表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

1

外の蝉の鳴き声が気になる。古くなったエアコンがガタガタと音をたてている。

家の自分の部屋にはエアコンがないので、夏休みの間の日中に勉強をするには、ほとんど誰も利用していない静かな学校の図書館は良い場所だ。

机のある場所は図書館の受付からは見えないので、当番の生徒のことも気にせず集中して勉強ができる。

部活に所属していない私にとっては中学2年生の夏休みは特にすることもなく、友人の部活がやすみのとき以外は主に勉強をして過ごしている。


カバンから筆記用具とテキストを取り出す。

今日はとりあえず英語の課題から始める。

テキストを広げ、下敷きを挟む。筆箱からシャーペンと消しゴムを出して、テキストの右に並べ、筆箱はテキストの上側に置く。英単語の意味を調べるときのためにスマートフォンの辞書アプリも起動しておき、シャーペンのさらに右に並べる。

道具を順番に並べて、正しい位置においていくと、これから始めることへの準備がちゃんとできていると確認できて気持ち良い。


(よし・・・)


気持ちも入ったので、課題を始める。英単語やイディオムの意味を調べて、英作文をしたり、和訳をしていく。


勉強を始めてから1時間経った頃だろうか、図書館のドアの開閉する音が聞こえた。

無意識にテキストから顔を上げたが、座っている場所は出入り口が見える位置ではない。

図書当番の人が出ていったのかな、と頭の片隅でなんとなく考えたが、特に気になることでもないので、再びテキストに顔を戻す。

スリッパが床をこする音が近づいてくる。

珍しく私以外に図書館を利用する人が来たようだ。

それもやはり勉強を止めるほど興味を引くことではなかったので、顔も上げずに手を動かし続ける。

足音はこちらに向かってきているようで、私は少しだけ目を向ける。

綺麗な長い黒髪を少し揺らし、微笑みを湛えながら、本棚の影からその人物は現れた。


「おっと」


その人は私に気づいて声を出すと、微笑みをその顔から消してしまった。

私は彼女の微笑みが消えてしまったことを少し残念に思いながら、すぐに勉強に戻る。

私は彼女のことを知っているが、彼女は私のことを知らない。

だから、彼女はその顔から感情を消してしまったのだろう。一人で笑っているちょっと変わった人にならないために。

私が彼女のことを知っているのは体育祭や球技大会などの学校行事で先輩が目立っていたからであり、話したこともなければ、目があったことすらない。ただ、遠くから先輩を目で追っていただけだった。

図書館にある四人掛けの机は2つあり、私は奥の机に座っているが、先輩は手前の机に座り、スマホを見始めた。

どうやら本を探しに来たわけでもなく、勉強しに来たわけでもなく、ただただ涼みながら時間を潰しているようだ。


その後も先輩は机に突っ伏して寝たり、時々スマホを見て過ごしていた。

私は先輩が来る前と変わらず、淡々と課題をこなした。


今日図書館で進めると決めていたページまで課題が進んだところで私は小さな達成感と集中していた疲労から体を伸ばした。


「・・・ふー」


そんなに大きな声を上げたつもりはなかった。

しかし、思った以上に声が上がっていたのか、私が動いたことに反応しただけだろうか、先輩がこちらを見てきた。私も思わず先輩の方を向いてしまい、目があってしまう。

私は目があってしまった気まずさを消すためになんとなく軽く会釈した。

それでまた互いの作業に戻ると思っていたが、先輩はこの瞬間を待っていたかのように笑顔になって、声をかけてきた。


「課題が一区切り付いた?」


私達二人以外に人がいない図書館とはいえ、離れた席にいる先輩に返事を返す声を躊躇していると、先輩は席を立って、私が座っている席の向かいの席まで来た。


「ここ座っていい?」

「・・・はい、どうぞ」


もう小さな声でも十分聞こえるほど近づいたので、私はぼそぼそと返答した。


「初めまして。後輩・・・だよね?」


先輩は体を少し斜めにして机の下を覗き込みながら、そう言った。

校内で使用する上履きは学年ごとに装飾の色が違うので、机の下の私の上履きを確認したのだろう。

この学校はそんなに大きな学校ではなく、同学年で知らない生徒なんていないだろう。3年生である先輩は確認なんてするまでもなく、私が後輩だとわかっているだろうと思ったが、その動作が私に可愛らしさのようなものを感じさせた。


「勉強の邪魔はしたくなかったんだけど、休憩するならちょっとおしゃべりしない? まだ少し時間をつぶしていなきゃいけないんだけど、一人だとどうにもつまらなくて」


そう話している間も先輩は笑顔のままで、馴れ馴れしくというよりは親しげという感じを受けた。

私は少し考えた。先輩と話すような話題がなにかあるだろうか。先輩が話しているのを聞いているだけとしても、聞き手としてうまく振る舞えるだろうか。


「ごめんね。邪魔しちゃったみたいだね」


私がすぐに返事をしないことを私が嫌がっていると受け取ったのだろう。そう言うと先輩は席を立とうとした。


「そんなことないです。ちょうど今休もうと思っていたところなので」


私は慌てて先輩を引き止める。先輩は嬉しそうに笑うと、椅子に座り直した。


「ありがと。ゆるく喋っていたいだけだから、勉強を再開するときは私のことは気にせずに言ってね」


私が慌てたこととかしこまった言葉を返したから緊張していると受け取ったのか、気を使ってくれたようだ。


「はい。でも、私には面白い話なんてないので、先輩の暇つぶしにならないかもしれないです」

「ふふ。私が『なんか面白い話しろ』なんて言うと思った? そんな怖い先輩のつもりはなかったんだけどなー」


先輩は楽しそうにおどけた。


「初めましてなんだし、自己紹介したり、趣味とか好きなものの話しているだけでも楽しいよ? 」

「そう・・・ですか?」

「そうです」


先輩は自信たっぷりといった感じに胸を張って、そう言い切る。大袈裟に振る舞うのは私を笑わせようとしているのだと思えた。それが先輩を大人っぽく見せると同時にかわいくも見せた。


「なんでもいいんだよ。例えばー」


そう言いながら、私と私の荷物をざっと見渡す。


「まだ2年生なのに夏休みに図書館で勉強しているなんてなんでだろう。難関狙ってるのかな、みたいな」

「進学校に進むつもりですが、別に難関とかではないですね。家から通えるところしか考えてないので」

「そうなんだ。真面目なんだね」

「そんなことないですよ。部活に所属してないので、夏休みは暇ですし。よく遊ぶ友達は部活があるから、遊びに行くのはそんなに多くないので、勉強ぐらいしかすることないから、課題を消化してるというだけです」

「まだ選択肢はありそうだけど。それでも勉強をしてるんだから偉いね」


そう言ってまた微笑む。親に褒められるのとは違って、同年代にそう言われるとなんだか気恥ずかしい。


「先輩は今年受験があるので、勉強に忙しいんじゃないですか? 部活してないから最後の大会とかもないですよね?」

「私は頑張らないで今の学力で受かるところにいくだけだよ。だから忙しくないんです」


そういうとまた胸を張った。


「というか、私が部活に入ってない事知ってるんだ。初めまして、って言っちゃったけど、話したことあったりした?」


私は少しドキッとしたが、冷静に返事する。


「初めましてであってます。先輩は運動部に所属してないのに体育祭とかで活躍していて、ちょっと有名だから知っていただけで」

「ちょっと有名なのか」


照れているのか嬉しそうなのかわからない反応をした。

私の話は嘘というわけではないが、有名というのは言い過ぎで、私が気になったから友達に聞いたりして先輩のことを知っていたのだ。少しストーカーっぽいと自分でも思うので、このことは先輩には伝えない。


「体育祭みたいな行事が好きだから、人一倍張り切っちゃうし、騒いじゃうんだよねー。自分でもちょっと子供っぽいと思うけど」

「子供っぽいなんてことないですよ。恥ずかしがって、静かにしているだけのほうがよっぽど子供です」


大人しいという言葉は『大人』なんて言葉が入っているが、恥ずかしがり屋な物言わない子供に使うことのほうが多い。だから、私は行事に積極的にならずにめんどくさそうにしている人なんかより、先輩のような人のほうが大人だと思う。

先輩は一瞬だけ真面目な顔になって、私の目をまっすぐ見てきた。


「そうかー、君はそう思ってくれるんだね」


私を楽しませるためにしていたような今までの大袈裟な反応ではなく、ほんの少しの嬉しさを含んでいるかのような声で先輩はそう呟いた。

他愛もない会話をしていくつもりだったであろう先輩にとって、思いがけない一言だったのか、少し長い沈黙が続いた。


「じゃあ、私はそろそろ行くね。話してくれてありがとう」


そう言って先輩は席を立つ。本当に時間になったからなのか、気まずくなったからなのかはわからない。

会話していた時間は長くないので、私は先輩の暇つぶしになれたのか不安に思う。


「またね」

「はい」


先輩が手を振ったので、私もそれを返す。


先輩は図書館を出ていった。今日の課題はもう終わっていたので、私も出て行ってもよかったのだが、すぐに出て行ってどこかで鉢合わせても嫌なので、また少し課題を進める。

私は課題を進めながら一つのことを考えていた。先輩の『またね』はまた会うという意味を含んでいたのか。

夏休み明けになれば、学校で会うだろうということなのか、先輩はまた図書館に来るということなのだろうか。

考えても答えが出ないことを考えて、集中力が切れてしまい、課題は全然進まなかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ