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Ephemeral note「過去を変える魔女と『銀の剣』を持つ者」  作者: 瑞月風花
第三章『望まれた世界』

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『朱と蒼に揺蕩う』

 ☆


 窓の外では、雨が降っていた。

 魔女は魔女狩りが起こらなかった、誰もいない魔女の村の屋根裏部屋で、手元灯りを頼りに刺繍の針を刺していた。

 一針一針、丁寧に。

 ルオディックは無事だろうか、と思いながら。

 ただ、明け方には止む。

 雨が止んだら、これをルオディックにあげるの。

 そんなことを考えながら。

 どうしてそんな風に思うのか。

 考えて、ターシャの言葉を思い出した。

『次はルオディック様にも見ていただけると思います』


 そうか。

 だからか。


 魔女は再び視線を刺繍に戻し、ローズマリーの完成を急いだ。


 ☆



 背中を木に預け、体が逃げないように固定したルオディックが、腹にその短剣を突き刺した。

 捻じれるような痛みと、ひりつき、脈動が全身に走り、思わず呻き声が出てしまう。しかし、ここで終わるわけにはいかない。

 ルオディックは既に血に塗れて生温い手に力を込めて、その刃を引き抜いた。

 全身の脱力と、意識の喪失。ルオディックはそれらに必死で抗った。

 そして、彼は手から離れようとしない短剣を、気合いの限界とともに茂みの奥へ放り投げたのだ。


 もし、意識のあるうちに奴らがやってきたら『魔女が刺して逃げた。剣も奪われた』とだけ言えばいい。おそらく、放っておくという決断はしないだろう。

 そうすれば、人数は割れる。しかし、おれが動くことが出来なければ、喋ることが出来なければ。


 魔女が魔女の村へ帰っただろうことは、分かるかもしれないが、行き先の証人はいなくなる。案内人はルタだけだ。

 瀕死の者を、ここに放っておくことが出来なければ……魔女が逃げ切る時間が稼げるのだから。

 そして、この状態であれば、尋問されることもない。


 死人に口なし、なのだから。

 あとは、今を何も知らなかった父に任せればいい。きっと、うまく立ち回ってくれる。


 そんな願いを込めたルオディックは跡目ではなく、跡目候補という自身の状態に少しだけ感謝し、目を閉じた。


 ☆


 暗闇の中、女の声がした。

 その声はルオディックの近くまで来て、どうも彼を助けようとしているようだ。

 余計なことはしなくてもいい、離れてくれ、そう願っても、彼女は離れてくれなかった。


 声が遠くなる。何も聞こえない。そして、ルオディックはすべてから解放された。


 蒼い海の中を漂っていた。とても気持ちよく。穏やかに揺蕩う体は、どんな痛みもなく、どんな不安もない。

 それなのに、急激な熱さを感じ、景色が朱色に染まった。


 魔女狩りが行われたのだ。朱色は炎の色。

 あの魔女は。あの魔女はどうなったんだ?

 慌てて火炙りが行われている場所へ駆け寄る。

「なんで……」


 あの魔女が茨の冠を被り、炎の中にいる。そして、その口が開かれる。

「奴らは悪魔だ。容姿に騙されるな」

 と、彼女がらしくなく、そう言った。

「違う、お前は魔女なんかじゃ……」

 ふわりとした浮遊感を感じると、彼はまた別の場所にいた。


 ルオディックは荒廃した魔女の村の真ん中に立っていた。手には銀の剣。模造品でないことは、なぜか知っていた。


「わたしがしたの」


 声はルオディックの背後から。その声は、ルオディックの中にある記憶をまだらのようにかき混ぜる。はっきり何かを思い出すわけでもなく、何も思い出さないわけでもなく。

 記憶をつかまえようと、声に振り返ると、朱い陽がルオディックの前に黒い影を映し出した。

 黒ずんだ人間が、艱難辛苦(かんなんしんく)の相で天を掴もうとしていた。しかし、時が止まったように動かない。

 こと切れているのだ。動き出すわけがない。


「この……」

 ――あくまめ


 ルオディックの口が動こうとし、止まる。

 違う、これは……おれの言葉ではない。

 そう、この魔女が、望んでこんなことをするわけがない。おれと違い、この魔女は他人(ひと)の死を怖がっていたのだから。

 そんな思いがルオディックの言葉を止めたのだ。

 ……そう、おれと違い。


 おれのこの手は、既に、朱に染まっているのだ。


 しかし、彼が自分の掌に視線を落とすと同時に蟀谷(こめかみ)に鈍痛が襲い掛った。なにかが、閃いた気がしたのだ。刹那の銀光。しかし、その痛みを抑えられず、ルオディックは思わず蹲ってしまった。

 そんなルオディックに魔女が切ない瞳を投げていた。

「どうして……」

 その瞳とともに発せられた言葉も、切なく響く。

 そして、今度は目の前が光に埋め尽くされて、視界が奪われた。


 ときわの森の大樹の前。

 幼いあの魔女がその大樹が零す木漏れ日を手に受けて遊んでいた。

 気がつけばルオディックも随分と幼い。

 ルオディックに気づいた魔女が、あの黄緑色の瞳をルオディックに向けて不思議そうに尋ねる。頬に手を遣ったルオディックは、自分が泣いていることに気がついた。


「ねぇ、それなに?」

「うるさい」


 幼いルオディックは、女の子に泣き顔を見られたことが恥ずかしくて、強がっていたが、魔女が言い募るのだ。

「すごくきれい、ねぇ、それちょうだい」

 あの新緑色を輝かせ、魔女がルオディックを見つめ。

 そして、言った。

「なんでも願いを叶えてあげるから」

 と。

 だから彼は、叶えられもしない願いを腹立ちまぎれに、言ったのだ。


 『じゃあ、お姉ちゃんを守って』


 ルオディックは、そう願っていた。


 存在しないはずの……。

 黒髪黒目の……。

 二つほど年長の、魔女に取られた姉の存在を。


 そして、また海の中。

 光の向こうに白い手がある。

 声がした。

「わたしを魔女にすればいいだけなのよ」

 と。



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― 新着の感想 ―
一針一針、雨が止むのを待ちながら刺繍を編む魔女が、ルオディックを想い浮かべる姿が印象的です。 そしてルオディックは、自らの身を呈してでも魔女を逃がそうと壮絶な状況の中で、目を閉じて。息を呑むような情…
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