『風の中にあるふたり⑥』
あの日。
魔女狩りを起こした者たちは、リディアスの兵と同じ蛇の文様の鎧を着ていた。しかし、研究所の兵士が着込んでいたような丈夫なものではない。
鞣した皮を上衣にしている、と言えばいいのだろうか。
研究所内にいる兵から比べれば、簡素なものだった。
しかし、彼らは猛獣のように魔女たちに襲いかかっていったのだ。逃げ惑う魔女たちを追詰めては暴行に及ぶ。泣き叫ぶ声が、悲鳴が、村中に響き渡っていた。後に響くのは、呻く声、「痛い」と「助けて」が混じったか細い声。
顔中を真っ赤に染めた魔女。
手足がおかしくなってしまった魔女。
うつろな目を空へ向けたまま、口からよだれを垂らしている魔女。
抵抗するものは、抵抗出来なくなるまで殴られたのだ。抵抗しない者も、まるでゴミでも扱うかのように、投げ捨てられた。
ラシンは綺麗なままだったが、ワカバの隣で動かなくなっていた。きっと、ここに連れてこられた時に、背中を蹴り飛ばされたせいだ。
ワカバは、ただ静かにその様子を見ていた。ワカバに狂気が向かなかったのは、きっとラシンがずっとワカバを自身の陰に入れてくれていたから。
心地よいものではなかった。今のワカバなら、きっとあの魔女たちのように泣き叫んでいたことだろう。
そして、ひとりの男が異を唱えたのだ。
「いったいどっちが魔女だって言うんだ」
その男が叫んだことで、一枚岩が揺らいだ。数名が逃げていく。そして、その中の数名が捕らえられる。裏切ったから『魔女』になった人間たちだ。
だから、ワカバには分からなかった。魔女というものがいったい何なのか。しかし、ここで力なく助けを求める者たちは、ワカバにとって人間とそれほど変わらない存在だったのだ。
それなのに、ここに来た者たちは、人間を『人間』と見なさず『魔女』とし、痛くした。
だから、その異を唱える男に視線を固定した。ここに来た人間とは別の種なのかもしれない思ったのだ。
銀の剣を持つ、綺麗な金髪の青年だった。それは、研究所で出会ったことのあるパルシラによく似た空色の瞳を持つ男。
彼は、正義感から楯突いて、魔女になってしまったのだろう。
今度は彼への暴行が始まったのだ。そして、一番偉そうにしている、一番『魔獣』に近い人間が命令した。
「油を」
魔女たちが集められていた村の中央に、油が撒かれる。呻き声が深くなる。きっと、傷口に染みるのだろう。そんなことを思いながら、ワカバはこの場所に渦巻く『望み』を天秤に掛けていた。
魔獣たちに近いと思っていた男たちが望んだことは『名声』と『快楽という名の虐待』
人間と変わらないと思っていた魔女たちが望んだことは『助け』だった。
助けてあげようと思ったのだ。
トーラは人間の願いを叶える者だから。
男たちの望みは、すでに叶っていると思ったから。
ワカバは、いつもそこにある風を使い、目の前の人の皮を被った魔獣から魔女たちを助けることにしたのだ。
風は男たちの放った火を呑み込んで、火炎となり、嵐を巻き起こした。
すべてが燃え尽くされた時、残ったのは、『魔女』とされたもの。そのひとりが起き上がる。
あの空色の瞳の男だった。
「この悪魔めっ!」
振りかざされた銀の剣が太陽の光を吸い込む様子が、ワカバには見えた。
ここで人間であるのなら、死ぬのよ……
銀の剣など、怖くないのよ。
願いを叶えた。それなのにワカバの胸の奥は氷を残されたような寒さと重さが残った。そして、あの蒼い目の少年のように涙が溢れ始めたのだ。
綺麗だと思ったものだったのに、あの少年が不機嫌になった理由が分かった気がした。
重く痛い。そして息苦しい。
涙は払っても払っても流れ続けていた。
銀の剣を拾い上げたラルーは、そんなワカバを抱きしめてくれた。
「あなたは悪くないのです。すべてこのラルーが犯した罪なのです」
ラルーが消えたことで呆然としていたワカバの回想を遮ったのは、よく聞き慣れたワカバへの名称だった。
「魔女だっ。魔女がいたぞっ」
叫んだのは、あの蛇の文様を持つリディアスの兵。
その声にワカバは条件反射のようにして走り出した。
もう、助けてくれるキラもラルーもいないのだから。
ワカバは人間の物語の中で語られる悪い魔女、なのだから。
☆
「フィールド長官」
リディアス国立研究所、長官室にある大仰な回転椅子に座るのは、ランド・マーク・フィールドだ。
「長官代理ですよ」
彼は彼の間違いを訂正することで、自身の考えをまとめる時間を作る。
魔女がマンジュに現れたそうだ。もしかしたら、とは思っていた。
だが、あの彼が、ディアトーラを避けるだろう理由には、決め手がなかったのだ。
「……はっ、申し訳ございません」
ランドの前にあるのは、もちろん立場のあるリディアス兵士である。ランドもいつもは間違いを正さない。だから、彼は一瞬、戸惑い、通信兵からもたらされた報せを伝えた。
「長官代理の仰ったとおり、魔女はマンジュに現れました」
「そうですか。分かりました。傷つけないようここに連れてくるように頼みますよ」
それがランドの本心だ。そして、偽りを伝える。
「大切な研究対象ですから」
魔女がワインスレーに渡ったということは知れていた。普通ならばディアトーラへ向かう。だから、わざわざマンジュの警備を強化したのだ。
それは可能性が低かった仮説の方に正しさがあったと言っても良いのだろう。
メイ・K・マイアードが前ディアトーラ領主、ビスコッティを殺害したのではないかと言われる息子なのではないだろうか、という。
この噂の大元は、嫡男の行方がどうして分からないままなのか、に尽きる。
実質のない噂なのだ。
息子はときわの森に呑まれたというものが元の噂である。
その時と同じく、ディアトーラ領主が亡くなっている。
そしてその嫡男と同じ年格好をしている彼は、魔女をまったく怖がっていなかった。聞き及んでいる嫡男の特徴が、彼に似ていると思えた。
ただ、それだけを突き合せただけの。
そうなのだ。嫡男が何らかの理由でときわの森に入った。大型魔獣が多数存在するとされるときわの森で死体が跡形もないという事実は、大きくあり得る。
妻を奪われ、更に跡継ぎまで亡くなったとなれば、人生に絶望する可能性だってある。立て続けの死を忌み嫌うことだってある。
人々が面白おかしく語る噂などよりもこちらの方が真実味があった。
「あぁ、もう一つ頼まれてください」
「はいっ」
ランドは、ランドがこの椅子に座ってから、仰々しくなった彼に伝える。
「以前ここで働いていたことのあるメイ・K・マイアード君の経歴を……そうですね……新しいことが分かる度にこちらに持ってきてはくれませんか」
彼がどう関わっているのかは分からない。マンジュを選んだ理由も、別にあるのかもしれない。
しかし、本当にトーラが過去を変えてしまうのであるのなら、『彼』が重要な鍵になるように思えたのだ。
「承知しました」
ワカバが無事にここに戻ってくるのであれば、何も変わらないのだろう。しかし、おそらく。
トーラを求め続けた前研究所長官ランネルを思えば、トーラの一端に触れた者は、何かしらの影響を受けるのかもしれない。
ランネルの消息は不明。現キングが討たれたという報せは入っていた。しかし、亡骸すらない。
存在はしているが、実体がないのだ。
それはどこか、ディアトーラ嫡男であるルオディックにも似ているのだ。














