『キャンプにて③(滅びの魔女)」
「何をしているんだい?」
言葉の色や音はキラよりも優しい。だけど、ワカバは背中を強ばらせて振り返っていた。
端布屋の店先で右往左往していたワカバの目の前には、『宿屋の主人』とキラが言っていた人間がいた。人間は不審な表情を、その笑顔で隠している。人間は嘘をつくのだ。しかし、キラは嘘をつかない。
だから信頼している。だけど、人間と喋ったら、また怒られるのかもしれない。でも。
「ここに何か用事なのかな?」
そんなことを思いながら小首を傾げて、優しく微笑みかけてくれる彼に向かう。
この人間も、急に捕まえるんじゃなくて、わたしに尋ねてくれるから、きっと大丈夫。
だって、それはキラと同じだもの。
☆
私が魔女を刺したのは、もう遠く昔。まだ二十代の頃だ。
六十年以上前のこと。
その頃、国中を脅かしていた魔女がいた。その魔女は、ずっと昔から存在し、砂漠にある町をひとつずつ砂に変えていき、『滅びの魔女』と呼ばれていた。
いや、語弊がある。
魔女が訪れた町は、砂しか遺らない。それくらいの爆発が起きるのだ。なんの前触れもなく。どうして滅ぼされたのかも分からぬくらいに、何も残さない。
兄は跡形もなく滅び去った町の中心に立って、こう言った。
「こんなの嫌だ」
と。
私も同じだった。兄が立っていたのは、ついこの間まで滞在していた町だったのだから。
フーという女の子に出会ったのは、そんな旅の道中。砂漠地帯にもまだ今よりも町があり、これほどまでに廃れていなかった頃。
ソラ地域に限らず、キャンプという形を取らずに、町として。
その頃はまだ砂漠の国として。リディアスがまだ完全に支配域に加えていない地域でもあった。そんな町のひとつで、兄は彼女を連れてきた。
「困ってたみたいだから」
確かにひとりで、夜の闇の中にいるということは恐ろしく、兄が言うように困っていたのかもしれない。そして、兄は恐ろしいほどのお人好し。今いるメンバーも何かに困っていたところ、兄に声をかけられていた。私にとって、もう、それは日常のことで、特に珍しいことはなかった。
連れてきたのが初めて子どもだっただけで。
「うん」
少しそっぽを向きながら答えた私に、彼女が名乗った。
「私はフーと言うの。仲間になるというのではないの。今日だけ話し相手になってくれれば」
その言葉遣いは、思っていたよりも大人で、他の仲間達とは別物だった。
きっと、魔女の噂が立ったこの町が怖かったんだわ。そんな風に思った私は、少し肩すかしにあったような気分で、彼女に笑いかけた。
「ふーん。あたしはドンクよ。よろしくね」
だから、本当は、それ一回きりの出会いだと思っていた。それなのに、その後何度もフーと旅先で出会うことになった。
私の旅の仲間は皆、私よりも年長だった。だから、彼女と仲良くお喋りするようになるまでに時間はかからなかった。そして、そんなお喋りの中、フーが寂しそうな表情をすることも知っていた。
だから、ある時無知を装い、尋ねたのだ。
フーって時々悲しそうな顔するよね、と。
「ごめんなさい。昔、姉がいたの。だから、こうやってお喋りしていると、思い出しちゃって」
フーは悲しそうに笑った。
訊いちゃいけないことだったのかな。もしかしたら、幼い頃に魔女に殺されたとか。だから、兄が連れてきたのかな?そんな風に思いながら、一年ほど彼女と過ごしていると、フーが突然いなくなった。
その日は、私達のいた町で魔女が現れた日だった。
違ったのは、町が砂にならなかったこと。
目撃者がいたこと。魔女を追詰めていた魔女狩りの賞金稼ぎらが数名殺されたこと。
そして、その魔女の風体は、フーのものと一致した。兄は仲間と違いそれを否定した。
『彼女のわけがない』
彼女の訳がないと言う言葉は、私の代弁でもあったのに、その背を追いかけられなかった。
仲間の誰もが、その背をやるかたない思いで眺めていたのだから。
だけど、兄が見つかったのは、魔女が次に砂に変えた町の中央。兄の持っていた剣が焦げて遺っていたのだ。
綺麗な緑の瞳を持つ魔女から、銀の剣を託されたのは、その後だった。
ただ、信じたいだけ。
それが出来ないのだ。出来なかった……。
それなのに、どうしてあんなことを言ったのだろう。
砂漠の靄の向こうにあるフーの墓。
「あそこに魔女は眠ってる。あの砂の色の濃い場所だよ。銀色に光るものも見えるだろ。あれで魔女の力は封じられてるんだ。私が止めを刺した滅びの魔女はもう、二度と生まれてこない。だから、信じたいのなら信じ続けてあげなさい。本当は何も難しいことなんかじゃなかったんだ……あんたならまだ間に合う」
銀の剣はあそこにはない。あそこにあるのは、単なる剣。あれは、兄の剣だ。
魔女を仕留めるために存在するという、銀の剣は、リディアスが行った叙勲式の後、私の手元から消えていたのだ。
後悔していたのだ。
フーを討ったこと。きっと、今でも。
この辺りで見かけない、蒼い瞳を持つ少年に、私はただ希望を託したかっただけなのだろうか。たとえ、それが兄と同じ運命を辿ったとしても?
違うのかもしれない。
彼の傍にいるのが、綺麗な緑の瞳を持つ魔女だと言っていたから。
いや、……。
いくら年数を重ねても複雑に絡み合う澱みのような感情に、答えは出せずにいる。
ただ、以前のようにその感情が熱を持たなくなっているだけで。
今でも兄が正しかったのか、私が正しかったのか、答えは出ていない。
ここに出てくる魔女、フーの過去はこちらに書いてあります。
「魔女の代償」
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