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Ephemeral note「過去を変える魔女と『銀の剣』を持つ者」  作者: 瑞月風花
第二章『魔女が望む世界』

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「三月山を越えて行く⑥」

 

 朝起きると、まだ夢の中にいるようだった。

 ワカバはテントに戻ってきた覚えがない。それなのに、たき火の傍で毛布を掛けられて眠っていた。たき火番をしながら、眠ってしまっただけなのだろうか。

 あれは夢だったのだろうか。


 昨夜、ワカバはラルーに呼ばれたような気がしてこっそりとテントから忍び出たのだ。泉の傍まで行って、空にある月を眺めて、そう言えば頂上だと三つの月が見えるとキラが言っていた、と思っていると、本当にラルーが現れた。


 ラルーはワカバの隣に座って「今日ならば月は三つ見えていたでしょうね」と一緒に空を眺めてくれた。そして、ワカバの背中を優しく擦り、続けた。

「今のあなたから出てくる魔法くらいわたくしが消し去れますわよ」

 それでも喋らないワカバに、あの『大丈夫』の微笑みをくれ、ラルーは続けた。

「見くびらないでくださいませ。そんなに恐ろしいと思うのならば、わたくしと共に参りますか?」

 ワカバはやはり大きく頭を振ってその答えとした。そんなワカバを仕方なさそうにラルーが見つめていた。


 ワカバはキラやシャナ、アブデュルともっと一緒にいたいのだ。信用してはならない人間だったはずなのに、彼らはワカバを傷つけることもなく、共にいてくれる存在だから。

 ワカバは人間も好きになりたいと思う。出来るなら、ラルーにも人間を好きになって欲しいと思う。

 そんな風に思うワカバに、ラルーはあの女神像のような微笑みを浮かべたまま、再会のためのさようならをくれた。


「分かりましたわ。その時が来るまで、わたくしは控えておきましょう」


 『その時』とはいったいいつ来るのだろう?

 ラルーの言葉を思い出していると、ワカバはそんな疑問に辿り着いていた。ラルーは、いつも嘘はつかなかった。嘘ばかりで出来ていると思ったあの時でさえ、ラルーの言葉はワカバにとっての真実として存在していたのだから。

 嘘はつかない。だけど、ラルーはいつも何かを隠しているのだ。


 それは、ワカバが理解出来るまでを待つ、という意味を持っているのかもしれない。

 ワカバが『その時』を理解した時に、ラルーがワカバを連れて行くということなのだろうか。


 出来れば、『その時』が来ないことをワカバは願った。


 ☆


 ワインスレーの天気は変わりやすく、不安定だ。晴れたと思えばすぐに曇りはじめ、雨が降る。豪雨になって人々を打ち付けることもある。

 マナ河を挟むだけで、水の心配をするリディアスとは正反対の心配が始まるのだ。


 海のように広いマナ河は氾濫こそしないが、ワインスレー諸国を潤している池や泉、小川はすぐに溢れる。

 各国の元首・領主たちはほぼその治水事業に追われる日々となる。だから、ワインスレー諸国にある国々は、リディアスに比べればどこも貧しい。

 それは、ときわの森を持つディアトーラだって同じだった。


 しかし、その雨のおかげで自然と多種多様な作物に恵まれ、四季を持ち、雪解けの音を聞くことが出来る。リディアスにないものが、すべて揃っていた。


 それらが、キラの捨てたすべてである。


 なだらかな下山が続いていた。少しも魔獣が襲いかかってくる気配がない。そのことについても、気色の悪さを感じていたキラだったが、それよりもただ単に空の雲行きが怪しかった。雨が降るのだろう。そして、シャナの機嫌もおそらくさらに悪くなる。

 今のキラにとっては、最大の敵がシャナなのかもしれない。


 シャナの機嫌は空にある天気のようで、キラにはどうにもならないのだ。ワインスレー諸国の天気がころころ変わると言っても、シャナのように唐突ではない。風と雲の動きを見ていさえすれば、どことなく分かってくるものなのだ。

 だから、キラはどれだけ自分が腹を立てないように過ごせるかに努めて歩いている。彼女の声が聞こえてくるだけで、「五月蠅い」と叫びそうになるのだ。


 そして、短気だと思っていた自分が意外と気長であることに気がついた。

 ただ、そんなシャナのおかげで、昨晩の邂逅についてを深く考えなくてすんでいるという面もあった。


 ラルーが銀の剣を持っている。そのラルーの元にキラはワカバを連れて行こうとしている。


「ねぇ、まだつかないの?」

「さっき言った通りだ」

 そうやって、キラの思考を止めに来る。


 天気さえもてば山は完全に下山しておきたい。しかし、天候具合では木こり用の休憩小屋で休む方向で考えている。そこに辿り着くまでにもまだ小一時間は歩かなければならない。だが、キラの背後で行われているアブデュルとの会話を聞いていると、おそらく雨が降るよりも早く、シャナの機嫌は崩れるだろうと思われた。

 その機嫌の悪さがワカバに向かわなければ良いのだけれど……とワカバを振り返る。このワカバもキラにはどうすることも出来ない。


「アブ、どうしてあいつは、あんななのよ。もっと言い方ってのがあると思わない?」

「そうですよね」

「あんたは、どうしてそれしか言わないのよっ。ほんと、つくづくつまらない男よね」

 ワカバは不思議そうにシャナとアブデュルの会話を見つめていた。

「ワカバ、あんたもよっ。人の顔を未知の生物に遭ったみたいに眺めないっ。ほんと、失礼」


 二刻ほど前に軽い昼食を取った頃は、空も晴れて、ワカバへの当たりもかわいいものだった。

「あのね、こうやって食べると美味しいのよ」

 彼女は背負っていた鞄の中から果物の甘露煮を取り出して、ワカバのパンに挟んでいた。

 ワカバは素直にそれをもらい、こくりと頷いた。きっと、「美味しい」と言っているつもりなのだろう、とキラは思った。

 それはシャナにも伝わったようで、彼女も満足そうにしていた。


 果物の甘露煮はとても高価である。そんなものを大事に持っているところを見ていると、やはり元は金持ちだったんだな、とキラにも納得出来た。

 そんなふたりをぼんやり見ているキラにまで「あんたもいる?」と声を掛けてきたのだから、とにかく機嫌はよかったのだろう。


 ただ、そんなものをくれるよりも、彼らの生活費をキラが支払っていることに気づいて欲しい。

 『お嬢様』といっても、貴族令嬢というわけでもないのだから、金の使い方を知らないわけでもないのだろうし。

 キラはその思いを言葉には出さず、シャナの施しを断った。


 キラがそれを思い留まった理由は、いろいろある。

 その時ですら、機嫌は悪くなかったのだ。

 長閑すぎてそんなことを思っていると、雨が一粒落ちてきた。


「降ってきたな」

「えっ、嘘っ」

 そして、曇天を見上げ、キラはため息を空に吐き出した。


 おそらく豪雨になるのだろう。

 小一時間は降り続けるだろう。

 シャナの雷と天の雷は、どちらが早いだろうか。

 雨を凌ぐために準備した薄手のポンチョは一応人数分ある。念のため追加で準備しておいたのだ。

 さて、彼らに渡すべきなのか……。

 ワカバが心配そうに空ではなくシャナの顔を眺めている。


 キラの都合で、もちろん、ワカバは平気そうに歩くのだろうけれど、そんな彼女が濡れてしまうのは少し申し訳ない気もするし、自分だって濡れたまま歩きたいわけでもない。

 そんなことを思いながら、もう一度シャナを眺めた。

「ねぇ、どういうこと? まったく雨だなんて聞いてないわ」

「お嬢様、でもお天気は神様がお決めになることですし……」

「神様がいたら、あたしがこんなところを歩いているわけないでしょう?」

 なんとか反論してしまったアブデュルの声の後、キンキン声が続いた。


 そんな様子をワカバと同じように眺めていたキラは、やはり息を大きく吐き出して、背負っていた鞄からポンチョを取り出し、彼らに放り投げていた。


「貸してやるんだからな」

 そして、最大限の譲歩したキラの言葉に、シャナが驚いたように声を発した。

「あなたって、お母さんみたいよね」


 キラは納得出来ないまま沈黙を保ち、捨てるに捨てられない荷物が増えていることに、ため息をついて、怒りを腹に押し込める。

 ただ、そんなシャナのお陰で、ラルーが最後に残した言葉の意味を考えなくてすんでいることも確かなのだ。


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