『キャンプにて⑥』
誰もいない宿を作ったのは、ここの主人がキラ達を安心させて出発させないためだったのだろう。
しかし、それも今は違う意味を持っていた。
誰もいない宿を作ったここの主人は、ワカバを逃がそうとキラに自身の出立を知らせ、今は、その誰もいない宿が、この突然起こった立て籠もりに役に立っている。
キラの凭れていたワカバの部屋の扉が叩かれたことで、キラはその考えを止めていた。
キラが振り返り、そこに生まれたわずかな扉の隙間からワカバがキラを覗いている。
「何かあったか?」
「な……にか?」
ワカバはキラの言葉を繰り返し、そのまま言葉を止めた。
「あぁ、外の様子とか、変わりはないか?」
「そと……」
しばらくの沈黙の後、頭を振ったワカバが続ける。
「ごめんなさい、わからない……です」
さすがに、この状況で外を眺めていたわけではないようだ。
「いや、別に構わない」
外の様子はなんとなく分かっていた。ワカバに外の状況を確認して欲しいとは思っていない。
キラは立ち上がり、わずかに開いたままの扉に向き合う。逃げ果せる道筋を作るために。外の連中は、ここに隠れているキラとワカバの様子を勘ぐっているのだ。
キラがどういう意味合いで、ワカバをここに連れてきたのか。キラとワカバの関係は、どういったものなのか。キラも一度、自室に入った後、ワカバの部屋で二人の影を確認させている。
キラの影が消えて、ワカバが自由に動く部屋。
だから、今、その気配を外へと伝えているのだ。ワカバが魔女であるということは紛れもない事実である。そして、その事実は変えられない。
手下の手を掴んだワカバは火を扱った。だけど、殺してはいない。
逃げたワカバは、あの老婆を死なせてしまった。だけど、魔法を使ったわけではないし、実際に老婆を殺したのは、リディアスだ。
砂漠の魔女フーは、ドンクの兄を殺し、ドンクに殺された。
キラはワカバに殺されるのだろうか。
それとも、……。
いつまでも動かないワカバを見つめる。そして、キラの中に巡る答えを払うようにして、ワカバに声をかけた。
「廊下、出てこられるか?」
そのキラの問いにワカバの不安そうな瞳が揺れた。
この魔女は、人が死ぬと言うことをどう思っているのだろう。
そんなことを再び頭に過ぎらせる。
ワカバはこのキャンプで手下に火傷を負わせた。どう考えても魔法の一種。奇術師ならまだタネでも仕込んでいるのだろうが、普通の人間では考えられない技である。
あの火は、手下を殺さなかったのか、殺せなかったのか。
ワカバは、力不足で自分に襲いかかる人間を殺せなかったのか、自分の意志の元殺さなかったのか。
キラの感覚で言えば、あの時感じたとおり、恐怖から殺せなかったになる。
「食事は摂ったか?」
震えるようにして部屋から出てきたワカバにもう一度尋ねると、今度は俯いたまま頭を振った。
「そっか」
食べる気にならないのか、そもそも食べる必要もないのか。
キラには『ワカバ』がよく分からない。
キラの知る『時の遺児』と呼ばれる魔女達は、人間とまったく変わらなかった。水は飲むし、食べものも人間と同じものを食べていた。
空腹も感じるし、眠気も感じる。
時の遺児達は、ただ魔獣に襲われにくいという特徴しかなかった。
時の遺児達は、だから魔獣の多いときわの森でも生きていける。だから、魔女狩りをする人間から逃れていた。ただ、それだけだった。
しかし、ワカバにあるのは、眠気だけのような気がしてならない。
キラがそのまま扉に凭れるようにしてあぐらを組むと、ワカバも遅れて隣に座る。ワカバの瞳を見なければ、落ち着いていられる。だから、キラは廊下の天井に視線を上げた。
「別に食べたくないんなら食べなくても良いけど、体力を落とされると、これからが動きにくくなるんだよな」
こくんと頷くワカバがキラの視界の下に見えた。
ワカバはキラの顔を見ようとしない。
キラはこれからを考えた。
ワカバはキラの部屋へ。キラはワカバの部屋へ。
カーテンは閉めてある。ワカバがカーテンを開ける音も廊下に聞こえてこなかった。おそらく大丈夫だ。外にいる奴らに影の動きだけを見せるのだ。
頭から布でも被っていればどちらがどちらかなんて、昨日今日に遭っただけの奴らには分からないだろう。
日が落ちた後もワカバはそのままキラの部屋で隠れる。キラは逃げ出したワカバを追いかけるようにして部屋を飛び出す。数名はキラに着いてくるだろう。
数名は空っぽのワカバの部屋を探すだろう。
そして、残る数名は、ワカバのいるキラの部屋へ入ってくるのだろう。
ワカバを連れて戻ってきた時の感じで言えば、それほど手こずる相手はいない。
「なぁ」
それでもキラはやはりワカバに尋ねた。聞いておきたかったのだ。ワカバの意志を。
「人が死ぬのってどう思う?」
そして、後悔も押し寄せる。キラを見上げたワカバの瞳が不安定に揺れ、涙で溢れはじめたのだ。
「嫌です。死ぬのは、いつも、痛いから」
涙が溢れる瞳は、だけど真っ直ぐで、何にも負けないくらい強情な光をキラに向けてくる。
ワカバは路地にある塵箱の陰に蹲り、自分を抱いて震えていた。
キラが見たワカバは、人に恐れられるような『魔女』ではない。
ただ、手下に襲われ、手下を傷つけ、その力に怯えただけの未熟な者なのだ。
「痛い……かぁ」
そして、それを痛いと感じることが出来るのだ。
ジャックに堕ちたキラには到底感じられないこと。感じてはいけないこと。
「じゃあ、自分を守るために相手を殺すのは、どうだ?」
それなのに、キラはワカバを追詰めていく。これは、キラにとって必要なことなのだ。方向性を決めたい。ワカバをときわの森へ連れて行くまでに、どのようにすればワカバを泣かさずに連れて行けるのか、それが知りたかった。
だが、その答えは同時にワカバを見ていれば分かることでもあった。
要するに、キラはワカバの意志であるということを、ワカバに落としておきたかったのだ。
ワカバはどう答えるのか。
涙が見開かれた瞳から一筋、こぼれ落ちた。そして、口を噤む。その唇を噛む。答えられないのか。
そう、ワカバは自分がしたことをちゃんと知っているのだ。分かっているのであれば、充分だった。
「殺すなんて、考えないよな」
その言葉を肯定するようにして、ワカバの頭がこくりと落ちた。
ワカバが出してしまったあの火は、今ワカバの瞳から流れている涙と同じ。
自分でどうこう出来るものではないのだろう。そして、自分の中にある力が、人を傷つけて、殺してしまうことも、彼女は知っているのだ。
「分かった。だけど、もう魔法は使うな」
キラの答えは、ワカバに対するもの。しかし、それはキラ自身が望んだ答えでもあった。