9話「はめられた!」
朝食を終えると、紅茶が運ばれてきた。
ティーポットからはオレンジの香りがした。
朝食の後、熱々の紅茶をいただくなんていつ振りだろう?
昨日のアップルティーも美味しかったけど、今日出されたオレンジティーも絶品だなぁ。
はぁ〜〜至福の時間だ。
じゃなくて! 本題を切り出さないと!
「それでエリオット君、私が若奥様ってどういうことなの?」
若奥様ってことは、エリオット君の妻……あり得ないでしょう!
私とエリオット君は、何年も歳が離れてるんだから!
「それについては、昨日書類に目を通していただけたと思っていたのですが」
「えっ?」
昨日私がサインした書類のことを言っているのかな?
全部に目を通したけど特に怪しい点はなかったけど。
「どうやら理解していなかったようですね。
仕方ないので俺の口から説明します」
エリオット君は席を立つと、いくつかの書類を手に、こちらに近づいてきた。
「昨日付けでアメリー様はハリボーテ伯爵家と絶縁し、テダスケ侯爵家の養女となったあと俺の妻になったのです」
エリオット君はにっこりと微笑むと、テーブルの上に書類を置き、そう説明した。
「えっ?? いやいやいやいやそんなはずないよ! だって私ちゃんと書類を確認したもの! 書類にはそんなことは一言も書いてなかったよ!」
書類にサインしたのは、昨日のことなどで記憶に新しい。
「その時きちんと隅々まで、書類を確認しましたか?」
「もちろん!」
「確認漏れということもあります。これをどうぞ」
エリオット君が虫眼鏡を貸してくれた。
「書類のここと、ここと、ここと、あと裏面のここに、今俺が説明したことが全て書かれています」
「へっ……?!」
虫眼鏡を使ってよく見ると、書類の隅の方にとっても小さい字で、ハリボーテ伯爵家と絶縁したこと、テダスケ侯爵家の養女となったこと、エリオット君と結婚を承諾することが書かれていた。
模様かと思っていたら文字だったなんて! 騙された!!
「いやいや! こんなのズルいよ! 詐欺じゃない!!」
「ですが、契約は契約です。
既に書類は当家の顧問弁護士を通じて然るべき所に提出してあります。
よってあなたはもうハリボーテ伯爵令嬢ではなく、ベルフォート公爵家の嫁なのです」
私がお茶を飲んでる一時間の間に、顧問弁護士に連絡して、これだけの書類を用意させるなんて、エリオット君、仕事出来すぎだよ!!
「書類上はそうかもしれないけど、だけどこんなやり方……!」
彼をキッと睨むと、捨てられた子犬のような顔をしていた。耳と尻尾まで見える。
やめて! そんな顔しないで!
美少年にそんな顔をされると、罪悪感で胸が締め付けられるよ〜〜!!
「あのねエリオット君、私は別に怒ってる訳じゃないんだよ」
エリオット君にも事情があったのかもしれない。
まずはそれを聞き出さないと。
「なんで、こんなことしたのかな? 良かったら教えてくれるかな?」
私は美少年を泣かさないように、なるべく穏やかに尋ねた。
「実は……」
エリオット君は神妙な面持ちになる。
「実は俺は今、とっても困ってるんです!!」
私の気遣いも虚しく、エリオット君はその場にひざまずくと、泣き出してしまった。
うわぁ〜〜! どうしよう!?
国宝的な顔面を持つ美少年を泣かせてしまった!
ちょっときつく言い過ぎたかな??
しかし、美少年は泣き顔も綺麗だなぁ……じゅるり。
いやいや、そんな不謹慎なことを思ってはいけない。
「エリオット君、落ち着いて! 何があったの??」
こんな美少年にも泣くほどの悩みがあるんだなぁ。
もしかして学校で虐められてるとか?
公爵家の跡取りの彼を虐められる身分の人間なんていたかな?
そもそも彼が虐められてると仮定して、私と結婚することでそれが解決するとは思えないしな。
それじゃあ彼の悩みって何だろう?
「私でも良ければ話を聞くし、私に出来ることならなんでもするよ!」
私の「なんでもする」という言葉に、エリオット君が反応した。
「今、『なんでもする』とおっしゃいましたね! その言葉に二言はありませんね!」
彼に詰め寄られた。
美少年のアップ!
エリオット君の顔が目の前にあって、年下だと分かっているのにドキドキしてしまった。
「う、うん。約束するよ。だから何があったのか話して」
美少年にときめいている場合ではない。今は彼の悩みを聞かないと!
「実は俺……学園でセクハラ被害を受けているんです」
「ええええっ!!!??」
「しっ! 声が大きいです!」
エリオット君の指が人差し指を立て、「しー」と言った。
「ごめん。それでどういうことなのか説明して」
セクハラ被害かぁ。
確かにエリオット君ほど容姿端麗ならそんな被害に合っていても、不思議ではない。
化粧とヘアメイクしてドレスアップした私の、百倍色っぽいもんなぁ。
しかし、人様の嫌がることをするなんて許せない!
エリオット君にセクハラした奴らに天誅を下してやりたい!
「俺は今学園の寮生活をしているんです。
最初は相部屋だったのですが、同室の生徒にセクハラされてしまいました。
先生に相談して一人部屋に変えて貰ったのですが、今度は寮の管理人や先生が部屋に侵入してきて……」
エリオット君はそう言ってめそめそと泣き出してしまった。
許せん! こんな美少年を泣かせるなんて絶対に許せない!
「なんですって! それでエリオット君の貞操は無事だったの?!」
親友の弟を傷物にするなんて許せない!
犯人を見つけ出してボコボコにしてやる!
「幸い人の気配に気づいて目を覚ましたので、何もされていません」
「そっか、良かった」
未遂だったんだね。良かった。
私は胸を撫で下ろした。
いや、ちっとも良くない。
寝ている間に同室の人に懸想されたり、管理人や先生に部屋に侵入されてどんなに怖かったか……!
それでは安心して眠ることも出来ない。
未遂でも許されることじゃない。
エリオット君が私が住み込みで働きたいと言ったとき、私の事を心配してくれたのは、自身がセクハラ被害に遭っていたからなのかな?
それにしても同室の生徒って男だよね?
男子寮の管理人も男だろうし、男同士で恋愛するのが流行っているのかな?
弟のカシウスとゲッス様の事例もあるし、最近はそういう事に寛容なのかもしれない。
それでも、無断で部屋に侵入するのはよくない。絶対に許されない。
「それで私と結婚することと、エリオット君がセクハラ被害に遭っていたことがどう結びつくのかな?
もしかして私にセクハラした奴らを殴ってきて欲しいとか?」
文武両道の祖父に護身術を習ったので、学生相手なら負ける気がしない。
ゲッス様の暴言も、この右手で黙らせてやったし!
「そうではありません! アメリー様には俺と結婚してほしいんです!!」
なんでそうなるの?
エリオット君は私のドレスの袖をぎゅっとつかんだ。
美少年の泣き顔からの上目遣い! はい、可愛い!
そんな顔をされたら、何でもお願いを聞いてあげたくなってしまう!
「エリオット君が学園寮でセクハラされているのは分かったよ。
それでどうして私とエリオット君が結婚することになるのかな?」
「学園は全寮制。
公爵令息といえど、校則には逆らえません。
しかし結婚していれば、自宅から通うことが許されるのです」
あ、なるほど、そういうことね。
セクハラ被害から身を守るために結婚相手を探していたら、手近に私がいたと。
「あれ?
でも昨年まで弟のカシウスもエリオット君と同じ学校に通っていたけと、そんな校則のこと一言も言ってなかったよ」
カシウスは普通に家から通っていた。
エリオット君には負けるけど弟のカシウスもなかなかの美形だ。
弟が寮に通っていたら、同室の生徒や先生からセクハラ被害にあっていたかもしれない。
「ちっ……!」
エリオット君、今小さな声で「ちっ」って言わなかった? 気のせいかな?
「ええとその……校則が今年から変わったんですよ!」
「そっかぁ、今年から出来た校則なんだね。
じゃあ私は知らない筈だ。
それじゃあ、エリオット君はセクハラ被害未遂にあった後どうしてたの?
未婚の人は学園寮から通わないといけないんだよね?
でも昨日は家にいたよね?」
「ぎくっ……!」
エリオット君、いま「ぎくっ」て言わなかった? 気のせいかな?
「そ、それはその……昨日まで休学していたんです!
昨日アメリー様と出会ったのはたまたま所用の帰りで……!」
そっかぁ、休学までしてたんだ。それは辛いな。
「ですがアメリー様と結婚したので、今日からは堂々と家から通うことができます!
今日から復学しようと思います!」
「そっかぁ、エリオット君は見かけによらず苦労してるんだね」
こんな良いところのお坊ちゃまが、学園を休学するほど追い詰められるなんて……可哀想に……!
「騙すようなやり方をしたことは謝ります!
ですがどうかこの婚姻関係を続けてください!
俺が学園を卒業するまでの間で構いませんから!
お願いします!
俺を助けると思って……!!」
エリオット君が再び涙をポロポロと流した。
エリオット君は跪いていて、私は椅子に腰掛けているので、自然とエリオット君が私を見上げる形になりました。
美少年の泣き顔ってやっぱり綺麗だなぁ。しかも上目使いとか、最高かよ! じゅるり……いけないよだれが!
いや、よだれを垂らしている場合ではない。
「いや、でも私……歳上だし、婚約を四回も破棄されてるし……」
「そんな事が何だというんですか!」
曇りなき眼で言わないで。結構大事なことだよ。
「公爵令息で、学生で、未来のあるエリオット君の伴侶には、仮初とはいえふさわしくないかなぁ〜〜って」
セクハラされるのは気の毒だと思うし、学園を休学しているのも気の毒だと思うけどさ。
エリオットくんが望むなら、白い結婚でもいいからしたいって女の子は、いっぱいいるんじゃないかな?
「エリオット君になら、もっと若くて、身分が高くて、可愛くて、傷一つ付いてない令嬢の方がお似合いなんじゃぁ……」
四回も婚約破棄されて、家から追い出された家なし、職なし、行き遅れの三拍子が揃った私なんか、わざわざ拾わなくても。
「俺はアメリー様以外の女性を伴侶にするつもりなんかありません!」
エリオット君に真剣な顔で言われて、不覚にもときめいてしまった。
年下でも男の子なんだなぁ。
一瞬ドキッとしちゃったよ。
「エリオット君はどうして私にそんなにこだわるのかな?」
「それはアメリー様は姉上の友人ですし、あなたの人柄は昔から存じておりますし……その、信頼!
そうあなたのことは心から信頼できるんです!!」
そっかエリオット君は私のことそんなに信じてくれてんだ。
それは嬉しいな。
エリオット君は、同室の人や、先生や管理人にセクハラされてきたわけだし、人間不信にもなるよね。
信頼できる人をそばにおきたいと思うよね。
「それにアメリー様は先ほどおっしゃったではありませんか!
『私でも良ければ話を聞くし、私に出来ることならなんでもするよ!』
と!」
言った、確かに言いました。
軽はずみな言動だったと反省しております。
「アメリー様は実家と縁を切りたい。
その上で、安全で安心な住み込みで働けるお仕事を探している。
俺はセクハラ被害にあっている寮を出て、家から学校に通いたい!
その為には伴侶が必要だ!
お互いの利害が一致しているではありませんか!」
そうなのかな?
「エリオット君が言ってたお仕事って……」
「公爵令息夫人としてこの家に住んでいただくことです。
部屋は客室から専用の部屋に移っていただきます。
結婚していると言っても、かりそめの夫婦なので、寝室はもちろん別々です。
俺としては非常に残念ですが……」
エリオット君、今ちっちゃい声で残念とか言わなかった?
「アメリー様は、昼間は本を読んでも庭の散策をしても、好きに過ごして頂いて構いません。
朝一緒に朝食を食べて『いってらっしゃ~い』と言って笑顔で見送りしてくれて、
俺が帰宅したら『おかえりなさい』と笑顔で出迎えてくれて、
一緒に夕食を取って、
寝る前は絵本を読んでくれて、
時々『よく頑張ったね』と言って頭を撫でてくれるだけでいいですから!」
なにそのめちゃくちゃ楽な仕事!
美少年と朝食と昼食を一緒に食べられて、お見送りやお出迎えができて、頭を撫でられるなんて、楽を通り越して天国だよーー!!
「もちろん、三食昼寝とおやつとエステとドレスとふかふかのベッドとメイド付きです!」
楽園だーー! 楽園がそこにあるーー!!
「やりたいのは山々なんだけど、エリオット君のご両親……公爵夫妻はなんて言ってるのかな?」
公爵夫妻が可愛い息子が、四度も婚約破棄された年上の女と結婚したと知ったら、卒倒するんじゃないかな?
「ご両親は今どこに?」
この家に来てから公爵夫妻を一度も目にしてない。
「両親は療養の為、今王都の近くにある別荘に滞在しています」
「そっか、じゃあまずはご両親の許可を取ってから……」
公爵夫妻が身体を患って療養しているなんて知らなかった。
「既に両親の許可は取ってあります!
両親共に俺とアメリー様の結婚を祝福してくださいました!」
エリオット君は、私がお菓子食べて、お茶を飲んでる一時間でそこまでしてたの??
仕事が早すぎるでしょう!!
「アメリー様が俺との結婚を拒否する理由はもうありませんよね?」
エリオット君が真剣な顔で迫ってくる。
美少年のドアップは心臓に良くない。
私の胸がドキドキと忙しなく音を立てている。
「一つだけ質問してもいいかな?」
「なんでも聞いてください」
「公爵夫妻が王都の近くの別荘で療養しているっていったよね?
じゃあ今公爵家の仕事は誰がしているのかな?」
「それは俺がしています」
「エリオット君が?!
一人で!?
学校の勉強もあるのに大変じゃない?」
「家令にも手伝って貰っているので、そこまで負担はありません」
私が領地経営を一人でやるようになったのは、学園を卒業してからだ。
それでも一人でやるのは大変だったのに、エリオット君は学園の勉強と掛け持ちしてるなんて!
「うーん分かったよ。
じゃあエリオット君が学園を卒業をするまでの三年だけ結婚しよう。
もちろん白い結婚だよ。
エリオット君には手を出さないから安心して。
君の貞操は守るよ」
ん? これって女性が言うことなのかな?
「俺としては手を出してくれた方が……」
「ん? エリオット君今何か言った?」
「いえ、何も」
「エリオット君が学園を卒業したら離婚しよう。
白い結婚だと認められれば、結婚自体を無効化できるかもしれないから、エリオット君の経歴にも傷はつかないし」
「期間は三年か……。
その間にアメリー様を俺に惚れさせなくちゃ」
エリオット君が小声でボソボソ言ってるけどよく聞き取れない。
「それでいいかな?」
「はい。もちろん!」
エリオット君がにっこりと微笑む。
ああ……ほんとに可愛い!
こんな弟が欲しかった!!
実弟のカシウスは顔はいいけど、姉である私を見下していたからな。
弟のこんなあどけない笑顔なんて、本当に小さかった時しか見たことがない。
「それと婚姻関係を続けるのに、一つだけ条件があるんだけど、聞いて貰えるかな?」
「何でしょうか? 俺にできることは何でもします!」
美少年が不用意に「何でもします」なんて言っちゃだめだよ。
悪い大人に変なことされないか私は心配だよ。
実際エリオット君は学園で、セクハラ被害にあってるんだから気をつけて!
「公爵家の領地経営を私にも手伝わせてほしいんだ。
エリオット君の負担を少しでも軽くしたいから」
学生に領地経営をさせて、自分だけ三食昼寝とおやつとエステとドレスとふかふかのベッドとメイド付きで、だらだらと過ごす訳にはいかない!
「こう見えて伯爵家の領地経営は私一人でやってたんだよ。
足手まといにはならないと思うんだけどな。
それとも仮初めの婚姻相手には、領地経営は任せられないかな……?」
公爵家ともなれば色々と他人に知られたくない事もあるだろうし、三年後には離婚する相手に、領地経営を手伝わせられないよね。
「いえ、問題ありません!
アメリー様に手伝っていただけると助かります」
「良かった」
これで穀潰しにならずに済むわ。
「エリオット君が学園を卒業するまでの短い間ですが、ふつつかものですがよろしくお願いします」
私は立ち上がり、エリオット君に向かってカーテシーをした。
「こちらこそ宜しくお願いします」
エリオット君も立ち上がり、紳士の礼をした。
身一つで家出した時はどうなることかと思ったけど、まさか仮初めとはいえ美少年公爵令息と期間限定の結婚をすることになるとは思わなかった。
人生はどうなるか分からないな。
「こちらには……あなたを三年で解放するつもりは、全くありませんけどね……」
エリオット君が黒い笑顔を浮かべて、小声で何か呟いていたことを、私は知らない。