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私はいつもと同じ時間に図書館に着く。まだ私一人しかいない図書館は静かだ。いつもと全く同じように筆記用具とテキストを並べる。この2日のことを考えると、先輩が来る時間まではまだ十分に時間がある。私は課題を進めながら、本当に先輩に私の気持ちを話すべきか考える。

整理がつかないところにドアの開閉の音が聞こえた。まだ先輩が来る時間ではない。頭から抜けていたが、図書館に来るのは私と先輩だけではない。そんな当たり前のことも考慮できていなかった自分に苛立ちつつも、もし他の利用者がいたら、図書館でおしゃべりなんてしないから、今日は話せないな、と少し安堵もした。


「おはよーう」


私の安堵を吹き飛ばす一声がかけられた。図書館に入ってきたのは先輩だったのだ。別に会う時間を決めているわけではないのだから、早く来てもおかしいことなんて何もないのだけれど、予想外だった。


「今日も暑いねー」


そんな事を言いながら、先輩は私の隣の席に座る。今までは私の向かいの席に座っていたのに、なぜ今日だけ違うことをするのか。まだ時間が早くて、向かいの席だと差し込む日差しが眩しいのだろうか。

想定していたことと違う事が起こりすぎて、私は混乱してしまい、挨拶を返していなかった。


「どうしたの?」

「すみません。少しぼーっとしてました」


そう返しつつ、私は少し冷静さを取り戻す。


「わかるよ。朝はなんか集中できないよね」


先輩はそう言いながら、顔を私の方に向けて、机に体を突っ伏した。

私は少しの間先輩の目を見ていたが、覗き込むように見ていることにいたたまれなくなって、目をそらして、正面を見ることにした。


「まだ勉強終わってないよね? 親の送迎の都合で早く来ることになっちゃって」


机に突っ伏しているせいか、少しこもったような声で言う。


「一段落したら教えて。それまではちょっと寝るから」


そう言うと、先輩は目を閉じていく。

今日進める課題は少なめにしており、勉強が終わってから先輩と話すつもりだった。

しかし、先輩はもう図書館に来てしまい、話ができる状態にあるのに、勉強を進めることに集中できるはずもない。

迷いは一瞬だったが、その後のことは考えていなかった。


「先輩。今から話しましょう。私の勉強はあとにします」


先輩は閉じていた目を開けるが、体は起こさないまま伺うようにこちらを見上げている。


「何か話したいことがあるの?」


どうやら私が緊張しているのが伝わってしまったのか、何か重要な話があると感じ取ったようだ。

何から話し始めて、どうやって私の目的を伝えるのかなどという会話の組み立ては全く想像できていない。私はあまりにも不器用だ。だから伝えたいことをなるべく早くぶつけたい。


「恋愛トーク…をしましょう」


話の始め方を間違ったような気がする。でも、もう始まってしまった。ここからなんとか繋げていく。


「おやおや、昨日は何もありません、なんて言ってたけど、実はあったのかな」


先輩は私からこの話をし始めたのが嬉しかったのか、面白かったのか、ニヤけながら聞いてくる。

ごめんなさい、と私は心の中で謝る。この会話の行く先は面白いものにはならない。


「昨日、先輩の好きな人の話をしましたよね」

「うん…?」


先輩は私がなぜそのことから話し始めたのかわかっていないだろう。不思議そうな顔をする。


「私は…」


少しためらうが、意を決する。


「先輩にその人と付き合ってほしくないと思っています」


言いたかったことをとりあえず言えた。

先輩はよくわからないという表情でこちらを見上げたままだ。


「えっと、どういうこと? 昨日言ったけど、別に告白なんてするつもりじゃないけど?」


そこまで言ったあと、先輩は体を起こした。


「もっとわからないのは、なんで君がそんなこと言うのかな、ってこと」


怒っているのか、不思議に思っているのか、私を変な人だと思っているのか、先輩の表情から全く読み取れない。

私の人生で今まで経験したことないほどに心臓の鼓動が早まっていくのを感じる。先輩にちゃんと説明しないと。


「先輩は昨日、告白は断られるかもしれないからしない、と言っていました。では、もし向こうから告白してきたらどうするんですか? 告白という、成功するかどうかわからない賭けのようなものではなく、受け入れるかどうかの単なる選択になったときに、先輩はそれを拒否しないように思えました」


私は詰まることなく言い切った。


「告白されたら付き合っちゃうかもね」


先輩は軽くそう言う。


「でも、君にとって、私が彼と付き合う事は駄目なことなの? 」


先輩の言葉からは刺々しさは感じられず、小さな子どもがいたずらしたときに優しく理由を尋ねるときのような柔らかさがあった。

その柔らかさが私を幾分か安心させた。


「私は一昨日に話しかけられる前から先輩のことを知っていました。私の目には先輩は真面目で正しく映っていて、だから、かっこいいと思っていました。私はそんな先輩が傷ついたり、危険な目にはあってほしくはないんです」


全ては伝えなかったが、嘘は言わなかった。


「昨日も言ったけど、彼の噂なんてほとんど根拠のないものばかりだけど。君にとっての理想の私があって、それが壊れるのが嫌なんだ。なんだか自分本位な思いだね」


言葉はきついが、言い方はまだ柔らかいままだ。


「火のない所に煙は立たない、というのは時に自分を守ることにもなります」

「煙だけ大きく上がっていて、火なんて小さいものかもよ?」

「どんな小さな火でも近づけば火傷します。それに離れていると大きな火が煙で見えなくなっているだけかもしれません」


私はそれっぽく抽象的に言葉を並べる。


「でも驚いた。昨日までは話を聞いているだけだったから、おとなしい人なんだと思っていたけど、わがままというか率直に言いたいことを言うんだ」

「すみません。でも、理想が壊れてほしくないなんて気持ちではないです。ただ、先輩には安全にいてほしいから」


もうほとんど気持ちを伝え終わり、私の中から緊張はなくなった。


「よくわからないな。まあでも安心してよ。告白されたら付き合っちゃうかも、ってさっきは言ったけど、やっぱ付き合ってもすることなさそうだし、付き合ったりしないんじゃないかな」


そんなことでは私は安心できない。

ここまでの会話で先輩は不快に思っているわけではなさそうだった。だから、ここまでで会話を終えるのが、私にとっては良いと思う。でも、先輩が不快にならなかったのであれば、ここまでの会話は先輩の心を何も変えていないはず。それでは意味がない。

もう一歩踏み込む。


「私は先輩に彼を好きでいるのをやめてほしい」


人の気持ちを変えたいというなんともおこがましい意見をぶつける。


「今は告白を断るなんて言っていても、好きの気持ちを持った状態で本当にその状況になったらどうなるかわからない、と思うんです。だから…」


一言目を言い切ったときは強い思いがこもっていたのに、言葉を並べていくうちに自信を失い、尻窄みになっていった。


「そこまで言われてる怖くなってくるね」


先輩は私の方を見ていない。


「そうだなー。好きをやめるのはできないけど、約束してあげるよ、もし告白されても付き合わないって」


ここまで来てようやく私は最初から目的を達成することなんて無理だったのだと悟った。


「はい」


私はその一言だけ返す。『ありがとうございます』なんて返すのもおかしかった。


「うーん、今日のおしゃべりは内容が濃かったし、ここまでにしようか」


先輩は軽く伸びをしながら立ち上がる。


「じゃあ、またね」


そう言って昨日と同じように私に手を振って、図書館から出ていった。


先輩がいなくなり、冷静に一人で考える。

私が先輩に言ったことは明らかに非常識だ。先輩がそれを気味悪いとか、怖いとか思ってくれれば、それでよかった。

その気持ちが心に残っていれば、もし告白されるなんていう状況になっても、この会話を思い出して、嫌な気持ちも思い出すだろう。そうなれば、告白を受け入れる可能性は減るだろう。

話す前はそうなってくれればいいなと思っていた。けれど、先輩はこんな会話も今までの何気ない会話と同様の反応しかしなかった。更には、気を遣ってくれて、意味のない約束もしてくれた。私が後輩だから、多少変なことを言われても流すのが先輩として正しいと考えているのだろうか。

私は先輩にとって私の存在の価値を過大評価してしまっていた。私は前から先輩に憧れていて、図書館で二人で会話したことで浮かれてしまい、正しい判断を失っていた。

結局、先輩にとっては私は知り合ったばかりの後輩でしかない。

だから、そんな人間から何を言われても重く受け止めることもなかったのだ。

今日の会話で変わったことがあるとすれば、先輩とはもう親密になれないだろうということだ。


先輩はまたね、と言った。たぶん本当にまた明日図書館に来るだろう。私を避けるような感情を見せなかった。でも、たぶん先輩は十分に大人だから、そんな感情は隠してしまって、心のうちで私と近づきすぎないようにしようと決めただろう。

自分が嫌われても、先輩が守れれば良い、という思いを持ってとった行動は目的を達成できず、ただ私が嫌われて終わってしまった。

そんな結論にたどり着いたところで、私は泣きそうになった。そしてまた冷静になって考える。今日まで関わりなかったのだから、これからまた関わりがなくても、私の生活は変わらない。それに、私との会話が先輩を変えられなかったのだから、これからの先輩も私が憧れていたままで変わらない。

これで良かったと思えた。今感じている悔しさのような、悲しみのような感情もきっと家につく頃には薄れているだろう。今日は勉強はもうやめて帰る。


家について、エアコンのない自分の部屋の蒸すような暑さを感じ、部屋のドアを締めて、やっと一人になれたところで、私は少しだけ泣いてしまった。


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