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Ephemeral note「過去を変える魔女と『銀の剣』を持つ者」  作者: 瑞月風花
第二章『魔女が望む世界』

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『風の中にあるふたり②』

 シャナが言った。

「ワカバ、ちゃんと伝えなさい。大丈夫、あなたの今の気持ちくらいなら、あいつもきっと受け止めてくれるから」

 アブデュルと難しい顔をしながら頭をつきあわせていたシャナが、ワカバに気づいたようにして言ったのだ。そして、散歩してくるように言われた。

 大切な話があるらしい。ワカバにはとうてい分からないくらいの。

「ごめん、ちょっとふたりだけで話したいことがあるから」とは、きっとそういう意味なのだろう。

 そんなことを思いながら、ワカバは空を眺める。


 雨に流されて澄んだ空気に光る夜空の光。

 その光はワカバにとってはラルーとの思い出があるものである。

 ラルーと一緒に見上げた時も、砂漠で眺めた時も、三月山で空を眺めた時も、いつもそこにはラルーがいた。きっと、ラルーがいたのだ。

 もしかしたら、『その時』は今なのかもしれない。

 ラルーが迎えに来たら、行かなくちゃならないのだろうか。

 ふと、ワカバはそんな風に感じてしまった。きっと、記憶が戻ってきているからだ。


 記憶が戻るにつれて、ワカバはみんなとは違うんだろうということがよく分かった。キラもシャナも、言葉を怖がっていない。なんと言っても、喋ったからといって魔法につながらない。

 次に自分が何に目覚めるのか、それが分からないのだ。

 それが、怖いと思う。だけど、みんなと一緒にいたいとも思う。


 そして、ワカバは立ち止まり、自分の掌を口元に宛てた。息を吐けば温かくなる。

 遠くに見える大地の光は、人間の営みの光だ。

 温かいもの、だと思う。あの光を消したいとは思わない。

 掌は温まったが、体全体は寒さを感じている。紺色のワンピースの上には、綿入れのマントと首巻きまでしているのに、手先とブーツの中にあるはずの爪先まで悴んでいるのだ。


 ちゃんと伝える。

 ありがとうを言う。悪いのはわたしだから、キラは悪くないことも伝える。

 一緒にいてくれてありがとう。

 それから、……。

 仲直りしてくれたら、一緒にいたいは、伝えても良いのだろうか。

 ワカバの足が止まっていた。

 一緒にいても良いのだろうか? 


 ワカバの不完全な記憶は、そのまま迷いにつながっていく。そして、急な声にワカバは自分の心臓を飛び上がらせた。

「雨、上がったな」

 声でキラだと言うことは分かっていた。それなのに、心臓の音は鳴り止まない。

 シャナの時とも違う。キャンプで火を出した時とも違う。

 ただ、とくとくと鼓動する。びっくりした、に似ている。振り返った先には、当たり前のようにキラがいた。だけど、そこにいるキラはいつものキラではなかった。慌てて振り返ったワカバを見て笑っているのだ。

 ワカバの好きな蒼い瞳を細めて。とても穏やかに。


 勝手に歩いていたことを、怒らないの?


「そうだ、薬、よく効いたよ。ありがとう」

 喋らないワカバに、キラはワカバが答えなくても会話を続ける。それは、ワカバがまだキラの前でお喋りを再開させていないからであることは、分かる。


 薬がよく効いた。

 傷は治った、そういうこと?


 ワカバは小首を傾げたまま不思議そうにキラを見つめ、こくんと肯いていた。そして、そんなワカバにもかまわず、キラは続けた。

「ごめんな。ワカバは悪くないのに」

 とても不思議だった。

 お喋りなキラも。キラが謝ることも。


 なにかが変化してしまったのだろうか。そう思うとあのぞわぞわがワカバの内側から顔を出そうとする。だから、慌てて、胸を押さえた。

 出てきちゃ駄目。そんな思いで。


「部屋に戻ろう。ワインスレーの雨上がりは冷えるから」

 キラが、ワカバを見ていた。そして、肯いたワカバに微笑みをくれる。そして、歩き出す。ワカバもその背中を見つめて、一歩。


 踏み出した。


 そして、歩みを止める。違う。

「あの」

 このままじゃいけないように思ったのだ。悪いのは、キラじゃない。シャナは伝えろと言った。

 きっと、言わなくちゃならない時なのだ。

 ワカバはそんな風に感じたのだ。

 キラが振り返る。ワカバは自分の中にある言葉を見失わないように、急いで言葉を紡ぐ。


「……キラは、……キラは悪くない。だから、……悪いのは、わたしで……」


 だけど、ワカバの中で上手く頭の中の言葉が口と呼応してくれないのだ。それが新しい不安につながる。キラはワカバの言葉を待ってくれている。

 どうすれば、この不安は消えるのだろう。


 そして、ひとつ思い出した。不安とは反対の位置にあるはずの言葉を。シャナがワカバの不安を嬉しいに変えた言葉が、あった。

「わたし、キラのこと、好きだから」

 それなのに、不安は募る一方で。シャナの時と何が違うのか分からない。だから、次の言葉を紡ぐ。

「人間だけど、キラのことも好きだから。だから、大丈夫。キラは悪くない」


 だから、キラにとって『ワカバ』は大丈夫。そんなことを伝えた。


 しかし、それが真実であることとは別だ。

 あぁ、だから、不安が募るのか。

 いくらワカバがキラを好いたとしても、ワカバがキラにとっての大丈夫であるとは、限らないのだ。いつ、何をするか分からない。そんな自分をワカバは知っている。だから、『一緒にいたい』が伝えられない。


 視線を落としたワカバのすぐ傍にキラの声が戻ってきていた。そんなワカバの頭にキラの大きな掌が載せられる。

「ありがとう。心配するな。ちゃんと一緒にいるから。約束したもんな。ときわの森へ連れて行くって」

 キラは穏やかだ。

「行こう」

 そう、歩くのだ。進まなければならない。


 それなのに、歩き出したキラの背中を見て、ワカバの瞳からは涙が零れていた。

 温かいはずなのに。シャナが言った時は、あんなに嬉しかったのに。

 キラの言う、ありがとうは、どうしてこんなにも切なく響いたのだろう。


 ワカバの中に芽生え始めた『心』が、なにかを伝えようとして留まれず、ころころと転がっていく。ワカバの歩む道の先に広がる未来があるのかも分からない。それなのに、ときわの森へ辿り着いたら、キラはいなくなる。それだけが確定で。


 ねぇ、ラルー……。

 わたしは、みんなと一緒にいてもいいの? ラルーはそれを許してくれる?

 そんなワカバを見つめるのは、やはり幾千年の時を数えている夜空にある月と星たちだけだった。


 ☆


 アブデュルが帰ってきたのは深夜遅くになってからだった。

 どこへ向かい、どこで引き返したのか。

 横になっているキラはそんなことを思いながら、アブデュルが眠りに就くのを待っていた。


 彼は明らかにジャックの気配を連れてきていたのだ。隠そうともしていない彼らの気配から、それは未熟なジャックであることは分かった。しかしそれは、シガラスがいないということを信じたいがための、キラの思いからくる物でもある。シガラスがなにも仕掛けてこないなんてこと、あるわけがないのだ。


 ……それから、……ワカバが再び喋るようになった。


 だから、キラはそちらへと意識を向けながら、寝返りをうち、仰向けになった。うっすらと窓から伸びてくる月の光が、天井の木目を深くしている。

 シャナが言った言葉を信じていないわけではなかった。しかし、実際にキラの前で声を出すことは、あれ以来初めてのことだったのだ。そして、発せられたワカバの言葉はまっすぐで、なんの色もついていない。


 そう思った。

 しかし、いや、だからキラは自分の中での境界を彼女に伝えた。

 それで良いはずだった。


 それなのに、どうしてワカバはキラの背後で涙を流していたのだろう。ときわの森へ行くということが、彼女の本望であり、そこにラルーがいると信じていたはずだ。

 ワカバはラルーの元へ行こうとしていたはず。


 ―――おれは、またワカバを傷つけるような言葉を放っていたのだろうか。


 ―――違う。


 キラが気になっていたことは、それではない。キラは、ラルーを疑っていたのだ。だからこそ、ワカバの涙の意味が気になるのだ。

 ラルーに殺される可能性すらあるワカバ。自分がそれを伝えずに、ワカバをときわの森へ連れて行こうとしていることに、ワカバの涙を重ねただけだ。おそらく、それだけ。


 キラは、そんな考えを脳裏に巡らせ、天井を見つめていた目を閉じた。 

 アブデュルが床に就く準備を終えて戻ってきたのだ。そして、隣のベッドが軋む音がした。きっとなにも気づかずに、寝入るのだろう。


 草木も寝入るとされる丑三つ時。

 部屋を抜け出したキラは寒空の下に外套の襟を詰めながら歩いていた。

 ワカバを部屋へと連れて帰った後、支度金を準備したのだ。帰ってこないアブデュルがどこへ向かうのかは、分かっているつもりだった。


 一千万ニード。


 ワカバに掛けられている褒賞金だ。それを準備し、ここの仕事を管轄しているクイーンを買いに行くのだ。

 ジャックがクイーンに勝る方法は、これだけなのだ。

 そう、金を掴ませる。そして、黙らせる。

 正攻法はそれだけ。ジャックはクイーンを誤っても殺してはならないのだ。

 そんなことをすれば、未来は……顔のばれたジャックよりも悲惨だ。


 すべてが眠りに就くそんな時間にでさえ、人間たちは憂さを晴らすため、高らかに笑うために集い合う場所を持っている。それは、このマンジュでも同じ。

 銀の器を高らかに、金の波を揺らす男が騒ぎの中心にいた。彼の持つ器から白い泡が零れ、滴る。

 熱気を持った自慢話。

「明日は面白いことになる。久々の大物に当たったんだからな、聞きたいか?」


 そうか、面白いことになるのか。そりゃあ、大物だろう。

 是非とも聞きたいものだな。


 キラも同じことを思いながら、彼に近づいていく。好奇心の瞳が彼に向けられると、ここのクイーンであろうその彼が、再びにやりと笑い、下品な笑い声を上げ始めた。


「いい獲物を背負ってきた鴨を見つけてな、道案内までしてくれ……」


 そうか、鴨が道案内だけをしたんだな。

 キラは彼らの熱気をすべて消し去るような蒼く冷たいその瞳を、彼に向けた。


「なぁ、その話、おれにも一枚噛ませてくれよ」

 そう言って、彼の目の前に重く置かれた麻袋には、一千万ニード分の金貨が詰められている。

 招かれざる客を前に、マンジュのクイーンが息を呑む音が聞こえた。この意味が分かったのだろう。

 こちらも、反故にすれば抹殺される。ルールなど合ってないような便利屋連中が唯一守るルールなのだ。そして、追い打ちを掛ける。


 こちらも、暗黙のルールだ。

 他人の仕事に首を突っ込むべからず。

 どのクイーンが関わっているか分からない、そんな仕事に首を突っ込んでくるクイーンもいない。


「なに、一日待ってくれれば良い。そうすれば、おれの仕事は終わる。後は好きにすればいい」


 一日だけ。その時間さえ稼げば、ワカバをときわの森へ連れて行く時間は取れるのだから。


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