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『スキュラの魔女④』

 さてどうしようか、と退魔の布を巻き付けた黒鉄の棒を構える。空にいたはずの赤いインコはもういない。あれはいったい何だったのだろう。

 半透明に透けて見える水竜は、おそらくワカバが作り出したものなのだろう。ガラス玉のように何も写さない竜の瞳は深い青色。ワカバの好きな色だった。


 正直なところ、あの小火のような火の次がこんなに巨大なものだとは思いもしなかった。

 しかし、今のところこの水竜から攻撃性は感じないのだ。

 打ち込んで初めて攻撃されるのであれば、もう少し策略は立てたい。

 時間さえ稼ぐことが出来れば、リディアスの兵達も集まって来るだろう。そもそも、この大きさの魔獣をひとりでどうにか出来るものではないのだ。ときわの森にいる大型魔獣でさえ、最低二人で一匹とキラは教えられてきたのだ。


 まして、あの中身がどうであれ相手はどう見ても竜である。世界に未知が多かれといっても、おそらく完全に架空の生き物だ。だから、どれほどの力を秘めているかすら定かでない。

 そのために、動かぬ敵を前にして、黒鉄の棒を構えたキラは固唾を呑んでいた。

 ワカバは何を考えていたのだろう。スキュラの魔女の話を覚えていたのならば、引きずり込まれることを望んでいたのだろうか。

 水竜の視線がわずかに町へと向かう。それは、ワカバを向かわせた方向だった。ワカバの魔力を求めた行動なのだろうか。それとも、ワカバの命を求めた行動なのだろうか。

 魔力切れは確かにある。しかし、彼女が生きている限り、これは消えないが常套である。


 ワカバがこれに何をさせたかったのか、それが分かれば戦い方も思い浮かぼうものなのだが、あのワカバの様子からは、突如よく分からないものが現れた、としか言っていないように思える。

 そう、ワカバは話をしなくなった。それなのに、彼女の表情は以前に比べると随分と様々な表情をするようになり、様々なことを伝えてくるようになった。

 なんなら、今の方が喋っていた時よりも分かりやすいくらいに。

 結局、ワカバを行かせたことは、キラが別れる機会を作りたかっただけなのかもしれない。それを『トーラ』を持つかもしれないワカバが敏感に感じ取ったのかもしれない。トーラは人の願いを叶えるものなのだから。


 さて、とキラはもう一度考えた。ワカバがトーラである可能性はある。しかし、決定ではない。

 なぜなら、キラは自分の死もワカバの死も望んでいなかったのだから。

 スキュラの水竜と言えば、魔女をその河に引きずり込もうとするもの。

 その伝説の源流は、このマナ河の氾濫から来ているものだ。

 かつては時の遺児達の村があったのかもしれない。

 人間が返り討ちに遭った過去だってあったかもしれない。


 そんな魔女伝説の陰に何が隠れているのかなど、今を生きている者たちには分からないのだ。リディアスが都合良く言い伝えているものなのだから。都合の悪いものは消されているはずだから。

 ただ、ワカバがその伝説に準えて、何かを考えていたのだとすれば、をキラが勝手に想像するだけで。

 水竜に呑み込まれた町を想像し、思い描いたものを実現したのならば。


 水竜は魔女を引きずり込むのだ。

 そんな過去が流れるマナ河に、ワカバは魔女である自分などいなくなれば良いと考えていた、とも考えられる。

 それは、キラがワインスレー側の港町グラクオスで考えていたことと同じなのだ。ワカバは、なぜかキラの過去を準える節があるのだ。

 だから、きっと、キラはワカバを毛嫌いしてしまうのだ。


 キラに準えるのであれば、彼女がここで死ぬことはない。現にキラはあの時死ななかったのだから。ガーシュに声を掛けられて、今もここで生き恥を曝しているのだから。いつ死んでも構わないと考えながら、生き続けようとしているのだから。

 退魔の布に賭けて、打ち込むしかないのかもしれない。打ち込めば、壊れるだけのものなのかもしれない。

 そうキラが結論づけたと同時に、風向きが変わった。


 青いガラス玉のようにしか見えなかった水竜の瞳が深い緑に呑み込まれ始める。まるで、瞳に緑の意志が塗り込まれていくような、侵食されていくような。水竜自身の方向性が定まっていくような。

 水竜が空を仰いだ。

 何かが起きる、そう感じた。だから、キラは黒鉄を握る手に力を込めた。水相手に、どれだけ物理攻撃が効くのか、キラにはまったく分からなかったが、為すがままに攻撃されてやるつもりもない。しかし、覚悟は決めていたが、手に汗が滲み出てきた。

 黄トンボの目玉も買っておけば良かった、そう思えて仕方なくなる。

 ジャックになってから『死』など恐れたこともなかったはずなのに。どうして、こんなに生きることに執着するのだろう。


 しかし、そのキラの警戒は無駄に終わったのだ。水竜の瞳が完全に緑に呑み込まれた後の一瞬で、水竜を構成していた水の粒子が、一度に霧散したのだ。そう、まるでそこに何もなかったかのように。

 僅かな水滴と、その水滴に絡まるような光だけを残して。

 蜃気楼のような靄だけをその光に映して。


 何かが、変わったのだ。

 そう、魔力が消される何か。

 思いつくのは、術者の消滅。

 あのワカバが、適切な術の解除をしたとは思えないのだから。

 キラはふと我に返る。水竜が消えて、人の声が近づいてきていた。

 水竜が消えてしまった今、ここにいつまでもいる必要はない。まだ遠くにある影は、一般人と思える二名と、スキュラの衛兵数名。


 いくらワカバがいないとはいえ、キラ自身も目立ちたくはない。それに、奴らに捕まって事情を聴かれるという面倒を省きたいという気持ちが先立つ。

 とにかく、ワカバを探さなければならない。


 関所は今開放状態だった。あの水竜から逃げてきた旅人のために解放されてあるのだろう。その実、スキュラへ入ろうとする流れも確かにあった。それに、ここは、列車に乗るにしても、船に乗るにしても通行証が必要な場所であり、関所と言っても同じ国内のことだ。ここを開いたからと言って、問題はないのだろう。リディアスの衛兵は、優秀なのだから。

 そんな関所の門に集まる人々を掻い潜り、キラは先ほどとは違う喧騒の中にあるスキュラの町へ、再度ひとりで入っていった。


 町の中に入ると流れは外へと向かっていた。野次馬とも言える人の流れと、逃げ込む人の流れ。それを整理しようとする衛兵達。竜討伐へ向かわされた衛兵よりも、こちらを任されている衛兵の方が、負担が大きいのではないだろうか、と思えた。

 関所の辺りには、いなかった。

 町の中でワカバがいそうな場所といえば、船着き場くらい。しかし、まだ二便目も出航していない状態だ。


 もし、いないとすれば……。


 人の流れを見つめていると、声を掛けられた。女の声だった。

「お前も人捜しか?」

 パルシラだ。

「あぁ、いや、驚かせたな。人を探していてな」

 よほど驚いた顔をしていたのだろう。パルシラは表情を緩めて、愛想良くキラに話直した。

「なんとなくお前から便利屋稼業の臭いがしたんで、声を掛けてみた」

「おれは、お前らなんかに用はない」

 パルシラの不意打ちに、キラがやっと声を発した。隠す必要はなかった。キラは便利屋稼業をしている。加えて、衛兵に突き出されなければならないような、ミスは犯していない。だから、毛嫌いという警戒を強める。もちろん、パルシラにも伝わるようにして、鬱陶しさを(おもて)に出しながら。


「いや、悪かった。癖が抜けないんだ。私はもう国の兵ではない。気を悪くさせていたら、謝ろう。お前らのような稼業は、人をよく見ているだろう? 金髪金目の男と、紫色の髪を肩辺りで切りそろえた気の強そうな女の子、見ていないか?」


 彼女の言う女の子の方は、ルリの容姿と同じものだった。もう一人の男がどういう繋がりなのかは知らないが、このごった返した町の中、パルシラは彼らを見失ってしまったのだろう。そして、彼女も途方に暮れていた。


「見かけてないな」

「そうか……お前の探し人は、どんな奴なんだ? 私も随分歩き回ったから知っているかもしれない」

 気の良さそうな表情からは、キラをまったく疑っていないことが分かる。しかし、キラは彼女の言葉で生み出された焦燥に気付かれないようにして、不機嫌を前面に出した。

「お前らなんかを頼らなければならないくらいには、落ちぶれてないんだよ」

 パルシラが苦笑する。

「分かった分かった。私の探している者たちを見かけたら、パルシラが探していたと、次の便で乗船すると伝えておいてくれないか?」


 キラは無言で肯いた。パルシラはそんなキラを爽やかな笑みと共に見送ってくれていた。

 次の便……。

 人の流れからは水竜の騒ぎに踊らされ、何か情報を手に入れようとしている者ばかりのように思えた。水竜を呼び出しただろう魔女が殺されたなり、捕まったなりの知らせがあれば、別の騒ぎが起こっているはずだ。そして、パルシラがワカバを見ていないと言う。


 もし、船着き場にワカバがいるのだとすれば、急がなければならない。

 そう思い、キラは足を急がせた。


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