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Ephemeral note「過去を変える魔女と『銀の剣』を持つ者」  作者: 瑞月風花
第二章『魔女が望む世界』

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『シラクにて決別②』

 今回は三人部屋だった。だけど、アブデュルはベッドでくの字のまま。シャナはお散歩、キラは隣の部屋でひとり部屋。そして今は用事で外出中なのだ。

 どうしてキラだけが別の部屋になっているのかは、ワカバには分からない。

 だけど、キラとシャナはよく喧嘩をするし、今、ワカバがアブデュルの薬を作ってあげているから、別におかしなことでもないのかもしれない、とは思っていた。


 そして、そんなワカバは看病のためとは意識せず、アブデュルの様子を観察中だった。

 アブデュルに渡した薬は腹痛の薬。もうすぐ効いてくるはずだけれども、……と彼の額に掌を載せたワカバは『大丈夫』の意味を込めてこくりと肯いた。

 熱は上がってきていないようだ。きっと、もうすぐ眠りに誘われるはず。

「ワカバちゃん……ごめんね……」


 アブデュルがどうして謝るのかは、ワカバにはまったく分からなかったが、(かぶり)を横にし、彼の言葉を否定した。ワカバが彼に近づく度に、彼は謝ってばかりいる。

 謝らなければならないのは、すぐに治してあげられないわたしの方なのに……。

 そう思って、そっと窓辺へと移動する。そして、窓の外を見つめながら、ここにいないふたりを思うのだ。


 キラはお出掛け、シャナはお散歩。ワカバは意識的にそんな言葉を脳裏に刻みつけていた。

 窓の外は夕暮れに光る暖かい色の提灯が幾つも垂れ下がっていた。

 屋台というものらしい。

 湯屋帰りの湯治客がそこで美味しい物を買って食べるのだそうだ。提灯をずっと眺めていたワカバに、キラが教えてくれたことは、それだけで、後はシャナと好きに過ごして良いと言っただけ。

 キラはラルーに会った後から、どことなくワカバの傍にいない気がする。ただ、気がするだけで、傍にいないわけではないということだけが不思議で。


 ひとりぼっちになっているわけでもない。夕焼けと提灯の色が景色を朱く染め始めた頃に、キラは用事があると言っただけで、お別れの言葉を言ったわけでもない。だから、不安なわけでもない。

 ワカバが魔女だから戻ってこないのだとしても、ここには人間のアブデュルもいる。だから、シャナもキラもきっと帰ってくるのだ。


 それに、キラは一緒にときわの森へ行ってくれると、二度も約束してくれているのだから。


 ワカバはそう思いながら、眼下に広がる朱色の景色を眺めていた。

 とても騒がしい。賑やかとも言うのだろう。たくさんの人間が楽しそうに笑いながら、何の警戒もなく気持ちを緩めて歩いている。きっと、湯屋帰りの人間たち。シャナはお散歩の後に、湯屋にも連れて行ってくれるとワカバに約束をしてくれた。


 大きなお風呂にたくさんの人が一緒にお湯に浸かる場所。

 とても不思議な場所だと思った。

 だけど、仲良しは良いことだと思った。

 山道にあったシャナとキラの喧嘩や、アブデュルとの喧嘩なんかよりもずっと。

 バグベアが来た時よりもずっと。


 そうだ。明らかにキラがワカバの傍からいなくなったのは、この後からだった。気づけばワカバはいつもシャナの傍にいたり、アブデュルの傍にいたりするようになっていた。

 キラはワカバの傍にいる。だけど、隣にいることがなくなっている。

 ふと、ワカバはそんな違いに気づいてしまったのだ。


 あっ


 そして、そんなことに気づいたと思ったワカバの瞳にキラが映ったような気がしたのだ。

 たくさんの人の波の中に一瞬。そして、波に呑まれて消えていく。


 待ってっ


 窓を開いて手を伸ばす。もちろん、届くわけがない。ただ、少しでも近づこうと、さらに窓へと乗り出す。足が宙に浮く。重心が頭の方へと移動していく。


「なにやってるのよっ」


 シャナの叫び声と共に、そのシャナの腕がワカバのお腹に巻き付いていた。そして、重心が足へと戻っていき、急な重心の変化とシャナの重さに耐えきれず、ワカバはそのまま尻餅をついてしまった。

 背中が温かかった。だけど、振り返り見上げるシャナの表情は、今までに見たどの表情よりも怖かった。


 怒りが頭上から降りてくる。だけど、これは怒りだけではない。


「なにやってるのよっ。危ないのよ。落ちたら死んじゃうのよっ」

 シャナの怒りは、ワカバを見て怒りを顕にしていた人間の持つ『怒り』ではない。シャナの表情を見ていると、ワカバまで悲しくなってくる。


 だけど、この悲しいは、金魚ちゃんの時に感じた『悲しい』でもない。


 シャナは怒っている。だけど、その怒りは温かい。そして、二度とその怒りをシャナに抱かせてはならないと感じるもの。ワカバの中にある感情がゆっくりと蠕動(ぜんどう)するようにして、動いている。荒くれるものでもなく、止めどなく流れるものでもなく、うねりを帯びたなにかのように。

 それがいったい何物なのかを、探るように。

 シャナを見つめたまま喋らないワカバに、シャナの怒りはアブデュルへと向かった。


「アブッ。あんたも目の前で年下の女の子が窓から落ちそうになってるのよっ。いくら魔女だからって、あんた、なにしてたのよっ。お腹が痛いからって人が死ぬのを黙って見てるなんて、最っ」


 シャナの言葉が途切れたのは、ワカバがシャナの手を握りしめたからだ。

 それ以上、言ってはいけない。

 ワカバはそんな風に思ったのだ。アブデュルは悪くないのだから。アブデュルは腹痛で眠っていて、眠らせていたのはワカバの薬で、夢うつつのアブデュルに何か出来たわけでもなく、人間が魔女を助けることなんて、ないのだから。

 すると、今度はワカバの頬に涙が零れてきた。


 そして、また別の『悲しい』……に気がついた。


 『ワカバ』は魔女だから……。人間を傷つける魔女だから……。

 だけど、同時にあのうねりが別の温かい場所に辿り着こうとする。

 いや、それよりも『人』が死ぬと言われた。シャナには『ワカバ』が『人間』に見えているのだろうか。ただ、涙が零れる。


「もう、いいわよっ。泣くことないでしょう? あたしが悪いって言うの?」

 ワカバは慌てて頭を振った。しかし、シャナはそれを許さなかった。

「あのね、ちゃんと言葉で言いなさい。人間は、自分の気持ちをちゃんと言葉で伝えられるように出来ているんだからねっ。あんたもちゃんと話をしなさい。本当に失礼なんだからね、それ」

 だけど、……。

 と、ワカバはシャナを見上げ、一つしゃくりを上げる。

 シャナの顔は怖いままだ。声を出さないと、シャナはずっと怖い顔なのだろうか。


「なによ、そんなにあたしが怖いっていうの?」

 シャナの顔は怖いけれど、シャナ自身が怖いわけではなくて。

 ワカバが恐れているのは、ワカバ自身で、シャナが怖いわけではなくて。

 頭を振ろうとしても、言葉を出そうしても、とても怖くて。


 いつもワカバを助けてくれるキラは、ここにはいなくて。いつも悪いのは、きっと『ワカバ』で。

「……」

 ワカバは、自分の中にあるうねりを治めるようにして、胸に手を当てる。シャナを見上げる。慎重に、声を出す。

「……怖く、ない。悪く、ない」

 胸にある手が震えるので、その手をもう片方で押さえる。シャナの表情が柔らかくなった。


 大丈夫なの? 何も起こらない?


 流れていた不安が、少し落ち着いてくる。そして、そんなワカバをシャナが見つめている。

「アブデュルを、怒らないで……眠っていたのは、薬、の、せいだから」

 魔女を助ける必要なんて、人間にはないのだから……という言葉は怖くて出せなかった。


 シャナが笑う。よかったという思いにうねりが辿り着く。胸を打ち続けていた鼓動は、新しい未来への期待と不安からのものに変わっている。

 『魔女の時』を動かすのは、魔女ではない。だから、ワカバはその時を待った。


「あなた、良い子なのよね……」

 ポツンと落とされたシャナの言葉にワカバは(かぶり)を振ってしまい、慌ててシャナの顔を見上げると、彼女はまったく怒っていなかった。その代わりワカバに尋ねてくれた。


「ねぇ、お腹減ってない? 美味しそうなお店がたくさんあったの」

 そして、いつもの調子でアブデュルに悪態をつく。

「アブ、あんたもいつまでも床に伏してないで、湯浴みにでも行って体を丈夫にしてきなさいよ。で、ワカバ、返事は?」


 今は出るかどうか分からない魔法よりも、シャナがまた怖い顔になることの方が怖かった。だから、ワカバは言葉で返事をする。

「行く」

 そして、シャナはワカバに食べものを食べろという四人目の人間になった。

 違ったのは、結構強引に屋台に連れて行かれ、やはり強引にワカバにものを食べさせようとしたところだろう。


「いい? たくさん食べないと大きくなれないんだからね」

 大きくなりたいとは思っていなかったワカバは、曖昧に笑いながらシャナのくれる屋台の食べものを口にした。

 大きくなって喜んでくれるのであれば、大きくなるのも悪くないのかもしれない。


 夕闇にはまだ少し早い。黄昏の光が朱色の提灯を輝かせる時間のことだった。

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― 新着の感想 ―
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