第2話
黄昏たまま、まゆりは掃除を終わらせ清掃業務員の休憩室に行くと、ちょうど良い時間帯でお昼となった。自作のお弁当を10人ほどの女性陣が集まっている机の上に置いて、両手を合わせる。
「いただきます」
食事をきちんと摂取しなければ、元気も気力も湧かない。
まゆりよりも年上の方々しかいない同僚の女性陣は、今日あった出来事や世間話などをしている。
まゆりが唐揚げとゆで卵を同時に咀嚼しつつ、ご飯をかき込んでいると、急に話題は、まゆりが清掃に向かった会議室のことへとチェンジしていた。
「まゆりちゃん、嫌なことされなかった?」
急いでお茶を飲みつつ、まゆりが曖昧に笑って首を傾げる仕草をすると、それだけでわかってしまう面々は、一様に渋い顔つきになる。
「まったく、本当にどうにかしてほしいわっ、あのフローレンズ!」
「社長や会長のほうに報告は逐一届いているから、大丈夫よ」
副主任の言葉にも、女性陣の憤慨は収まらない。
それもそうだろう、とまゆりは思う。
第2秘書課と呼ばれる課は、重役達や清掃業務員の間では、通称「フローレンズ」と呼ばれる部署であり、頭の痛くなる事態ばかりを引き起こす。
その尻拭いをしたり、被害を受けるのは大抵が清掃業務員か、一般の真面目な社員なのだから。
第2秘書課は男性社員は重役の後付き、女性社員は秘書課や他部署の雑務を引き受ける、所謂花形部署、と認識させられているが、実はそうではない。
まゆりが清掃業務員だからこそ、知り得た事実。
いつから呼ばれ出したのかわからないが、清掃業務員や一般社員の間では、第2秘書課に在籍する者達を「フローレンズ」と呼ぶようになっている。
無論、良い意味ではない。直訳すると、
『頭がお花畑の人間の集まり』
なのだ。
世界中のフローレンの名前を持つ方々、申し訳ありません、といつもまゆりは心中で謝る。
折角素敵な名前なのに、と。
第2秘書課には、入社してから、直接的な問題は起こしていないものの、問題のある人間が集められ、猶予期間を設けられる。
最大3年の猶予期間の内に改善が見られない者は、転勤と見せかけた左遷が待っている。
その話を聞いた時、まゆりは、何とも合理的なシステムだ、と思ったものだが、いざ自分がその問題人物達の洗礼を受けると、そんな感想も言っていられなくなった。
とにかくストレスというものが溜まるのだ。
今日、バケツの水をワザと引っ掛けた女性は、男性社員にチヤホヤされたい部類の人間なのだろう。
覚える価値もないので、名前などまゆりは耳から素通りしていっているが。
当初、この第2秘書課は、ここまで頭を抱えるような人物達が揃う場所ではなかった。
己の行動を顧みて、きちんと努力する人もいたそうだ。
それが劇的に変わったのは2年前。
商會≪しょうかい≫姫乃≪ひめの≫という人物が入社してきてから。
商會さんは祖父を国会議員に持つ、議員一族なのだそうだが、両親や祖父母、兄達にそれはそれは可愛がられて成長したらしい。
本人も大層な美人で、まゆり自身、初めて見た時はその容姿に驚いた。
けれど、悲しいかな、容姿と中身の価値は一致しないものなのだ、とまゆりに現実も教えて下さった、有難い女性なのである。
本人に自覚がまったくないのだが、仕事のミスや失敗は当たり前。
その失敗やミスを無意識に誰かに擦り付けて責任転嫁する。
注意されたことに対して、最終的には自分が納得いくような形に無理に持っていく。
これが意図的だったら、単なる「性悪」で済ませられるのだが、本人は無意識の内に行動しているから更に他者の怒りを買う。
しかし、その容姿は飛び抜けて極上。
真実が見えない者達も大勢いるわけで。
無自覚に笑顔や愛想を振りまき、取り巻きを増やし、今や第2秘書課は、商會さんのシンパばかりである。
重役達や株主達はそのことに懸念を表し、商會さんを辞職させる方向で話を何度か持って行っているのだが、商會さんのご両親に土下座せんばかりの勢いで、何とか継続して働き続けられることを頼み込まれているらしい。
どうやら、大学卒業後に就職した大手企業2社辺りで、同じようなことと大損害に関わることをやらかし、その非常識ぶりが噂になるほどで、後がないのだと云う。
それならば、就職などさせずに花嫁修業として家に居させて、色々なことを仕込んだら良いのに、とまゆりは考えたが、当の商會さん自身が、働くことに意欲的なのが災いしているらしい。
そりゃあ、学生時代は優秀な人物として高評価を得てきたのならば、社会に出ても活躍したいと思ってしまうのだろう。
・・・・・・優秀と社会に出てやっていけるかは、まったく別物なのだが。
商會さんのお父様とはそれなりに株主筆頭や会長が懇意にしている為、無碍にも出来ない現状が今現在、である。
商會さんのご両親も、社会に出て、ようやく娘の欠点を自覚したらしいが、祖父母や兄達は依然として甘やかし放題な為、何の改善点も見られない。
まゆりは1年前に清掃業務員として働き始めたので、当初の酷さは知らないが、同僚、重役方には、とても同情している。
などと思いつつも、まゆりもフローレンズ達の被害を受けるのは嫌なので、今日副社長が呟いていた言葉に、希望を見出そうと思うのだ。
会社の損害は守りつつ、害悪は在るべき場所に留めておいてほしいものだ。
まゆりは冷茶を飲みつつ、そんなことを思う。
噂では、商會さんは葦笨さんに想いを寄せているらしい。
だが、葦笨さんは寡黙でありながらも、重役達の信頼が厚い海外事業部の若き部長である。
傍から見ていても、フローレンズのような女性陣が好みには見えない。
ご愁傷様だ。
そんなこんなで今日も1日が終わり、まゆりは帰宅するために清掃業務員用の扉から外に出て、良好な天気が広がっているのを見て、自然と両腕を上げて伸びをする。
「おや、まゆりちゃん」
「あ、専務さん! お疲れ様です」
専務が部下兼運転手を連れて、車に向かっている途中でまゆりを見掛けたらしく、声をかけてくれた。
清掃業務員用の扉は駐車場に近いため、こういったことも偶に起こる。
なので、きちんと挨拶は忘れない。
「まゆりちゃんも今日も1日お疲れ様。ああ、そうだ」
専務がスーツの内側から、何かチケットのような紙を取り出し、まゆりに差し出してくる。
「これ、良かったらまゆりちゃん、行ってみないかね?」
受け取った紙にはオシャレなデザインが施されており、開封してみると、『五つ星ホテル、スイーツバイキング招待券』と書かれている。
「有名なお店やパティシエが集まるそうだよ。まゆりちゃん、甘い物が好きだろう」
「甘い物は好きですけど、こんな高そうなチケットは頂けませよ!」
まゆりが慌ててチケットを元に戻して返そうとするが、専務は笑いながらまゆりの行動を手で制する。
「私も頂いた物なんだが、私や妻はそこまで甘い物は食べないし、息子夫婦も遠方に住んでいるし、渡せる心当たりのある知人もいないしで困っていたんだ。招待券が駄目になるのも悪いし、貰ってくれないかね?」
「う・・・・・・」
そこまで言われてしまうと、突き返すのは何だか悪い気がしてならない。
「・・・・・・じゃあ、有難く頂くことにします。でも、今度そういったチケットを頂いて、心当たりのある方がいたら、その方に渡して下さいね」
「そうするよ。じゃあね」
専務はまゆりの頭を撫でると、駐車場に停めてある車に歩いて行ってしまった。
「・・・なんか私、成人女性扱いされてないよね・・・?」
会う度に頭を撫でてくる、社長や会長然り。
撫でられた頭の髪を手櫛で直しつつ、チケットに目を移す。
何だかんだで、格式の高いホテルであることは緊張するが、ちょっと楽しみでもある。
どんなスイーツがあるのだろう?
「土曜日の服、見繕っておかないと」
まゆりはバス停までの道を、少し昂揚した気持ちで歩きだした。