第3話
土曜日、まゆりはあまりに高級感漂うホテルに怖気づきながらも、専務から頂いたチケットを無駄に出来ない気持ちから、何とか勇気を振り絞ってホテルの中へと入った。
バイキング会場でチケットをホテルの従業員に渡すと、すぐ様、個別の部屋へと案内され、席に着かされ、心臓が飛び出るのではないか?、と思うほどバクバクし、汗が噴き出していた。
どうやら専務から頂いたチケットはVIP専用であったらしく、個室はバイキングフロアが一望出来る眺目になっており、ここから好きなスイーツを選んで、係の人に持って来てもらう仕組みらしい。
何とも至れり尽くせりである。
ガチガチに緊張しているまゆりを見た、まゆり付きの係の女性は笑いながら、チョコレートを数種類持って来てくれた。
とても綺麗なチョコレートにソッ、と手をのばして、一口で食べてみる。
ジャンドゥーヤチョコレートと呼ばれている一口チョコレートは、焙煎したナッツ類をベーストし、チョコレートと混ぜ合わせたものらしい。
ナッツ系統は少し苦手だったが、口に入れてみると、焙煎の具合がちょうど良いのか、口の中で自然に溶けていき、驚いてしまう。
次に口の中に入れたボンボンチョコレートはフルーツフレーバーだった。
ホワイトガナッシュとすだちが絶妙なバランスでお互いを活かし合い、すだちの独特な香りが嫌にならない。
まゆりが笑顔になっていくのがわかる給仕係の女性は、
「美味しいですか?」
と訊いてくる。
まゆりが自然に頷くと、とても嬉しそうに笑ってくれる。
こういった人が1人いるだけで、ホテルの印象が違うんだよな~、とまゆりは感慨深げに思う。
こんな方達が、一流のコンシェルジュ、と呼ばれるに値するのであろう。
落ち着いてきたまゆりは、コンシェルジュの女性に頼んで、ザッハトルテとストロベリーモンブラン、苺のタルトを持って来てもらえるようにお願いする。
メロンソーダを飲みながら待っていると、コンシェルジュの女性がトレーを持ちながら、申し訳なさそうに部屋に入ってくる。
「申し訳ありません。苺のタルトなのですが、ホールごと頼まれた方がいらっしゃいまして・・・」
ホールごと、と聞いて、まゆりはメロンソーダを思わず吹き出しかけた。
あ、いやいや、とまゆりは考え直す。
ホールごと注文出来る、ということは十中八九、VIP専用者だろうから、家族や友人知人連れで来ているのかもしれないし、事実、階下のバイキングフロアーでは友人連れの人達もたくさんいる。
「大丈夫です。ありがとうございます!」
お礼を伝えて、まゆりはトレーを受け取る。
流石は有名店や一流のパティシエが作っているだけあって、スイーツ各種はとてつもなく美味しい。
ケーキは甘過ぎても甘過ぎなくても、まゆりはそんなに食べれないほうだが、不思議とまだまだ色々と味わってみたくなってしまう。
ところが、次からも予期せぬ事態は頻発した。
ホールごと頼む、というお客様とまゆりの選ぶケーキやスイーツが度々被ってしまうのだ。
チェリーのチーズケーキにはじまり、ズッパイングレーゼ、ニルヴァナ等々。
フルーツ系統から離れてみよう、と思ったまゆりは、飴でコーティングされ、カラフルな飾り付けをされたクロカンブッシュを幾つか頼んだが、それも被ってしまった。
え?! 親戚同士や知人や友人同士で来ているにしても、100個ぐらいあるクロカンブッシュまで食べるの?!
と別の意味で驚愕してしまう。
コンシェルジュの女性は、その都度、申し訳なさそうにしている。
コンシェルジュの人のせいではないのだから、そんなに恐縮しないでほしいとまゆりは思うが、こればっかりは難しそうだ。
それでも楽しみながらスイーツを味わっていると、不意にとあるケーキが目に飛び込んできた。
「あのケーキは・・・」
「ミモザケーキですね。お取りしましょうか?」
「・・・はい。亡くなった母が好きだったケーキなんです」
コンシェルジュの女性は少し瞠き、お辞儀をしてケーキを取りに行ってくれた。
しかし、いつもと違い、かなり時間が経っても戻ってこないコンシェルジュの女性に、まゆりは首を傾げる。
また、ホールごと注文されたのかな? それにしては遅い。
そんなことをまゆりが考えていると、ドアが開き、トレーにミモザケーキをのせたのコンシェルジュ女性が現れる。
「お待たせいたしました」
やはり、食べたいケーキが食べられる、というのは、素直に嬉しい。
「ありがとうございます!」
お礼を述べて、ケーキをフォークでさして、一口食べる。
幼い頃に食べた父の手作りのケーキとはまったく違う味だが、とても美味しい。
『甘い物は元気の元!』
母は繰り返しそんなことを言っていたな、とついついまゆりの口元が綻んでしまう。
コンシェルジュ女性も嬉しそうに微笑んでいる。
と、いきなり部屋のドアが荒い音と共に開かれた。
驚いて振り向いた先にいたのは、コンシェルジュの女性と同じく、ホテルの従業員の制服を着ているかなり美しい女性である。
が、その表情には明らかに怒りが見える。
「豊田≪とよた≫さんッ! お客様のいらっしゃるお部屋に、ノックもなしに入ってこられては、お客様の迷惑になります!!」
「迷惑はこっちよッ。自分が何をしたのかわかってるのッ、黒川≪くろかわ≫さん?!」
まったく会話についていけないまゆりを置き去りにして、給仕の担当である女性2人が言い争う。
「私は豊田さんに怒られるようなことは何一つしていません」
「しているじゃない!! 注文を受けたケーキを優先すべき方がいるのに、切り分けて持って行ってしまって!!」
まゆりはハッ、と食べかけのミモザケーキを見る。
「そのことは、垣根≪かきね≫さんと話して、きちんと了承を頂きました。非難されるようなことではありません」
「貴方、このホテルを潰したいの?! こんな明らかにVIPの知り合いからチケットを譲られて来たような一般人を、ホテルのお得意様と同列にする気!!」
酷い言われようだ。
本当にこの豊田、という女性は五つ星高級ホテルの従業員なのだろうか?
まゆりの接客担当の黒川も、開いた口が塞がらないような表情になっている。
しかしこのままでは、延々言い争いが続いてしまう予感がする。
仕方がない、とまゆりは思う。
「あの、私が良くないことをしてしまったのなら、帰らせていただきますから、言い争いはしないで下さい」
まゆりの言葉に、黒川と豊田が同時に振り返る。
「いいえ!! そのようなこと・・・ッ!」
「是非そうして頂けると有難いです」
必死で止めようとする黒川に対し、豊田は見下した視線を隠そうともせずにまゆりを見ている。
まゆりはため息を内心で噛み殺し、席を立つと、バッグを手に持って、帰り仕度を始める。
「お客様!!」
「黒川さん、丁寧な接客、嬉しかったです。ありがとうございます」
まゆりは黒川さんにだけお辞儀と挨拶をして、部屋を出た。