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Ephemeral note「過去を変える魔女と『銀の剣』を持つ者」  作者: 瑞月風花
第二章『魔女が望む世界』

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『風の中にあるふたり⑤』

 逃げなくちゃならない。人間の傍にいてはいけない。

 人間のいない場所へ。

 動き出したのだ。ワカバの『時』が。ラルーが阻害していた、ワカバが紡ぎ出すはずだった『その時』が……。

 だけど今のワカバは、あの時と違う。

 体は大きくなっているくせに、あの魔女狩りの時に比べれば今のワカバはちっぽけで、人間を殺すことに戸惑いを覚えるのだから。

 きっと、ワカバはすぐに捕まえられて、何も出来ずに殺されてしまう。

 涙が流れる意味を正確に知ってしまったワカバは、弱いのだ。


 物語の中にある魔女はみんな、銀の剣を持つ勇者に殺される。だけど、ワカバは路地の向こうをただ歩くだけの人間にさえも、殺されてしまうかも知れない。

 それが、キラになるかもしれない。

 そんなのは、……。

 嫌だ。


 トーラの記憶とワカバの記憶、それらが混じり合ったものが、ワカバの中で渦巻いていた。そして、ざわめき、揺らいでいく。

 ワカバが自身から目を背けようとすると、何かに引っ張られてしまうということを、ワカバは繰り返していた。

 その記憶の第一に上がるものが、魔女狩りだった。恐ろしかった。人間が。だから、キラやシャナと一緒にしたくなくて目を背けた。

 いや、実際は魔女狩りにおいてのワカバ、が恐ろしかったのかもしれない。


 そして、次に浮かぶのは、ラルーと銀の剣。

 ラルーは銀の剣を人間に与える魔女だ。だけど、それは、人間のためじゃない。

 魔女の願う最期の望みのため。自身の望みを叶えられない、魔女の願いを……。

 銀の剣を持つ者だけが『世界に滅びをもたらした魔女』以外の記憶を覚えているのだ。


 悲しき魔女の生きた証を。

 その魔女の声を、温度を、記憶を。


 ラルーがワカバの傍にいるのならば、それは、ワカバを人間に殺させようとしているのかもしれない。こんなにも、ちっぽけになったワカバなど、いらないと言っているのかもしれない。

 ただ、そこまで考えても、ラルーがどうしてワカバをあの魔女狩りで助けたのかが、分からないのだ。ワカバがキラを殺せなくなるまでの『時』を待っていたのだとしても、ラルーの行動の理由が分からなかった。


 ワカバは路地へと入り込んでくる光から隠れるようにして、蹲るしか出来なかった。雑踏、人間の声、通り過ぎていく、人間の影。

 本来ならばワカバが今すぐにでも消してしまうことの出来る、儚い日常を生きる人間。

 膝を抱える腕の隙間から見える光に映る人々の影は、何も知らないまま、ただ未来を信じて歩いているのだ。

 そんな影を視界の端に映したワカバを覚醒させるような音が劈く。


 あの音。あの夜の。


 あの男。


 大きく目を開いたワカバの瞳に映った者は、ラルーだった。

 ラルーが動けないワカバの前に立っていた。しかし、あの日と違い、ワカバに向けるその背中は殺気に満ちていた。


 ラルーは殺す気なのだ。いや、消滅させる気なのかもしれない。

 あの男の存在を。

 だから、静かに最後通牒を突き付けた。

「わたくし、無駄に命を奪うのは好きじゃありませんの」

 と。


 ラルーの足元にはへしゃげた鉛の礫が落ちており、さらに、今ここにあるわずかな空間の時間が、ラルーの掌に収められている。

 それは、トーラの力の全容であり、一部であった。もちろん、あの男は気づいていない。だから、彼は素直に従わず、強気に言い返すのだ。

「奇遇じゃな、わしも同じじゃ」

「お伝えいたしましたわよね。あなたにその仕事の義務はなくなりましたと。ランネルはわたくしが始末しましたと、はっきり言わなければ分からないのですか?」

 ワカバはふたりの会話を聞きながら、とても不安だった。ふたりとも、命を奪うことを嫌っている。それなのに、今、命を奪おうとしているのだから。


 ワカバみたいに、どうにもならなくて殺してしまうのではなくて、……。


「ラルー……」

 ラルーを呼ぶ。すると、ラルーの殺気が少し弛んだ気がした。それなのに、ワカバの不安は募るばかりだ。

 それは、ワカバが『トーラ』として覚醒しようとしているからだった。


 ワカバみたいに、どうにもならなくて殺してしまうのではなく、今の『わたし』は、無尽蔵に人を消し去ることが出来るのだ。

 望めば。

 きっと、トーラは応える。だけど『ワカバ』はそれを望みたくない。ラルーがその思いに応えるようにして、彼にもう一度機会を与えた。


「これが最後の忠告ですわ。今すぐ立ち去れば見逃してあげましょう。あなたごときの存在など、わたくしにとってはどうでも良いことですので」

 確かに、ワカバにとっても目の前の男が消えてしまったとしてもなんの障害にもならないだろう。目障りな小虫を潰したからといって、人間がそれを気にしないのと同じ。いちいち気にしてなんていられないのだ。しかし、ラルーにとってのワカバも今はそれと同じくらいの存在のはずなのに。


 ねぇ、どうして、助けに来てくれたの? 


 ワカバの声にならない呟きは、キラには届かない。だけど、ラルーなら拾ってくれる。ワカバは、それを知っていて彼女に話しかけていた。

 ラルーは男を睨めつけたまま動かない。


 わたしが消えれば、済むことよね。


「そうですわね……」

 ラルーの悲しい声がその背中から聞こえた。

「わたくしは、一度あなたなど消えてしまえばいいと思ったことがあります。だけど、それが大きな過ちだったと(のち)に思うようになりました。あなたを消してしまうということが、わたくしの愚かな感情から来ていたのだと気づいたからです。それなのに、どうして、わたくしが描いた未来を準えようとするのですか?」


 どういう意味?


 しかし、ラルーはその質問には答えなかった。

「人間は今から未来を変える者です。変えても良いのです」

 意を決した男がもう一度銃を構える。ラルーが動く。

「望まずしてトーラを持つ者。あなたは、人間と変わらないはずです」

「お願いっ」


 消さないで。


 ワカバの声は届かなかった。後に残った者は、ワカバだけ。


 あの魔女狩りと同じだ。確かに現実だった証拠は、足元にあった。へしゃげた鉛の礫。ラルーが止めた礫だ。


 そして、ラルーの声が……。

 どうか、願ってください、と。

 ワカバの耳に残っていた。

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