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Ephemeral note「過去を変える魔女と『銀の剣』を持つ者」  作者: 瑞月風花
第二章『魔女が望む世界』

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『三月山を越えていく①』

 とても閑か。

 こんな場所にまさかこの女神像があっただなんて、思いもしなかった。

 白磁の女神像がその手で天空から注がれる光を受け取る形で台座にある。その女神に降り注ぐ光は、青。それは、ワカバの好きな色だった。

 まるで、光を掬い上げるようにして、その青い光を女神像は見つめている。

 そんな女神像をやはり静かに見上げるワカバは、いったい何を思っているのだろう。


 しかし、本来リディアスに置かれる女神像の多くは、その両手を広げ、天から受け取った光を人々に解放している。

 そう、それは、リディアスが信仰するリディア神に、世界の創造主であるトーラが屈した姿なのだ。

 そうやって、支配した地域が、リディアスにはいくつもあるのだ。

 だから、まさか、こんな場所にと。


 ここ、三月山麓の町は、スキュラの隣に位置する領地に属しており、大昔にここの族長の娘がリディアス国王に輿入れしたことから、特別感を醸し出そうとする町だった。

 だから、教会があると聞いて、キラはまずここにワカバを連れてきた。だから、町長にも残りの仲間ふたりは今教会で祈りを捧げていると伝えたのだ。

 魔女ならば、神聖な教会を嫌がるだろうという、固定観念を利用しようとして。

 それなのに、ここには魔女を信仰するとされるディアトーラと同じ、昔からある女神像が残っていたのだ。こんな辺境にまでリディアス国王の目が届いていないだけだ、とキラは思いたくなった。


「どうだったの?」

 ワカバと先にここへ向かわせたシャナがキラに尋ねる。

「あぁ、一晩泊めてくれるらしい」

 黄昏の時。そんな時間から国境を跨ぐ山を越えるわけにはいかない。ただ、この町で得たものは、必ずしも安全を約束してくれたものではないのだ。

 ここの領主がそうであるように、町長も同じくそんな目を光らせているのだから。


「ふーん。もちろん、あたしたちのことも泊めてくれるようになってるのよね?」

 その物言いにキラは不機嫌に「あぁ」とだけ伝え、宿として一晩使わせてくれるという町長の家の離れと、その町長に目を付けられたアブデュルに思い巡らせた。アブデュルは良い意味でなにも気付いておらず、町長は嫌な笑みを浮かべる奴だった。

「心配しなくても、あいつは、何か企むようなことはしないわよ」


 それは、キラの僅かな沈黙を勘ぐったシャナの言葉だった。キラも心配などしていなかった。意志などなさそうなあの男に意志があるとすれば、この女を支持することくらいだろうから。この女が、ワカバを狙うというのなら、それ以上の動きは控えるくらいの分別は持っていそうなのだ。

 そして、「なら良い」とシャナの勘違いに続けたキラは思った。


 もしかしたら、ワカバはトーラなどではなく、貧乏神かなにかの類いなのではないだろうか。

 もし、そうだったのならば、どれだけ気が楽だったろう。シャナを睨むようにして、彼女から視線を外したキラは、小さな溜息を密かに付いていた。


 ただ、運悪くシャナ達が付いてくることになったというだけで。 

 ただ、ワカバの顔を知る者を今ここで放ちたくないだけで。

 ただ、キラは『キラ』としてのみ存在すれば良いだけで。


 この結果はキラの詰めの甘さからなのだ。シガラスはこの辺りを整えてからキラに仕事を渡していた、ということだ。そう思えば、鬱陶しいばかりだったシガラスの有り難みも感じられなくはない。

 そして、こんな場所から回らなければならなくなった理由のひとつは、やはりランドであった。

 もちろん、関所からワカバと共に逃げ出すことが出来たのは、ランドのお陰だ。しかし、扱いを間違えるわけにはいかない、厄介な男であることだけは間違っていなかったようだ。


 あの時、「ワカバさんのためならば、喜んで手は貸しますよ」そう言ってランドは笑った。

 どうせなら、ここの町長のように厭味ったらしく笑ってくれた方がまだ良かった。そうすれば、ワカバがキラと共に進むということも、奴の言った『ワカバを守れ』という言葉もしっくりきたのだ。ワカバをリディアスという残酷な国から解放するために、険しい三月山へわざわざ進むのだ。信じて進むにはこれ以上ない正義だろう。しかし、奴は、嫌みもなく、からからと笑いながら船の面通し強化を、キラに伝えたのだ。


「船での逃亡は、面通しを強化させていますから、今回は諦めてください。これからも『彼女』を守ってやってください。よろしくお願いします」


 そう、ワカバがランドの満足のいく様子だったおかげで、キラは国に突き出されることもなく、ワカバも再び捕らえられなかったということ。そして、これは、ランドが絶対的優位であることを伝えられたに過ぎない。 

 結果は良い方向へと進んだ。しかし、どこか掌の上にあるようで気持ち悪く、ランドの言葉にさえ、疑問しか生まれなかった。

 いったい、どんな目で見ればあの状態のワカバが奴にとって満足のいく状態と思えたのか。


 権力としても優位性のあるランドがワカバを保護する方が、ワカバにとっては良いのではないか、という思いが纏わり付いてしまう。

 あんな男だが、奴は研究所内のすべてを掌握出来る立場だ。それに口を出すことが出来るのは、現リディアス国王、アイルゴットだけなのだから。

 ワカバは、今も一言も喋らず、キラを見て息を呑む。これからだって、ワカバを傷つけない約束すら出来ない。


 マーサの元であんなに話をするようになっていたワカバの口を再び塞いでしまったということは、キラの中に罪悪感しか生み出さなかったのだ。

 もし、自分がランドの立場だったら、間違いなく『捕らえる』を、いや『キラからの保護』を選択しただろう。少なくとも預ける相手は間違っているのだ。


「ねぇ、あの子って本当に魔女なの?」

 そんなキラの心境を知ってか知らずか、無神経なシャナの言葉がさらに続いた。

「名前はワカバ? いくら聞いてもなにも言わないのよね」

「あぁ、ワカバだ」


 確かに彼女は、『ワカバ』という名前を持つ魔女。シャナは最初の答えがなかったことは、気にせずに「ふーん」とだけ呟き、そのままワカバに視線を遣った。


 おそらくシャナとアブデュルもそれを知って付いてきている。喋らないワカバが、彼らの同行を許可したという言い分は、キラには信じられなかったが、魔女の容姿を確実に知るようになったこのふたりを、キラの監視下に置いておくと言う点では、付いてくることに異議はなかった。

 問題は、これから国境を越えるために越える、三月山である。


 ただ……。


 キラは気だけは強そうなシャナと、気持ちすら弱そうなアブデュルのこれからを考えてしまうのだ。

 三月山はリディアスとワインスレー地方との唯一の地続きの国境である。しかし、国境であるにも係わらず、両国ともに簡易的な関所しか置いていないと言うことには理由があるのだ。

 天気にさえ恵まれれば、天空の月、白濁の月、そして、水面に揺れる月を臨むことが出来るという謂われの一つとは、ほど遠い使われ方をしているここは、自然の処刑場なのだ。


 リディアス側の山頂とそれまでの道のりは植物さえ生存を諦めた岩場と寒さが人々に襲い掛かり、ワインスレー側の瘤を過ぎれば、ときわの森と遜色ない大型魔獣が人々に襲い掛かってくる。


 それは正しく、この山の成り立ちどおり三月(みつき)間噴火し、その後三月(みつき)間火山灰を降らせ続け、その地域にいた全ての生き物を滅ぼしたという神の怒りにも通じるものだ。リディアス側の山頂には、石灰質を溶かした白濁の池。ワインスレー側にある瘤のような部分は、その火山活動で生まれたもの。そして、その瘤からはマナ河の源流と言われる泉が湧いており、生き物を再生させた。


 その下流の地域に住む者達は、その河の水があってこそ、生きてきた。リディアスは、その水があったからこそ発展し続けた。


 死滅と奇跡を孕む山は、罪の重さを量る天秤にちょうど良かったのだろう。

 そして、到底生き延びられない場所から生還することが出来たのならば、罪は帳消しにしても良いという暗黙の了解だった。


 要するに、死んだ者に裁きは与えられないということ。


 過去、そんな山に、キラは登った。

 ジャックになる少し前。

 自分の『生』を天に任せたくて。


 それなのに、死ぬことが出来なかった。帳消しになど、出来ないのに。『ルオディック』は死んだとしても、その記憶を持ったまま、キラは生きていた。

 だから、ジャックになり、『死』を求めた。


 三月山は確かに危険な場所だ。しかし、天候と運に恵まれれば、登って降りてくることは可能な標高の山であり、一度登り、その山の癖さえ知っていれば、遙かに生存率が高くなる。

 あの時どうして、キラのような者にそんな恩恵が与えられたのかは、分からない。


 しかし、キラはシャナを眺め、宿の手配に都合よく使われたことにも気付いていないだろうアブデュルを考えてしまう。キラは、年長者であるアブデュルを前面に出し、騙されやすさを強調したのだ。

 相手が、こちらの掌の上にあるように。

 それなのに、迷いが出るのだ。


 シャナとアブデュルは、三月山を越える体力と覚悟はあるのだろうか……と。

 遭難してしまう可能性は、伝えておいた方が良いのだろうか……と。


 それは既に、ジャックとしての感覚ではないのだ。そんなキラの諦めを映すかのように、本来、凶悪であるはずのワカバは、今、ここにある誰よりも何よりも清らかに存在していた。


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