『シラクにて決別③』
逢魔が刻。闇と光が混じり合い、闇が光の中に幻想を見せる時間。朱とも茶とも言える空に混じる紫。太陽が大地に呑み込まれるその前に放たれる金色。
一瞬の色の中に希望を見るか、絶望を感じるかは、それぞれだろう。
最後の一光が消えてしまうと、その様子を静かに見守っていた月に光が戻ってくる。
闇の中でしか輝くことの出来ぬ月は、ジャックそのものとも言えた。
キラはその闇の中で道を照らす光すら遮る木々の小道を早足で進んでいた。少しでもシラクの繁華街から離れたくて、ワカバたちからこの気配を離したくて、少しでも相手が身を隠しながら付いて来ることが出来る道を選んでいるのだ。
大きな狙いは魔女かもしれない。しかし、どうも、今回のターゲットはキラのようなのだ。
魔女を狙うのであれば、単なる賞金稼ぎとも考えられたが、まず気配が違った。
明らかに命を狙う者の気配だ。
しかし、キラはその気配に首を傾げて、木立の陰に隠れた。
キラを狙う奴は、シガラスしか考えられない。
役に立たなくなったジャックを始末するのはクイーンの仕事なのだ。そのクイーンはシガラスでしかない。ただ、シガラスが雇ったにしては、追手の気配が粗すぎるのだ。
これではどこかのならず者である。自信に実力を見失い、気配を消そうともしない砂漠の夜盗と変わらない。キラには返り討ちにするだけの自信はあった。そして、慎重に方法を考える。キラは追手の後ろにある者に、手を届かせたいのだ。だから、追手から身を隠すことをまず選んだ。
来る……
そう思った。そして、キラを見失ったと慌てた影が大きな葉音を立てながら、暗闇に躍り出てきたと同時に、キラはその背後に静かに移動し、その首を締め上げた。若いジャックだった。
キラとそんなに変わらないかもしれない。ただ、……。
「誰に雇われた?」
うめき声をあげながら反撃を喰らわせようと肘をキラに突き立てようとする気概と口を割らない気の強さは、認めてやろう。しかし、人間でも魔獣でも、骨格と関節があるものはすべて、抑える場所を間違えなければ思うように動けなくなる。
その辺りをこいつは知らない。そして、そんな拘束からの抜け方も知らないのだ。
シガラスがそんな奴をキラに向けてきたということが信じられなかった。
暴れていた刺客の力が抜けていく。殺す必要もないだろう。例え、ワカバであってもこの刺客に殺されることはないのだろう。
もし、あの時ワカバが故意にバグベアの時間を奪っていたのだとすれば。
飴玉ひとつで連れて行かれそうな彼女だが、ワカバは今のメンバーの中で一番手強い相手になるのだから。
そんなことを思いながら、キラの意識は、周囲に向けられ続けていた。
シガラスの気配がわずかに感じられた。だが、姿を現そうとはしない。
じれったかった。足元に刺客が転がる。だから、キラは挑発するようにして暗闇に叫んでいた。
「撃つんなら撃てよっ」
叫びに続く沈黙が夜闇をさらに深くする。いるのだ。しかし、撃ってこない。ということは、奴にも迷いがあるのだろう。奴なら撃とうと思えばいつでも撃てたはずだ。
「なぁっ。聞こえてるんだろっ?」
シガラスの沈黙が夜の森に広がる静謐をさらに深めていくようだった。まるで死の世界にいるようだった。しかし、確かにキラとシガラスの息づかいは、聞こえてくるのだ。
「あぁ、そうか。腕が鈍ったんだな? だったら、出てこいよ。よく見て、ここを撃ち抜けばいい。逃げないからさ。そうだよな、こんな奴しか雇えないお前なんて、怖くもない」
キラの言葉のすべては嘘で出来ていた。キラはシガラスが怖い。今のキラでは勝てない相手だとも思っている。それなのに言葉にすればその嘘が一番真実に近いのだ。
実際キラは『キラ』でいられなくなった自分自身がこのまま生きていくと考えることに、恐怖を感じているのだから。しかも、あれだけ死に場所を求めていたのに、今は『生』を求めてしまう自分が怖いのだ。
戻れないのに、ふと『もしも』を考えてしまう。
すべては魔女のせいだと言いたいのに、ワカバのせいだとも思いたくない。
「なぁ……」
きっと、キラは何があってもワカバを殺せない。
「使えないジャックは、消されるんだろう?」
沈黙にその言葉が染み渡っていく。そして、染み渡った言葉の響きが消える頃、葉が擦れる音がした。そして、土を踏みしめる音が一歩、また一歩とキラに近づいてくる。シガラスが動いたのだ。
そして、銃をキラに向けたまま、彼がキラの目の前に現れた。
「機会はやろうと思ってな」
シガラスの口から発せられた言葉の調子は軽かった。にもかかわらず、彼の表情は苦々しい。
「お前はなんであの魔女と一緒におるんじゃ?」
「仕事として請け負った相手だ。何が悪い」
「じゃったら、仕事が終わればあの魔女をお前は殺せるんだな」
先の質問には即座に答えを出したキラが、黙して喋らない。そんな彼を睨み上げたシガラスが畳みかける。
「殺せるのか、聞いておるんじゃ」
「おれが殺す必要なんてないだろう?」
世間では確かに魔女を殺して欲しいという依頼がたくさんある。しかし、その仕事をキラが請け負う必要性は、ないのだ。そう、関係ないのだから。
関係、ないのだから。
ワカバをときわの森へ連れて行きさえすれば、関係ない。目の前で他のジャックがワカバを仕留めたとしても。
「わしは今、あの魔女を殺って欲しいという依頼を一つ持っているんじゃ、」
それなのに、キラは続いたシガラスの言葉を遮った。
「そんなの、ここに倒れている奴に頼めばいいだろう? こいつでも十分狙える標的だ。それでいいじゃないかっ。なんでおれなんだよっ」
そうだ、ワカバはここに倒れている奴でも十分に狙うことが出来るのだ。おそらく、そうだ。バグベアの時間を奪ったのは、ワカバだったかもしれない。しかし、ワカバは魔法を使うことを恐れているのだ。人間を傷つけることを悲しむのだ。
そんな奴が、ここに倒れている刺客に有無を言わせず消し去ることがあるなんて考えられない。
そうだ。
そうなのだ。
そんな風にワカバに制約をかけてしまったのも、キラなのだ。だから、ワカバは言葉を発することをやめた。そうだ……『キラ』はワカバを賞金首どおりである『凶悪な魔女』にしたくなくて、彼女が生きるであろう世界の中で生きられなくしたのだ。
キラを見つめていたシガラスが至近距離まで詰め寄ってきていて、そのまま大地を踏みしめて、歯を噛み締めた。
「なぁ、簡単だろう? その銃で撃ち抜けばすむんだろう? なぁ」
だらんと垂れていたキラの腕がシガラスの銃頭を掴む。そして、自分の胸に押し当てた。
「おれは、もう使い物にならないジャックなんだよ」
「じゃから、嫌だったんじゃ。ガーシュが言うから引き取ってやったが、嫌だったんじゃ」
そして、動かない銃口に苛立ちを乗せたシガラスの声が怒りに揺れて、キラの胸にその銃口をただ力任せにねじ込んだ。
「なんで、自分で育てたまだ使える優秀なジャックを始末せんとあかんのじゃっ。そいつはダイスという駆け出しジャックじゃ。キングになりたいと言ってたからな、お前を始末出来るんなら見込みはあると焚きつけてやったんじゃ。じゃが、その有様じゃ。なぁ、お前だったら、たとえ駆け出しだったとしても、隙だらけの今のお前など、問題なく始末出来たじゃろ? なんで魔女なんかと関わったっ。なんで……捨てる機会はいくらでもあったじゃろっ」
なぁっ
月闇の夜にシガラスの声が響いて、そのまま闇に消えていく。
キラは黙然としていた。何を見るわけでもなく。何を聞くわけでもなく。
責められることをただ受け止めて。胸に氷を抱いたような、そんな未来を見つめて。
それなのに、キラは生きているのだ。














