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Ephemeral note「過去を変える魔女と『銀の剣』を持つ者」  作者: 瑞月風花
第二章『魔女が望む世界』

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『スキュラの魔女③』

 

 結局……私は悪い魔女なのかもしれない。

 その言葉に重なるようにしてワカバの脳裏に言葉が生まれた。

 ラルーの言葉だった。

 魔女の力を消すための方法はあるのだ。

 魔女自身が魔法を消し去るか、魔力供給元の魔女自身を、消し去るか。


 人間など信用するものではありませんわ。人間達はそれを知っているのですから。そして、知らないふりをして、魔女狩りを『銀の剣』の英雄譚にしているのですから。


 じゃあ、銀の剣がいったい何の意味を持つのかは、分からない。


 だが、キラはそのことを知っているのだろうか。

 もしワカバがその事実を伝えれば、キラはワカバを殺すのだろうか……。

 見つめる先にあるキラは、やはりワカバを見ていなかった。

 視線の合わないキラに不安を覚えた。

 キラが、わたしを……。


 そんな風に考えるだけで恐怖に包まれる。壁の中の人間のように、あのキャンプでの男達のように、キラがワカバを襲いに来る。


 そんな風になって欲しくない。だけど、水竜を町へも向かわせられない。

 あの竜が、わたしを食べれば……。

 上手くいけば、キラは生きて、魔法は消えて、いなくなるのは、わたしだけかもしれない。

 悪い魔女は、魔女に恨みを持つ人間に殺されるだけ。ただ、それだけ……


 キラを見上げたワカバは、やはりそれをキラに伝えられなかった。

「心配するな。何とかなる」

 それなのに、キラの声が再び聞こえる。

「一人でも大丈夫だよな」

 ワカバにはキラの言葉のその意味がよく分からなかった。

「通行証のことを聞かれたら、首を振るだけでいい」

 ワカバは頭を大きく横に振った。よく分からない、と思いたかった。キラに何か出来ることなど、なかった。あれは、魔女のものなのだ。


「そう、それでいい」


 キラはワカバに微笑みかけた。ラルーがいなくなった時と同じ、寂しい微笑だった。ワカバはそうなるのが嫌で、必死になって頭を振っていた。キラは動かない。キラの顔が歪んできた。キラがいなくなる。どうしてこんな竜呼び出してしまったのだろう。どうしてワカバはこんなにも何も出来ないのだろう。後悔だけが押し寄せてくる。

「それから、影がお前の背よりも長くなり始めたら、三便目の出航のための鐘が鳴る。その音を聞いたら、これで、船に乗って河を渡るんだぞ。この河を渡った国にときわの森はある」

 ワカバの影はまだワカバよりも小さい。来なかったら、キラはワカバの傍には戻ってこないということなのだ。何も出来ないワカバのせいだ。残るものは、薄っぺらい紙の切符のみ。ワカバはキラから離れたくなかった。


「昔、聞いたことがあるんだ。魔法使いが未熟であればあるほどその効果範囲は狭いって。お前がどれくらいの魔女なのかは分からないけどさ、とにかくおれが足止めしてる間にこいつから出来るだけ遠くに離れてくれないか?」


 キラの声はただただ単調にワカバの耳に入ってくる。まるで意味のない声のようにも思えた。しかし、ワカバはここにいない方がいい、という言葉だけが胸にずきんと突き刺さるのだ。キラが動こうとしないワカバの背中を押し出して、ワカバは倒れるようにしてキラから一歩離されていた。絶望とはこういうことを言うのだろう。

「早く。お前がいると邪魔なんだ」

 キラを振り返ることすらワカバには許されなかった。ワカバには何も出来ない……。ワカバの足がまた一歩キラから離れる。そして、走り出す。


 ワカバは走った。それしか出来ない。もし、本当にワカバが水竜から離れるだけで水竜が消滅するのならば、息が切れても、走り続けなければならないと思った。

 キラを振り返ることすら恐怖だった。少しでも遠くへ。そうしないと、キラが死んでしまいそうな気がして、振り返ることすら出来なかった。全部夢でありますように。そう思っているとラルーの言葉が蘇った。あの路地裏で、あの寂しい微笑みで。そのまま消えていきそうなラルーの声が。


「いいこと。何が起きても声を出しては駄目」

 引き留めたワカバにラルーが続けた。

「風の子に言葉を取られて、魔女の元へ届けられては大変でしょう?」

 今のワカバにはその言葉が全く信じられなかった。キラは風の子なんていないと言った。あの竜は確かに存在していて、キラを呑み込んでしまうかもしれない。蜃気楼なんかじゃない。

「心配いりませんわ。あなたの望まないことは何も起こりませんもの」

 きっとラルーの言葉は全部嘘で出来ていたのだ。


 ワカバは、こんなこと望んではいない。

 じゃあ、人間のキラの言葉も信じていいのだろうか? 本当に何とかなるのだろうか。それも信じられなかった。キラはいつもワカバに怖い。キラはキラを信用するなとワカバに言った。また声が聞こえた。

「人間なんて信用するものじゃありませんわ」

 ワカバは耳を塞ぎたくなった。でも、キラは他の人間とは少し違うような気がする。でも、ラルーはいなくなった。キラはいつもワカバの元に戻ってきてくれる。でも、二人ともワカバの心配をしてくれる。不安に溺れそうな時にワカバを助け出してくれる。


 ラルーの言葉が、歪んで響く。「あなたの力はどんな魔女にも劣らない。望むことはすべて叶えられる」


 ワカバは本当に耳を塞いだ。

 わたしは、水竜なんて望んでなんかなかった。

 気力の限界と共に関所手前でへたり込んでしまったワカバは、大地に涙を落とし続けた。


 ワカバが関所手前で動けなくなったと同時に赤い髪の女と、大きなリュックを背負った黒い髪の痩せ男が国の兵士達と共に走っていった。関所の周りはキラが感じた喧騒とは別の喧噪に溢れていた。騒ぎ声はうるさいはずなのに、その近くにいるはずのワカバには何も聞こえていない。

 ただ、一人になった、そんな思いに苛まれているだけ。そんなワカバの耳が声を拾った。


「急ぐわよ、あれを封じ込めたら、たんまりお金がもらえるかもしれないわ。もう、何やってるのよ、アブ!」


 女の声は空を飛んでいたインコの声のように、きぃきぃ響くものだった。そのきぃきぃ声で、躓いた気弱そうな男に怒鳴りつける。

 蹲ってしまっていたワカバは、アブと呼ばれた彼の謝る声に聞き覚えがあるはずだった。しかし、ワカバはそれにも気付けなかった。


 ただ、あの水竜が小さくなったのか、消えてしまったのかも分からないまま。

 キラがここにいない。ただそれだけが怖かった。


 どうして言えなかったのだろう。わたしを殺せば、あの水竜は確実に消えたのに……。

 ワカバは声を出さないようにだけ気を付けながら、キラが戻って来るのを願っていた。

 私の望むことが全て叶うのならば……。


 ワカバは熱い目蓋を両手で覆う。泣いている姿を見せたくなかった。ワカバが悪いのだ。そう、ワカバが。だから、泣くのはお門違い。

 どうか、……。

 キラの言葉を信じたかった。ラルーの言葉も信じたかった。

 ワカバは彼らを失いたくなかった。


 水竜騒ぎに駆り出された国の衛兵の一人が、蹲っていたワカバに声を掛けた。大きな剣と少し短い剣二本を腰に携えて、革の兜を目深に被った蛇の印の大男だった。蛇はこの国の文様。ワカバをいつもその体内に呑み込もうとする国の兵、じわじわと絞め殺そうとする国の兵。ワカバの周りにいつもいた変り映えのしない国の兵士。

 いつもワカバを恐怖の対象としてしか見ていなかった人間と同じ格好をした男だ。


「逃げてきたのか?」

 ワカバは頭を小さく振っていた。目蓋の熱は引かない。

 最初からなかったことにしてしまいたかった。ラルーがいなくなったあの日から。ワカバがキラに出会ったあの日から。もっと昔から。

「もう大丈夫だよ」

 人間はそう言った。しかし大丈夫ではなかった。この人間は何も知らないのだ。ワカバがどれくらい不安なのかも、どれくらい悲しんでいるのかも、どんなに後悔しているのかも。


 ワカバが魔女だということすらも。


 だから、優しい言葉をワカバに掛ける。

「落ち着くまでここにいなさい」

 ワカバを魔女とは知らない人間は、彼女を保護するために関所の中にまで連れて行き、そこにある長椅子にワカバを座らせ、そのままどこかへ行ってしまった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] ラルーとキラ。ワカバにとって、何を信じればいいのか、誰を頼ればいいのか、交錯する言葉と揺れる心がとても伝わってきました。 また、魔女と人間の悲劇から生まれた水竜。恐ろしくも切ない存在です…
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