第4話
廊下の少し先まで歩いたまゆりは、立ち止まって大きなため息を吐いた。
まさかこんな休日になろうとは。
それにしても、あの豊田、という女性は明らかにホテルの接客、従業員としてはやっていけないところがある。
何で採用なんかしたのだろう? 学歴?
取り敢えず、家に帰ってストレス発散に料理でもするかぁ、とまゆりは天を仰いで思考を飛ばしていた。
「納得できません!!」
という大声が廊下に響き渡ってきた。
思わず足が滑りそうになったのを、寸でのところで堪えた私は偉い!
と、1人まゆりは内心で自身を讃えた。
・・・・・・・・・じゃなくて。
声はまゆりがいた部屋と同じ、VIP専用の部屋から聞こえてくる。
この声は、まず間違いなく、先程の豊田、という女性のものだ。
部屋のドアが開いているのもあり、まゆりは自然とその部屋に吸い寄せられるように足が向かった。
覗き見や盗み聞きはいけないこととは知りつつも、先程のこともあり、どうにも気になって仕方がない。
ソッ、とドアの中を見ると、黒川と豊田、それに男性従業員、更に年配の支配人らしき男性がいる。
まゆりの位置からでは、生憎とVIPの人間は見えないが、そんなことよりも、支配人と豊田の口論のほうにまゆりは目がいってしまう。
「納得出来る、出来ないではない!! 本当なら、この方が来られる時は男性従業員しか付けることを禁じられていたのに、君がまさか、目前で入れ替わっているなんてっ!」
「それでもッ! あたしは仕事をちゃんとしていました!!」
う~わ~・・・。これはあっちゃいけないパターンだわ。
とかく、高級ホテルとなると、お客様対応も完璧を求められる。
要望は可能な範囲でのみだが応える。
これが重要なのだ。
それなのに、何が目的かわわからないが、目前で女性の入室が禁止されているVIPに近付くなんて。
「君のどこが仕事をしていたと言うんだ! 垣根君から聞いたが、お客様が食事をしている間中、自分の話ばかりをして、食事を邪魔し、気分を損ねさせる一方だったと!! それが事実だからこそ、お客様が君を外してくれ、との要望を出されたんだ!!」
はい、何も言い訳出来ません。支配人さんの勝ち~。
まゆりは音が出ないように、両手で拍手してしまった。
「支配人、私からも宜しいでしょうか?」
すると、ここで黒川が話に入ってきた。
「黒川さん、君には別のお客様の接客を任せていたはずだが、どうして豊田さんと一緒にいるのかね?」
「はい、私が接客していたお客様が、こちらのお客様と被られるケーキをご注文されたんです。ホールごと頼まれるお客様で有名ですし、お得意様なのでこちらが引いていたのですが、とにかく注文が被られるスイーツが多くて。それで、垣根さんに頼んで、1つだけケーキを譲って頂いたんです。パティシエの方も、すぐにお作り出来るから、ということで」
・・・・・・もしかして黒川は、まゆりが「亡くなった母の好きだったケーキ」、と言ったことに気遣って、交渉してくれたのかな?、と薄っすらと思い、気遣わせてしまったな、とまゆりは反省する。
「それで話し合いは終わったのに、私が接客しているお客様のお部屋に乗り込んできて、
『貴方、このホテルを潰したいの?! こんな明らかにVIPの知り合いからチケットを譲られて来たような一般人を、ホテルのお得意様と同列にする気!!』
とお客様の目の前で仰られて、気を遣われたお客様がお帰りになるのを、引き留めもせず、お帰りになられること自体、有難い、と言われて・・・」
「豊田さん!!!!」
黒川の言葉が終わらない内に、支配人の怒号が響き渡った。
覗き見でもわかるぐらいに、支配人の顔には青筋が浮かんでいる。
まあ、支配人のお怒りはごもっとも!、まゆりだって思ってしまう。
下手をするどころか、普通にホテルの品格を貶めるだけの行いなのだから。
「君はッ、このホテルの従業員として働いている、という自覚があるのかッ!!!」
ないと思いますよ~、とは、軽視された側のお客だからこそ言える言葉です。
・・・・・・有難くもない特権だな、とまゆりは口の端が上がる。
「・・・ッ! 黙りなさいよッ!!」
豊田が黒川に腕を振り上げた。
咄嗟の行動だった。
いつもこれで自分が割に合わない目に遭っても、身体が自然と動いて行動してしまえばそんな内心の己の声とは裏腹に、面倒事を背負い込むことになるのに。
黒川に振り上げられた豊田の手を、黒川を庇いつつ、持っていたバッグで防ぐ。
その場の全員が驚愕の表情でまゆりを見ている。
「え~~・・・・・・。外にまで声が漏れていて、咄嗟の行動なのでお気になさらず?」
誤魔化すようにへにゃりと笑ってその場の空気をまゆりは緩和させる。
「豊田さん!! 君は休憩室で社長の裁可待ちだ!! これ以上好き勝手させるわけにはいかないッ!! 垣根君、捕まえておいてくれ!」
支配人の言葉を受けた垣根という人が、迅速に豊田の腕を掴み、押さえ込む。
豊田は暴れて抵抗しているが、そんな風に暴れていると、容姿が醜く見えるからやめたほうが良いのでは?、と不謹慎ながらもまゆりは考えてしまう。
「・・・あの、お客様」
バッグを両手で持ったままのまゆりに、黒川が途惑いながら声を掛けてくる。
「有難うございます」
深々とお辞儀をされてしまうが、そこまで大したことをした覚えはない、とまゆりは思う。
まゆりも黒川も怪我はしなかったのだから。
「なんで帰らせた小娘が此処にいるのよッ?! とっとと出てい・・・ッ!」
相変わらず豊田が口汚く喚いている時、パキンッ、という音が聞こえ、何の音だろう?、とまゆりは両手で持っていたバッグを見下ろし・・・・・・。
「のわああああぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~っっ!!!」
まゆりは大絶叫を上げていた。