夕食を食べていた。私は、彼らの群れに入る気にならず、用意された夕食をお盆に配膳し、白米を自分で茶碗に盛った後、人気のないテーブルを選んで、1人、黙々と食事をした。A社の事業所にいた頃は、時間が惜しかったのと、談笑して仕事への集中力が切れるのが嫌だったので、私は、よく昼食を1人で済ませることがあった。ここでも、一緒に入っただけの人間と馴れ合う気にはなれなかったので、1人、夕食を食べ進めていた。食堂の味は、とびきり美味しい訳ではないが、少なくともA社の事業所の食堂よりは美味しかった。

 食事が終わり、宿舎に併設されているコンビニを物色したが、今回は欲しい物が見つからなかったため、何も買わずにコンビニを後にした。特別、やる事もないので、自室でぼんやりすることにした。自室の布団に寝そべって、今日あったことを振り返ってみた。しかし、渋谷の生真面目な顔が思い浮かぶだけで、それ以外は、自分が経験した事のない出来事は無かった。今日1日を振り返って、反省することがないことを確認し、私は、趣味である海外サッカーの動画配信を、イヤホンをつけて30分程鑑賞した後、シャワーを浴びて、その日は寝ることにした。鈴木という人間と、好きな作家のことで話したことは楽しかったが、存外、嫌なこともなかった。酒を飲む特別な理由が無いので、今日は、酒を飲むことを止めておいた。22時頃に床に着いたが、扉の外から話し声が聞こえる。多分、残業してきた作業員が帰ってきたのだろう。特別、こちらに危害を加える様子はなさそうなので、私は、騒音を気にせず眠ることにし、数分後には、眠りに落ちていた。

 翌日からは、廃炉委員会での座学が始まった。私がA社の事業所の原子力部門で携わった製品は、原子力発電所を動かすための装置の一部であり、上司からは、余計な事を考えず、仕事を効率的にこなすように、都度指示を受けていたため、原子力発電所に関して、体系的に学ぶ機会を失っていた。原子力発電所の不安定さは、設計者である私が一番知っていて、今後の増設などは考えたくも無かったが、知識として、原子力発電所の事を知らずに批判をしても、説得力に欠ける。私は、何かを学ぶ事自体は嫌いではなかったので、座学で行われる講義の内容を、自分なりに吸収していった。私は、分からないことがあると、大学の講義の時と同様に、休憩時間内で可能な範囲内で、講師の方に質問していた。講師の方も、質問を無下に扱うことはなく、休憩時間という制約があるものの、大抵の質問に関しては、丁寧に応えてくれた。座学スタイルで、学習だけに専念していい時間は、社会人になってから、確保できていなかったので、私は、学生時代を思い出して、それなりに熱心に講義を聴いた。懸念していた小テストは、持ち込み可の場合も多く、大学のレポートのような論述問題は少なく、空欄に必要な語句を入れる、穴埋め問題が多かった。私は、それなりに熱心に講義を聴いていたお陰で、毎回、及第点を取ることができていた。他の廃炉作業員達も、それぞれのスタイルで、座学に向き合っていた。中には、小テストで及第点を取れない廃炉作業員もいたが、そこは、昼休みで補講を行い、追テストで及第点を取らせる、という温情処置が取られていた。私は、座学が始まってから、毎朝、起床後、食堂で朝食を採り、ワゴン車で廃炉委員会に向かい、午前、午後と座学に取り組み、帰宅後、食堂で夕食を採り、寝る前に座学で学んだ事を、一通り頭の中で復習してから眠る、というルーティンな生活を1週間程送っていた。大学のように、興味がある科目を履修して講座を受けるスタイルではなく、受ける講座は、廃炉委員会が決めたカリキュラムなので、そこに自由度こそなかったが、それ以外は、私は大学時代に戻ったような、快活な気分になっていた。私は、A社の原子力部門に在籍した際、実習を兼ねて、2ヶ月ほど、原子力発電所内部の、放射線管理区域で働いたことがあり、放射線管理区域で働くための講座を受けさせられた経験から、講義の内容の一部は、既に知っている内容もあったが、体系的に1つの事を学べる喜びの方が勝っていた。その他の廃炉作業員の中には、座学が苦手で、早く体を動かす研修に取り掛かりたい、と言っている者もいたが、私にとっては、座学の期間を楽しく過ごすことができた。金曜日になり、その日の最後の講義を終え、私はワゴン車で宿舎に帰ってきた。いつも通りに、食堂で夕食を済ませ、自室に戻って、1週間の出来事を、頭の中で整理してみた。はじめに出会った渋谷の生真面目さには、多少面食らったが、それ以外は、座学で講義を聞き、偶に小テストを受ける、の繰り返しだったので、そこまで体力的に疲れてはいなかった。土日は廃炉委員会に出かける必要はないので、私は、特にめでたいことがあった訳ではないが、少し酒を飲むことにした。常温保存しているウィスキーをグラスに注ぎ、それを、先程、自販機で買ってきた炭酸水で割って、ハイボールにして飲み始めた。ハイボールの炭酸が、乾いた喉に、よく染みる。私は、1杯目を開ける頃には、ほろ酔い加減になっていた。明日は何もないことをいいことに、2杯目のハイボールを作り、1人飲んだ。1人飲みは、寂しい分、他人に迷惑をかけなくてもいいため、自分の気分で酒量を決められる。私は、2杯目を飲んだ所で、1人飲みを勝手にお開きにし、趣味のサッカーの動画配信サービスの映像を30分くらい見てから、そのまま布団に入った。今日はなんだかよく眠れそうだな、と思った所で記憶がなくなり、気付いた時には、次の日の朝だった。

 土日丸々休みになることは、ゴールデンウィーク、お盆、年末年始といった、長期連休を除けば、A社の原子力部門に配属されてから、ほぼ無かったように記憶している。私は、元来、気が小さいため、仕事が繁忙期でない時でも、土曜半日出勤して、来週の仕事を円滑に進める準備をしたり、偶に依頼のある特許の執筆をして、過ごしていた。門限があるとは言え、土日、丸々自由に使えるとなると、意外とやることに困る。ただ、今週は、宿舎で1週間生活してみて、さらに必要になった物を揃える必要があったので、身支度を整えてから、車で先週行った、商業施設に向かう事にした。車に乗り込み、自動運転機能をオンにして、商業施設までの道のりを、深く考えずに移動した。商業施設に着いてから、まず向かったのが、家電量販店だった。家電量販店で、電気でお湯を沸かすことのできる、電気ポットを購入した。これで、いつ何時、食堂で食事を採ることができなくても、カップラーメンの備蓄さえあれば、急場を凌げることに、私は宿舎で生活して3日目に気付いた。最近は1分ですぐにお湯が沸く電気ポットが主流で、家電量販店のラインナップも、性能としては同じ物が多かった。私は、電気ポットに特別なこだわりが無かったので、名前を聞いたことのあるメーカのうち、一番安い電気ポットを購入した。電子レンジは、念のため、以前、賃貸アパートで使っていた物を引っ越しの荷物と一緒に送っておいたので、今回、購入する必要はなかった。これで、私は、電子レンジと電気ポットを所有することになり、1人暮らしの宿舎が、少し豪華になった気がした。宿舎が6畳1間で、小型の冷蔵庫を置いても、生活スペースを専有してしまう。これから季節は冬になり、部屋の常温保存で、そこまで悪くなる食材を購入することもないだろう。小型冷蔵庫の購入は、今回は見送ることにした。その後は、スーパーに向かい、カップラーメンを中心に、日持ちする食材と、今日の夜、食べる分の惣菜を購入した。アルコール類として、日本酒とウィスキーを1本ずつ、忘れずに購入した。生活に必要な物を購入できた後、私は、先週同様、牛丼のチェーン店で、先週と同じメニューを注文し、それを食べた。廃炉委員会や宿舎に入っている食堂業者は、全て同一のため、味もほぼ同一だった。偶に食べる牛丼は、味に拘りのない私でも、嬉しくなる味だった。牛丼を食べた後は、書店に向かい、面白そうな本を物色し、2,3冊購入した。現在は、電子書籍が主流で、紙の本は、電子書籍に比べ、同じ内容でも約2倍の価格がするため、一種の贅沢品扱いになっていたが、私は、読書するなら紙の本派であった。多分、A社という電機メーカに勤め、書類の大半をPCで作成、長時間PCと向き合い、日頃から眼精疲労が酷かったため、休みの時まで、電子書籍で眼を痛めつけたくない、という心理が勝手に働いたのだろう、と私は勝手に分析している。賃貸アパートにいた頃は、近くに古本屋のチェーン店があり、よく入り浸っていたが、宿舎近辺では、古本屋をまだ見つけられずにいた。買った本は、小説、新書と、サッカー関連の本だった。私が本を買う場合、基本は、ノンフィクションの学術系のジャンルが多い。私が理工学系の大学院を修了していることに起因しているのかも知れないが、宇宙や、ロボットといった、理工学系の新書の心時めく時があった。今回は、素粒子に関する新書を購入してみた。また、その他のジャンルとしては、自己啓発本を買うことが多かったが、廃炉作業に、ビジネスの効率化等の内容は関係ないと思い、この1年は、自己啓発本から卒業しようと心に決めていた。小説は、学生時代はよく読んでいたが、A社の原子力部門で働くようになってから、読む頻度が減っていた。今回は、自己啓発本を止める代わりに、お気に入りの作家の文庫本の小説を購入することにした。サッカー関連の本としては、A社の原子力部門に所属していた時には、サッカーだけでなく、スポーツ全般を特集する隔週発行の雑誌を、年間購読していたが、廃炉作業員になるため、年間購読を解除していたその雑誌を購入した。私の苦手な競馬特集以外は、その雑誌が届く度に、毎回隅から隅まで読み込んでいた。今回のその雑誌の特集は、サッカー特集だったので、個人的には特に嬉しくなった。必要な買い物が終わり、それ以上、商業施設に用事はなかったので、私は、車に乗り込み、宿舎に戻った。宿舎に戻っても、まだ時間は14時だった。私は、購入した物品をそれなりに分類、整理し、午後は読書に取り組む事にした。外からは、先週と同様、おじさん達がわいわい騒いでいる。どうやら、競馬の馬券を買い込み、そのレースで興奮している様だった。私は、子供の頃、父親が公務員で稼ぎが少なく、母親がパートタイムで働いて家計を補い、毎月の父親の給料日には、いつも生活費の不足で両親が揉めた過去があり、自分が稼いだ生活費内で生活し、生活費に余裕があれば貯金する生活を送っていたため、生活費を賭け事に使う感覚が分からなかった。賭け事は嵌れば楽しいのだろうが、一生懸命仕事をして稼いだ対価であるお金を、賭け事にかけて一瞬で無くす行為に理解ができなかった。理解できないどころか、寧ろ、嫌悪していた。A社、B社、C社から派遣されている現場作業員といっても、現場作業に従事する人間は、たぶん人間の質として、私と釣り合わないのだろう。私は勝手にそんなことを思いながら、イヤホンをして、無料配信サービスで音楽を聴きながら、読書に集中した。A社の原子力部門に居た時の様に、来週の仕事の準備に気をかけなくてもいいので、読書はすこぶるはかどった。よほど読書に集中していたらしい、気付いた時には夕方で、私は少し早いが、スーパーで購入した総菜で、1人晩酌を始めることにした。準備としては、買ってきた総菜を広げ、酒の準備をするだけなので、5分で晩酌は始まった。酒は、今日もウィスキーのハイボールにした。買ってきた、ほうれん草のお浸し、から揚げ、焼き鳥、さばの塩焼きを一口食べて、ハイボールを一口飲む。酒がなくなれば、炭酸水とウィスキーでハイボールを作って、無言のまま酒を勧めた。総菜のクオリティは高く、酒は進んだ。総菜と酒の無限ループも、総菜がなくなった所で終了し、今日の楽しみは終わった。私は、インターネットのニュースサイトで、今日の世の中の出来事を確認し、サッカーの動画配信サイトの情報を確認して、その日は寝ることにした。明日も1日休みだ、と休みであることに感謝しながら、私は眠りについた。

 次の日も、前の日と同じく、いつもと同じ時間に目が覚めた。普段、休日は昼前まで寝過ごすことが多いのだが、ここ1週間、健康的な生活を送っているからだろう、土日に寝溜めをしなくとも、体力に余裕がある状態だった。昨日買った物で朝食を済ませ、身支度が整った時点で、今日は、目的もなく、午前中、散歩に出かける事にした。宿舎から廃炉委員会までは、車移動がメインで、宿舎周辺の細かな道を理解しきれてはいなかった。一応、スマートフォンを持っていれば、道に迷っても、地図アプリで大通りまでは出られるだろう。私はそんな憶測の元、徒歩で外出する事にした。日曜日の午前中、他の作業員は、まだ寝ているらしく、宿舎には、ほとんど人気がなかった。一応、何かあった時に備え、身分証と多少の現金をバックに入れ、私は、宿舎から歩き始めた。宿舎からは、街に向かって1本道が通っているだけで、その他は杉の木の森林になっていた。どうやら宿舎は、森の一部を開梱する形で作られたらしい。私は、街の方向に向けて、無心にてくてく歩いて行く。1本道の脇にあるガードレールの外には、住人が使うような、畦道は見つからなかった。どうやら、宿舎は、本当に山の中にあるらしい。更に歩を進めていくと、ようやく森林がなくなり、田んぼが現れ始めた。ただ、田んぼと言うには、手入れがされているようには見えず、雑草が至る所に見受けられ、休耕地に近いようだった。F県の原発事故の影響で、緊急避難区域に指定されたこの地は、原発事故で飛散された放射性物質の放射線量が高く、10年程、一般人が立ち入ることも許されなかったと聞いている。多分、この地に住んでいた住人も、強制的な避難を余儀なくされ、避難先で生活を再開し、そこに居着いてしまったため、この地に戻って来ることができなかったのだろう、と私は想像した。ただ、見える範囲の田んぼで、少数ではあるが、稲作、または畑作を実施している形跡が見て取れた。少数派ではあるが、自分の住んでいた土地に愛着を持ち、緊急避難指定解除後、この地に戻ってきて、生活を再開させた人もいるらしい。この光景を見ると、私は、人間という生き物の力強さを感じずにはいられない。

道なりに歩を進めていくと、宿舎から徒歩30分のところで、コンビニを発見した。コンビニは、宿舎や廃炉委員会に入っているコンビニとは、別のチェーン店だった。田舎のコンビニらしく、広い駐車場が特徴的だ。徒歩30分歩いて、いい運動になったので、私は、コンビニで、昼食を兼ねて、一休みする事にした。コンビニの中は、全国どこに行っても、画一的で同じ商品が揃えてあり、コンビニにいる間だけ、F県の廃炉委員会に出向していることを忘れそうになった。これまでのコンビニと違う点は、コンビニの一角で、地元のとれたて野菜が売られていることだ。コンビニも多角化が進んでいるが、地元野菜の販売を始めるとは、ますます地域への依存度が上がってくるな、と私は内心思っていた。コンビニにはイートインスペースがあったので、コンビニの弁当と飲み物を買い、イートインスペースで食べた。弁当の味は、やはりコンビニ、と分かる味で、全国、どこで食べても一緒だった。宿舎の周囲の状況がなんとなく分かったので、徒歩で30分戻ることを考慮し、今日の散策はこれで終了することにした。今日の夕飯がないことに気づき、夕飯用の弁当を再度、コンビニで購入、温めは不要とお願いして、持ってきたエコバックに弁当を入れ、元来た道を戻った。

 宿舎に戻った所で、時刻は13時を回ったところだった。特別、急ぐ用事はなかったが、洗濯物をしておいた方がいいことに気付き、洗う物と洗剤を持って、洗濯室に向かった。洗濯室は、日曜の午後、ということもあり、8台中2台、空いている状態だった。いろいろな洗濯機の種類があったが、空いている2台は、ドラム式ではない、通常の洗濯機だった。私は、洗濯物を洗濯機に入れ、洗濯機の電源を入れた。洗濯機が通電したことを確認して、おいそぎボタンを押し、洗濯機を稼働させた。洗濯機に水が溜まっていくのと、終了予定時間を確認し、私は、自室に戻った。自室で読書をして、洗濯終了時間の頃に洗濯室に向かうと、ちょうど、洗濯が終わっていた所だった。洗濯室の奥は、自然乾燥ができる、乾燥スペースになっているようだ。私は、そのスペースで洗濯物を干し、自室に戻った。この宿舎には、コンビニの店員と食堂のおばさん以外、女性はいないことが、ここ数日の生活で分かった。男同士と言っても、おじさん同士だから、洗濯物の奪い合いも無いだろうと予想して、2,3日中に洗濯物を取りに来ることを忘れないように記憶し、私は乾燥スペースを後にした。衣類に関しては、繁忙期を予想して、念のため2週間分、一式を用意していた。多分、土日のどちらかで、洗濯を行う、このペースを維持していけば、問題ないだろうと考えていた。

 土日でやらなければいけないことは、ほぼ全て完了した。外では、競馬に熱中しているおじさん達が、軽く騒いでいる。その歓声を無視する様に、私は、音楽配信サイトからお気に入りの音楽を選び、イヤホンを付けて曲を流しながら、昨日購入した本を読むことにした。1人の時間を自分の思うがまま使用できる、とても貴重な体験を有意義に過ごし、読書に熱中した結果、外は暗くなり、競馬をしていたおじさん達はどこかへ消えていた。私は、エコバックから購入した弁当を取り出し、電子レンジで温めて食べた。やはり、昼食べた時と同じ、コンビニの味がした。最近、テレビ等のメディアを見る機会がめっきり減った私だが、週末のニュース番組だけは、PC経由で観るようしていた。A社の原子力部門や、廃炉委員会にいると、外界から隔絶されたまま、仕事のみに集中できるが、世の中の情勢が分からないまま仕事をしていると、いざ、仕事を辞めた時、世の中の流れについていけなくなることを懸念しての行動だった。ニュースでは、首都圏で殺人事件があった、東海地方でこどもが行方不明になった、P国がQ国を侵略した等、色々なレベルの事件を五月雨式に紹介していた。ニュースを見ながら、この国の治安は、年を追うごとに悪化しているな、と実感せずにはいられない。私が生まれた頃には、既にこの国も欧米化が進んでおり、特に都市部において、連日、殺人事件が発生していた。私の子どもの頃には、この国の特徴でもある、礼節を重んじる文化が軽視し始められ、どんな手段を使っても、警察にさえ捕まらなければ、お金を儲けた人間の勝ち、という風潮が強くなった。犯罪も、緻密化、巧妙化が進み、国内の強盗などの犯罪指示を、海外に移住した犯罪組織の頭がスマートフォンで行い、諸経費を引いた儲けは、マネーロンダリングされた後、犯罪組織の頭に入り、彼らは海外で悠々自適に生活する、という犯罪まで出現した。私が社会人になる頃には、子どもの頃、存在していた、近所付き合いという習慣も無くなり、人々は、隣は何をする人ぞ、と素性を知らない人間同士が、お互い暗黙の了解で牽制し合いながら、日々の生活を送っていた。最近では、市民の防犯を守る警察の、長時間労働等のブラック体質が世間に発覚したため、警察官を志望する若者が減少していると聞く。警察でも、国家予算で警備ロボットを作り、街中を巡視させる取り組みを行っている様だが、警備ロボットの巡回パターンが簡単に分かってしまうらしく、犯罪の抑止力にはなっていないらしい。ニュースを見ていると、この国には、希望が持てないな、と思い、私はいつも落ち込む。我々現役世代が、もっと活性化して活動しないと、と動画サイトで活動家風の人間が声高に叫んでいるが、私は自分の生活を守ることで精一杯だ。ましてや、約30年前に発生したF県の原発事故を、期限が来る度に工程を先延ばしにし、まるで無かったかの様に生活している都会の人間の感覚が、私には分からなかった。私の少しばかりの責任感は、原発の廃炉のために活用するのがいい。ニュースを見ながら、そんな風に思考が二転三転していた。私はそのことに気づき、ニュース番組が終わる前にブラウザを消し、趣味の海外サッカー観戦を30分程した後、月曜の廃炉委員会への出社に備えで、シャワーを浴び、早めに床についた。今日は、約1時間、散策で歩いたためか、思ったより早く睡魔に襲われた。

 廃炉委員会での生活も2週間目を向かえた。座学の内容は、少しずつ専門的にはなっていくものの、講師陣の教え方が上手いこともあり、私でもまだついていけるレベルだった。流石に10日間も同じ空間で座学を受けていると、どちらからということもなく、休み時間、雑談をする機会が増えてきた。私は、席が隣の、鈴木と話す機会が多かった。鈴木は、元は家電製品の設計をメイン業務としていたらしい。家電の設計でも、電子回路の設計がメイン業務だったようだ。私も電子回路設計の基礎知識は持ち合わせていたため、鈴木とは、回路設計談義で花が咲くことが、度々あった。私が仕事で扱っていた原子力発電所の制御装置は、1秒の千分の1のms(ミリセコンド)の単位で装置を制御する事が多かったが、鈴木の話では、家電製品の電子回路の場合、1秒の一万分の1のμsマイクロセコンドの単位で部品を制御するらしい。分野が違うと単位も違ってくるのか、と感心させられる出来事だった。また、鈴木は、主にアナログ回路を得意とする設計者だったらしいが、デジタル回路の設計で、集積回路を設計する場合、μsからさらに千分の1に単位が下がり、ns(ナノセコンド)で回路を設計すると聞いた。そこまで来ると、私の頭の中では、設計が追い付かないですね、と私は素直な感想を鈴木に返した。出会って10日で、面識は出てきたものの、我々は、まだお互い、敬語で話し合っていた。鈴木以外でも、元自動車関係の設計者である、岡本、という人間と親しくなった。岡本は、180センチメートルを超える長身で、横幅も太く、一見すると相撲取りに見えなくはないが、どうやら電気系の技術力が高いらしく、自動車の試作機を作る時は、自分で電子回路を設計、工作し、試作機に搭載して試験するほど、手先も器用とのことだった。岡本は、主に鈴木と話したかったみたいだが、隣にいる私を邪険に扱うこともなく、話の輪に加えてくれた。岡本は、見かけによらず聡明な人間のようで、私の少し的外れな質問に関しても、間違いを指摘した上で、正しい知識を回答してくれた。私は、岡本は、鈴木とは別のタイプだが、信頼のおける人間だな、と感じていた。

 2週目の後半の座学で、放射線管理区域内での立ち振る舞いに関する講義が始まった。私は、一応、放射線管理区域内で働いたことがあったが、それは10年以上前の話だし、働いていた場所は、それなりに放射線量が管理された区域が多く、今回のように放射線量が高い区域での作業の経験はなかったので、特に真剣に話を聞いた。原子力発電所内での放射線管理区域は、放射線量が低い順に、B、C、D区域に分かれている。各区域に従い、放射性物質から体を守るための、防護服の装備が、異なってくる。一般的な作業ができるB区域だと、ヘルメットと防護服、手袋と安全靴、といった工事現場レベルの服装で入域が可能だが、D区域になると、防護服を2重に着込み、頭まで防護服を被り、特別なアイシールドで目を覆った状態で、手袋も2重、手袋、安全靴と防護服の間から放射性物資が入り込まないよう布テープで手首と足首を固定した状態で作業する事になる。D区域での作業は、放射性物質の影響が高い、原子炉の底の燃料棒の異常確認などが想定されている。また、放射線管理区域に入る際、入域管理の職員から、ガラスバッチと呼ばれる放射線量を計測する装置を借り、入域時、必ず防護服の胸ポケット等にガラスバッチを入れ、作業時間中の放射線量を計測することが義務付けられており、放射線量は、管理区域に入域の際、必ず計測し、計測結果を待機室に置かれている端末に記録し、管理することが求められている、と講師はガラスバッチを右手にかざしながら我々に説明した。講師は、この記録した放射線量が、国で定めた、外部被ばく量を超えた場合、その人間は、廃炉委員会でその年、作業ができなくなり、それぞれの所属していた会社に戻ってもらうことになる、と続けた。私は、ここでようやく、宣誓書に書かれていた、廃炉委員会で1年、廃炉作業が完遂できなかった場合、年収の10倍を払うことなく、廃炉委員会から帰ってもらう、という文言の意味が分かった。何らかの理由で、年間の放射線量が、外部被ばくと同等になった場合、国の規定で、継続して廃炉委員会での作業が困難になり、廃炉に向けての双方のメリットが無くなるため、その時、契約を解除するための条項だったと、ようやく理解した。外部被ばくは、今後、廃炉作業が終わった後も、健康に暮らすために避けなければならない事象であるため、私は、今後の実務訓練に向けて、更に気を引き締めて臨むことを決心した。この後、講義は、実際のデブリの人力による取り出しについての説明に移った。現在、メルトダウンを起こした原発には、該当部分に無理矢理、水を流すことで核反応を起こさない様、冷却しているのだが、その区域のことを、廃炉委員会では、特級区域、と呼んでいるそうだ。これまでの管理区域の呼び方である、B、C、Dの上の意味だが、これまでの管理区域と放射線量が桁違いに異なるため、特級区域と呼ぶことにしたそうだ。私は、子供の頃に流行した、呪いをテーマにしたバトル漫画を勝手に連想していた。特級区域では、ガラスバッチの携帯は必須だが、防護服もD区域とは異なり、宇宙服のような頑丈で放射性物質を理論上は99.9%カットできる新型防護服を着用して作業することになるそうだ。この作業を想定して、我々には、まず、VRを使った特級区域内での作業と並行して、B、C、D各区域での作業を体験してもらう、との通達があった。廃炉委員会では、ここまでで2か月かかることを想定しているらしい。それらが終了したのち、残り1か月で、新型防護服を着用した、廃炉委員会に用意されたプール内での訓練を経て、特級区域での実際の廃炉作業に着手することになるそうだ。私は、ここにきて、ようやく自分が実際の廃炉作業を行うのだな、と実感を持った。この1ヶ月、残業は無いが、約3ヶ月後の実際の廃炉作業に向けて、万全の体制で臨める様、準備を怠らないように日々を過ごそう、と思った。

 2週目の講義が終わり、金曜の宿舎に戻り、また2日間の休日になった。金曜の夕飯時、鈴木と岡本と夕食を採っていたが、鈴木から、

「明日、暇なら、夕方、街に出て飲みに行きませんか。車は俺が出すので。」

と申し出があった。鈴木は、酒は飲めないが、酒場の雰囲気が好きで、前の職場でも、よく同僚を誘って、飲みに行っていたらしい。その時の運転役は、鈴木が買って出ていたそうだ。私は、断る理由もなかったので、

「21時までに宿舎に帰ってこられるなら、参加してもいいですよ。」

と応えた。岡本も、特に異論はなかった様で、明日、土曜の16時に、宿舎の自販機の前に集合、で話がまとまった。

 明けて土曜日、私は、午前中、先週と一緒で、自分の車で近くの商業施設に向かった。家電量販店には行かなかったが、スーパーで日持ちする食材を購入し、牛丼を食べ、本屋で立ち読みをして、2冊、本を買った。宿舎に戻ってからの課題が無いと、平日の空き時間と休日で、本を読む時間が、思ったよりも確保できた。今回は、新書と小説を1冊ずつ、購入した。用事が終わって、宿舎に戻り、待ち合わせ時間まで、読書をして時間を潰した。私は、16時になる10分前に、待ち合わせの自販機の前に到着した。鈴木と岡本も、ほぼ同時刻に待ち合わせ場所に到着した。私と岡本は、鈴木の大型車に乗り込み、鈴木の運転で市街地の居酒屋を目指すことになった。鈴木は運転が好きらしく、週末暇があると、ドライブで遠出するそうだ。市街地まで、片道20キロメートルくらいだが、鈴木としては、朝飯前の距離だそうだ。私と趣味が全く違うな、と思いつつ、鈴木の運転の上手さに感心していた。鈴木の快適な運転で20分も進むと、少しずつ家が多くなってきた。車の車線も増えていった。どうやら、市街地に近づいてきたようだ。今回は、運転と店のセッティングまで、鈴木が行ってくれたため、少なくとも私は、どんな雰囲気の店に行くのか、知らなかった。鈴木は慣れた手付きで今回の店の近くの駐車場に車を止め、我々を店まで先導してくれた。鈴木が選んだ店は、日本料理の海鮮居酒屋だった。17時スタートの店だったらしく、我々が到着すると、居酒屋の従業員が、ちょうど店先に暖簾をかける所で、我々はスムーズに入店する事ができた。我々は、鈴木が予約してくれた、奥のテーブル席に腰を降ろした。すぐに店員がお通しと共に注文を取りに来たので、鈴木はウーロン茶、岡本と私は生ビールを注文した。合わせて、海鮮サラダと、すぐに出てきそうなつまみを3品注文した。小気味いい店員の動きと共に、飲み物が運ばれてきた。会の幹事である、鈴木が、

「我々の出会いに乾杯。」

と芝居掛かったセリフと共に、我々は乾杯を行い、酒宴が始まった。先程の小気味いい動きをしていた店員は、有能らしく、我々の会話を邪魔しないタイミングで、3品のつまみを持ってきてくれた。私と岡本には、まだ少し壁がある感じだったので、序盤は、鈴木が話を振り、我々が個別に応える形となった。鈴木は改めて、B社の家電製品部門で、製品開発をしていたことを話した。それに釣られる形で、私はA社の出身で、原子力部門で制御装置の設計業務に就いていたことを話した。最後に岡本が、C社の自動車部門で、試験装置の設計部門に所属していたことを話してくれた。私は、自動車部門の設計装置、という言葉がピンとこなかったので、岡本に、

「それって具体的に、どういう装置なんですか?」

と質問した。岡本は、

「簡単に言うと、自動車の耐久試験で使う装置を作っていました。自動車業界の場合、出荷前に抜取りで耐久試験を行う規則があり、その装置の設計をしていました。」

と丁寧に応えてくれた。私は、世の中には、色々な仕事があるのだな、と思い、

「ありがとうございました。」

と岡本に話した。そこで会話が止まってしまったため、鈴木が慌てて、プライベートな内容に話を持っていってくれた。3人の年齢は、多少のばらつきはあるものの、全員30代だった。最近は晩婚化が定着し、35歳を超えてからの結婚も珍しくは無かった。鈴木は、自分が未婚であることを公表した上で、我々に結婚の有無を聞いてきた。私は未婚と応え、岡本は結婚歴がある、と応えた。結婚歴がある、という事は、多分、結婚して離婚したのだろう、と判断し、私は岡本が何か言う前に、

「皆さんの趣味は何ですか。私は、読書とスポーツ観戦です。」

と話題を変えた。鈴木は、ドライブとスポーツ観戦、特にサッカーを観るのが好きと応え、岡本は、ネットゲームが趣味で、特にサッカーゲームにハマっている、と応えた。ようやく、3人の趣味の共通項に、サッカーの文字が現れたので、そこからは、私が主導権を握り、自分のサッカー観について話した。Jリーグが創設されて50年、近年では、幼少期から本場欧州のクラブチームの下部組織で鍛えられ、欧州5大リーグのトップクラスのクラブでスターティングメンバーに名を連ねる選手が、そのままサッカー日本代表として戦い、前回のワールドカップでは、予選リーグを突破し、とうとう決勝トーナメントでベスト4まで勝ち残る活躍をみせたが、サッカー日本代表が、ワールドカップで優勝するために、他の列強国と比較して、何が通用して、何が足りていないのか、ついつい熱くなって語ってしまった。鈴木は、

「私もそう思うよ。」

と合いの手を入れて話を聞いてくれたが、岡本は、私の熱気に少し呆れてしまったらしい、私の話の途中から、ビールを飲むペースが上がっていた。私は、ふと我に返り、岡本に、

「そう言えば、オンラインゲームでは、日本代表の立ち位置は、どんな感じですか。」

と話を振った。岡本は、

「日本代表は、強豪の10チームの次にランキングされていますね。個々の選手は、クラブチームの主力選手になっていますが、日本代表になると、戦術がイマイチで、選手の個性を活用できていないように思います。」

と語り始め、日本代表に適した戦術、何故、その戦術を推すのか、そして、その戦術を主に使うクラブチームと日本代表との親和性、などを語ってくれた。偶然にも、岡本が語ってくれたことは、私も考えていたことだったので、岡本が語り終えるところで、

「いやー、私も同じ事を考えていましたよ。同志が増えたみたいで嬉しいです。」

と岡本に話した。それを聞いて、鈴木は、

「みなさんの共通の趣味があってよかった。次、何頼みます?」

と我々に酒のおかわりを促してくれた。この店は、日本酒の品揃えが有名らしい。私は、少し早い気がしたが、私の地元で有名な地酒を一合、注文した。岡本と鈴木は、それぞれビールとウーロン茶をおかわりした。また、つまみも少なくなってきたので、地魚のお作りの盛り合わせを人数分、頼んだ。F県の原発事故以来、F県の太平洋沖で捕れる魚は放射性物質に汚染されている、との風評被害が流れ、F県の漁業関係者は非常に苦労したと聞くが、我々は、廃炉委員会で、現在も続く廃炉処理で汚染水が太平洋沖に放出されているが、汚染水に含まれる放射線量は、人体に影響を及ぼすことはないレベルであることを学んでいたので、地魚のお造りを躊躇なく頼んだ。先程のサッカーの話で、私は、岡本とも打ち解けることができた。お互い酒を呑みながら、それぞれの会社での出来事、笑い話や失敗談を、忌憚なく話し合った。鈴木はウーロン茶を飲み続けていたが、我々の話に相槌を打つと共に、自分の会社の話をしてくれた。特に、岡本が音楽に造形が深く、自分でもPCで作詞、作曲活動をしている、と聞いた時は、私も興味が湧き、色々質問したので、場が盛り上がった。ただ、現在所属する、廃炉委員会での出来事は、社外では他言無用、と釘を刺されていたので、その部分に話が及ばないように注意した。だいぶ酒が進み、私もほろ酔い加減になってきた所で、居酒屋の店長さんが、我々のテーブルにやってきた。今日は週末だが、まだ18時前ということもあり、我々の他に、お客はまばらだった。店長さんは、

「今日は、ご予約頂き、ありがとうございます。皆さんは、どちらからいらっしゃったのですか?」

と愛想よく質問してきた。自分の身分として、対外的に、原発の廃炉作業員であることは、話してもいい、と廃炉委員会から言われていたので、私は、

「私は、I県から来ました。原発の廃炉作業をしています。」

と応えた。鈴木と岡本も、自分の前の居住地を店長さんに応えた。

店長さんは、

「皆さん、バラバラの所から、廃炉作業に来てくれて、ありがとうございます。明日は仕事休みですが?今日は、うちで楽しんで行ってください。」

と何の嫌味もなくそう言うと、カウンターのある自分の持ち場に戻っていった。

県外から廃炉作業のためにF県に行くと、F県の住人から、嫌味の1つでも言われるのでは、と私は身構えていたが、とんだ杞憂だった。やはり、人から感謝されると、感謝されないよりは嬉しいのが人情だ。私は、その店で一番高いクラスの日本酒を一合、注文した。

適度にお腹も膨れ、酒が回ったところで、帰りの時間を勘案し、我々は、19時半頃に、お店にお会計を依頼した。F県で採れた山の幸、海の幸は、とても美味しかった。また、飲んだお酒も、とても美味しかった。お会計の紙を鈴木が受け取り、酒の分で、私と岡本が鈴木より多めに支払う事で全員納得し、鈴木がお店にお金を支払ってくれた。私が支払った金額は、私が想定していた金額より安かった。最後に店長さんにご馳走になった御礼を言い、店を後にした。私は、普段よりは酒を飲んでいたが、意識もしっかりしており、ほろ酔いのレベルで、少し気持ちがふわふわしていた。鈴木の車に乗り込み、鈴木の運転で宿舎に帰るまで、四方山話で楽しい時を過ごした。また機会があれば3人で飲みましょう、と言う鈴木の言葉で、宿舎の自販機の前で散開となり、私は自室に戻った。その日は、久々の日本酒で気持ちがふわふわしていたので、歯だけ磨いて、風呂に入らず、そのまま床についた。

明けて日曜日、午前中に洗濯を終えてしまうと、特別、予定はなかった。昼食を買いに行くために、自分の車でコンビニまで行き、弁当と夕食代わりになる惣菜を購入した。宿舎に戻って無言で弁当を食べ、空いた時間で読書をしながら過ごし、夕方になってから惣菜をつまみに軽く酒を飲んだ。昨日、それなりに飲んだので、今日はハイボール1杯で止めておいた。夕食中、昨日の飲み会を思い出し、久々に人と長い時間話したな、と感慨にふけながら、ハイボールを煽った。ネット配信のニュースと、サッカーの配信サイトで海外サッカーの動向をチェックして、その日は、明日の仕事に備え、早めに床についた。

 廃炉委員会に来て3週間目になるが、1つ気になっていた事があった。我々10人は、訓練室、という部屋で、基本1日中座学を受けている訳だが、休憩時間にトイレに行こうとすると、ある集団を、複数回、見かけることがあった。ある集団、というのは、廃炉委員会の作業着を着用していないが、全員丸刈りで同じ服の男性の塊で、先導役の指示の元、2列に並んで廊下を行進して移動していた。丸刈りの塊は、進行方向だけを向いていて、よそ見をする者などいない。なんだが軍隊めいているな、と個人的には感じていた。昼休みになり、私は、昼食を鈴木と岡本と一緒に食べる事になったので、思い切って、その集団のことを質問してみた。すると、鈴木は一瞬、動作が止まったが、私に返事をせずに食事を進めた。代わりに岡本が、

「あれは刑務所の服役囚らしいよ。どうやら、俺らと一緒で、廃炉作業するらしいよ。」

と、ぶっきらぼうに応えてくれた。その後、岡本は、政府は1日でも早く廃炉作業を進めたいらしく、我々みたいな民間人の志願者の他に、刑務所に収監されている服役囚で、健康な人間を選別し、ある種強制的に、廃炉作業に従事させることを秘密裏に決めたらしい、と説明してくれた。また、服役囚が廃炉作業に従事する報酬として、1年間、廃炉作業を完遂した暁には、刑期を5年、短縮してくれるらしい、とも説明してくれた。私は岡本に、

「どこからその情報を仕入れてくるの?」

と聞いたが、岡本は、

「多分、みんな知っているんじゃないかな、佐藤以外。」

と素っ気なく応えた。私は、これでも一応、ニュース等、毎週観ているのだが、その事実を掴めなかったことに、社会人として、少し気恥ずかしくなった。鈴木と岡本は、何事も無かったように、昼食を食べ続けている。私は、雑談はあまり好きではないが、今後、情報収集のためにも、積極的に行ってみよう、と考えを改めた。昼休みが終わるまで、まで20分くらいあった。私は、岡本から、知っている情報を引き出そうと、色々、質問してみた。その結果、我々と服役囚は、廃炉で作業する原発を完全に分けることで共存可能、と廃炉委員会は考えていることが分かった。F県の原発事故で、メルトダウンを発生させた原発は、3基存在する。我々が3号機、服役囚が2号機の廃炉をそれぞれ担当するらしい。1号機は、損傷が激しく、現時点で、すぐに廃炉作業ができる程、整備されていないらしい。私は、そのことを聞いて、少し安心した。服役囚にも色々な方がいることは承知しているが、服役囚と同じエリアで、命懸けで作業をして、万一、相手の暴挙で被爆でもしたら、目も当てられない。その意味では、我々10人で、同じ3号機の廃炉作業に臨めることは、安心材料の1つになった。なぜ、政府が刑務所の服役囚を使ってまで、廃炉作業を急ぐのか、その点に関しては、昼休みの残り時間では、岡本から情報を引き出せなかったので、家に帰ってから、ネットで検索し、調べてみようと考えていた。その日の午後の座学が終了し、宿舎へ帰宅、夕食を食堂で食べた後、私は、自分の部屋に戻って、PCの電源をつけた。メーカのロゴマークが表示された後、PCはすぐに立ち上がり、私は、検索エンジンで廃炉作業への服役囚の適用に関し、ネット情報を検索した。私は、以前は、ネットの情報をそれなりに信頼し、校閲者がしっかり存在するまとめサイトの情報などにアクセスし、自分の知識をアップデートしていたが、最近は、校閲者もなく、ただ自分がこう思う、という内容をあたかも真実のように発表する者が大半となり、ネット情報に信頼が置けなくなった。それでも数十年続いている、検閲者がいるまとめサイトの情報だけは、ある程度信頼し、偶に覗きにいく程度でしか、ネット情報の検索は行わなくなっていた。昔の勘を頼りに、ネットの情報の渦から、信頼性の高い情報をすくい上げる作業を何回か行った。その結果、どうやら、国会で法案が通った訳でも、政府の正式な閣議決定があった訳でもないのだが、かなり秘密裏に、廃炉作業の服役囚への適用が決定したことが分かった。どうやら服役囚が刑務所の外で行う、刑務作業の一環として、廃炉作業を含む、と刑法を拡大解釈した事で、廃炉作業の服役囚への適用が可能になったらしい。ただし、彼らは服役囚のため、廃炉作業は、あくまで刑務所の刑務作業と同じ時間である、9時から17時まで、と決まっており、服役囚の捕まる前の職歴等を考慮し、廃炉作業の分担が決まるらしかった。職歴に車の整備士や、工場勤務の経験等、廃炉作業で取り扱う機械類の取扱経験がある服役囚が、廃炉作業のメインになりそうだ、とネットには情報が書いてあった。また、ネットの情報からは、服役囚が廃炉作業を行うことで、刑期が短縮されることに関する、確証を得た情報は得られなかった。ある程度情報を整理し終え、私は、廃炉作業に動員される服役囚の心情を想像してみた。確かにこの国の法を犯し、刑務所に収監された事は、冤罪でない限り、本人も思う所があり、刑期を全うしようと思っているのかも知れない。しかし、いくら99.9%、放射性物質をカットできる防護服があるとは言え、失敗すると被爆する可能性のある廃炉作業を、何故、縁も由来もない服役囚である我々が行わなければならないのか、と憤っているのではないか、そして、流石に、廃炉作業でその間だけでも娑婆に出られる、と喜んでいる服役囚は、いないだろう、と私は考えた。この国の政治は、一時期を除き、戦後、主導権を握った政党が、手を変え、品を変え、見せかけだけは一党独裁に見えないように、政権を握ってきた。国を変える気がなく、既得権益を得るためにうまく立ち回ることだけが有能な政治家達が、この国のリーダとして、政権を握っている。長きに渡る廃炉作業の停滞に、民衆からの支持率低下を恐れた政治家達が業を煮やしたため、廃炉作業への服役囚の適用を許可した背景が透けて見える気が、私にはした。私は、政治家には興味がないが、一般市民が選挙権を得るために、過去の人々が、どれだけ苦労をしていたのか、学校の歴史の授業で学んでいたので、選挙を棄権する選択肢はなく、選挙では、基本、野党の気になる候補に投票していた。この国の野党が、政治的思想で与党よりも素晴らしい方針を示しているか、と問われると、与党の荒探しに終始し、政治的思想を明確に示している党は少ないが、与党に投票し、この国が、国際的に見て、ゆっくりと死に向かっている政策を展開しているのを傍観するよりは、消去法で、野党を選んでいた。野党には、将来的に原発ゼロを目指している党もあり、A社の原子力部門で働いていて、原子力発電所の不安定さを目の当たりにしている私としては、野党のマニュフェストに共感する所があったのも、野党に投票する一因であった。服役囚の廃炉作業の参画、そこから、政治的な思想について考えたため、普段使わない部分の脳を使ったようで、私は、普段より疲労感を感じた。その日は、普段より早くシャワーを浴びて、早く寝ることにした。疲れている時で、時間に余裕がある場合、睡眠時間を長く取ることで、精神的、肉体的な疲労が回復することを、私は経験則で学んでいた。床について、今日、触れた情報が、頭の中に浮かんでは消えたが、私は、雑念に惑わされないように、雑念を他人事のように見て、眠りについた。

次の日から、また、廃炉委員会での座学に取り組んだ。座学も終盤に近づき、内容もだいぶ高度になってきたが、講師陣の教え方が上手いのか、私は脱落する事なく、新たな知識を身につけていった。休憩時間、服役囚と思われる集団の行進に出くわすことはあったが、基本、その光景を見なかったことにして、廃炉委員会にいる間は、自分のことに集中する様、自分の思考をコントロールした。その週も、無事週末を向かえ、私は安堵した。この週末は、他の仲間との予定は入っていない。土日は、1人で自由を満喫することにした。

 土曜日になって、いつもの時間に起きた私は、車に乗って、いつもの商業施設にやって来た。これまでと同じように、スーパーで保存の効く食料を買い、牛丼屋で昼食を食べ、書店を見渡して、本を数冊買った。今回は、いつもの小説、新書の他に、スポーツ雑誌も購入した。私が興味のある、欧州サッカーのトップリーグは、各国でばらつきがあるものの、大体、この時期からシーズンが開幕し、スポーツ雑誌では、そのトップリーグを特集していた。映像ではいろいろ確認しているが、文字情報でも情報を収集したい、というのがマニア心である。今回は、思い切って、その雑誌を購入することにした。用事らしい用事は、午後の早い段階で終了したので、私は、宿舎に戻って、暇を満喫することした。暇を満喫すると言っても、少し早めに酒を飲み始め、好きな音楽をヘッドフォンで聴きながら、読書に耽るだけだ。読書に疲れた頃には、既に夜が深くなっていた。休日のおじさん達の空騒ぎは、毎週続いていたが、最近は私が慣れたのか、気にならなくなった。好きなことに集中する喜びを感じながら、シャワーを浴びて、その日は床に就いた。

日曜日は、運動不足解消とその日の食料調達を兼ねて、宿舎から最寄りのコンビニまで、徒歩で往復した。最近、座学ばかりで体がなまっていたせいか、往復1時間の散歩は、私に程よい肉体的疲労感を与えた。午後は洗濯をして、夕方、ニュースを観た後、次の日に備えて早めに寝た。廃炉作業への服役囚の適用に関し、休日を通して、私は思い出すことはなかった。

廃炉委員会での座学も、今週が最終週になり、講義は熱を帯びた。内容も廃炉に関する、より具体的な内容となり、私は廃炉に関して、更に知見を深めた。講義はその週の水曜日で全て終了し、木曜、金曜は、次の週から行われる実地訓練のオリエンテーションに充てられた。この後2ヶ月を通して行われる実地訓練で、我々は、99.9%、放射性物質をカットできる新型防護服を身に纏い、放射線量の高い区域内で、デブリを除去する作業を出来るようにならなければいけない。そのために、まずは、放射線量の低い区域での実際の保守点検作業と、VRの中に展開された、仮想原子力発電所(廃炉対象)での廃炉作業の模擬訓練、その2つを最初の1ヶ月経験することで、廃炉作業に慣れ、被爆の可能性を低減させる様、我々を訓練するそうだ。最後の1ヶ月では、VRでの作業の他に、廃炉委員会が委員会内に用意した、水深30メートルのプールの中で、実際に防護服を着用し、廃炉作業に必要な訓練を行う、と説明があった。これらの訓練を我々10人がまとまって行うのは非効率なため、10人を3人と2人からなる、X、Y、W、Zの4つのグループに分け、それぞれのグループごとに、1日のうちで、保守点検作業とVRでの訓練をローテーションして行うことも発表があった。私は、3人グループのであるXチームの1人となり、その他のメンバーは、鈴木と岡本になった。グループ分けは、廃炉委員会がこれまでの座学の受講態度や成績から、総合して判断した、と伝えられた。私は、人見知りではないが、仲が良くなった2人と一緒のグループになることができ、少しホッとした。また、グループ分けの発表と共に、1ヶ月の日程表が廃炉委員会から配布された。我々Xチームは、主に午前中に現場での保守点検作業を行い、午後、VRでの模擬訓練を行う様に、予定が組まれていた。私は、とうとう実習の時期が来たかと、身が引き締まる思いがした。初日に当たる、来週の月曜の出勤だけは、この訓練室となり、そこから現場の指導員へグループごとに廃炉作業員の引き渡しとなるため、来週は、訓練室に出勤することを命ぜられて、座学の最終日は解散となった。

帰りのワゴン車の中で、鈴木と岡本と話す機会があり、3人でXチームの決起集会を週末、行うことが決まった。決起集会と言っても、また鈴木の運転で移動して、居酒屋で酒を飲むだけだ。私も、悪い気はしていなかったので、決起集会に参加する事にした。鈴木がまとめ役になり、明日の土曜日の16時、自販機の前で待ち合わせ、ということが決まり、その日の夜は、各々の時間を過ごした。土曜日になり、私は、商業施設でのルーティンを終え、午後には宿舎に戻り、集合時間まで休憩の意味を込めて、横になって、眠らずに過ごした。集合時間の10分前に、集合場所の自販機の前にいると、ちょうど鈴木と岡本が宿舎の部屋から出てきた。全員、集合時間前に集まったので、この前と同じように、鈴木の車に乗り込み、鈴木の運転で、市街地へ向かった。鈴木の運転は今回も上手く、私と岡本は、快適な空間で世間話をしながら、車の中で過ごした。今回、鈴木が予約してくれた店は、非チェーン店の中華料理店だった。特別高価な中華料理店ではなく、俗に言う、町中華、と呼ばれる部類の店だった。17時の開店に合わせ、鈴木の案内で店の暖簾を潜る。店の中は、10席くらいのLの字のカウンターと、4人掛けのテーブルが4つある、コンパクトな空間だった。鈴木が店長に予約の意図を伝えると、店長は、

「一番奥のテーブル席に座って。」

とぶっきらぼうに応えた。我々は、店長の言われるままに奥のテーブルに移動し、それぞれ着席した。我々の着席を確認した鈴木は、

「今回、食べ放題や飲み放題は付けてないから、好きなものを注文して。」

と伝えた。店のメニューを観て、何を頼もうか、各々で思案している所に、女性店員がやってきて、

「飲み物、何にします?」

と聞いていた。私と岡本は生ビール、鈴木はウーロン茶を注文した。店員は矢継ぎ早に、

「食べ物、注文しますか?」

と聞いてきた。私は、おつまみになりそうな、ピータン入りのサラダ、岡本が酢豚、鈴木が唐揚げ、をそれぞれ注文した。女性店員が一旦厨房に戻り、我々の飲み物を持って現れ、それぞれに給仕して戻ったあと、我々は乾杯をして、酒宴を開いた。私は、店員に聞こえない小さな声で、

「店長も店員さんも、あまり愛想がないね。」

と鈴木に訪ねたところ、鈴木は、

「味はいい、とネットに書き込みがあったよ。料理は期待していいと思うよ。」

と応えた。そうしているうちに、ピータン入りのサラダを女性店員が我々の所に持ってきた。鈴木や岡本が、ピータンが苦手だったらどうしようと、料理が届いてから気づいたが、鈴木も岡本も、特に問題なくサラダを食べているところをみると、私の心配は杞憂だったようだ。私は、久々に新鮮な野菜を食べることができ、最初から、この店の料理に満足していた。後から運ばれてきた、酢豚と唐揚げも、王道は外していないが、この店オリジナルの隠し味が施されており、後を引く味で、3人前が、あっという間になくなった。我々は、女性店員を呼び、追加で麻婆豆腐、餃子、空芯菜炒めを注文した。私と岡本は、それに加えて、生ビールのおかわりを注文した。食欲がある程度収まると、我々は、普段の講義室での会話レベルで、頼んだ物をつまみながら、四方山話に耽った。この3人の中で、放射線管理区域で働いたことのある人間は私だけで、鈴木と岡本は、放射線管理区域での立ち回りについて、一般人が聞いても分からない略語を用いて、私に質問してきた。私は、社外で応えても大丈夫かな、と思いつつ、できるだけ略語を使い、一般人には分からないレベルで、それぞれの質問に回答していった。私は、放射線管理区域と言っても、B区域であれば、通常の作業着よりちょっと厚手の防護服、ヘルメット、安全靴、手袋の装備で、被ばく量を計測するガラスバッチさえ胸ポケットに装着することを忘れなければ、被ばくの恐れはないよ、という内容を、略語を使って、2人に説明した。鈴木と岡本は、私の説明で、初めての放射線管理区域での作業の不安が少しは払しょくされたのか、少し表情が柔らかくなった様に思えた。私個人としては、未体験である、VRでの模擬訓練の方が、どちらかと言うと不安であった。しかし、これは、ここにいる3人全員が未体験のため、あれやこれやと社外で想像するよりも、実際に体験した方が早いと思い、私から話題に挙げることは避けた。私と岡本の体内のアルコール濃度が上がると、仕事の話よりも、これまで1ヶ月、廃炉委員会で働いたことへの改善点や座学への愚痴、あるいは、廃炉委員会に来る前の、前職での体験談が話題のメインになり、会が終わる20時前まで、我々は四方山話で盛り上がった。1人アルコール濃度がゼロの鈴木も、この状況には慣れているらしく、会を楽しんでいるように私には見えた。店を出て、鈴木の運転で宿舎に戻り、我々は、週明けの実地訓練に向けて、一致団結、頑張ろうと、お互いの士気を高めあったところで、解散となった。私は自販機で水を買った後、部屋に戻り、水を一口飲んで、酔いを醒まそうとした。元々、今回の飲み会では、アルコール度数の高い酒を飲んでいなかったが、飲み会で話題になった、実地訓練に向けて、冷静になって考えたい、と何となく思ったからだ。たぶん、はじめのうちであれば、放射線管理区域での点検保守作業は、然程、問題なく解決できるであろう。問題は、VRでの模擬訓練で、何が訓練の評価指標になるか、であった。訓練終了のタイムだろうか、訓練の正確さだろうか。私はそんなことを部屋で座りながら考えていた。しかし、指標になりそうなものは見つかるものの、それが廃炉委員会側での指標となる確信が得られなかった。思考が堂々巡りしているうちに、時計を見ると、帰ってきてから1時間が経っていた。私は、これ以上の思考は時間の無駄と判断し、シャワーを浴び、歯を磨いて、床に就いた。アルコールのお陰で、その日はぐっすり眠ることができた。

 日曜日は、明日からの実地訓練に向けて、完全休養日に充てた。ただ、金曜日に渋谷から、今月分の給料を各人の口座に振り込んだので、金額を確認しておくように、との伝言を思い出し、朝からPCを開き、給与明細が添付されるはずのメールアドレスで、メールを確認した。廃炉作業員には、廃炉委員会内に決まった席がないため、個人向けの端末も用意されていない。そのため、給与明細は、こちらが廃炉委員会に申し出た、個人のメールアドレスに添付されたWEBリンクから確認する方式になっていた。私は、メールの中から、送信先が廃炉委員会になっておるメールを見つけ出した。件名は、「給与明細について」となっており、内容は、WEBリンクと、そのリンク先での操作方法について、簡単に記載されていた。私は、指示通りWEBリンクを開き、必要な従業員番号等をキーボードで入力していく。入力が完了し、ログインに成功すると、該当月の給与明細が表示された。保険料と税金が引かれた、手取りの状態で、大卒初任給くらいの金額が、こちらの指定口座に振り込まれた、と給与明細には書かれてあった。この1ヶ月で使ったお金と言えば、土日の食事代、娯楽の本代、後は中古車で購入したハイブリット車のガソリン代くらいのものだ。宿舎代、移動費、平日の食事代は、全て廃炉委員会持ちだ。ギャンブルなどの趣味があれば別だが、仮に、毎週末、飲み歩いたとしても、給与の半分は貯金できる計算になる。私の場合、飲み会にそこまで命をかけていないので、普通に生活していても、給与の4分の3を貯金する事が可能だ。昼食と夕食を買いに、車でコンビニに行った際、ATMで指定口座の入金状況を確認したが、廃炉委員会から、間違いなく、給与として金額が振り込まれたことを確認した。毎月の給与に関して、そこまで考えて廃炉委員会に応募した訳ではなかったが、貯金できる金額があり、1年、ここで勤めれば、貯金がそれなりの額に達することに、私は、少し嬉しくなった。私は、ATMで1万円だけ引き落とし、財布にしまった。その他は、洗濯だけ、洗濯機が空いている時間に行い、残りの時間は、体を休めることに重点を置き、本を読んでいるか、サッカーの動画を観ているか、どちらかで過ごした。気づいたら夕方になっていたので、夕食を食べ、ネット経由で週末のまとめニュースを観て、普段より早く床に就いた。

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