婚約者になる伯爵に「私はあなたに愛されることはない」と言われました。
政略結婚により、伯爵家令息ジェームズと、子爵家令嬢レイチェルの婚約が結ばれることになった。
正式な婚約を結ぶ前に、二人の顔合わせを行おうと、今日が設けられたのだが。
レイチェルと挨拶を交わし、席についたあと、ジェームズが放った言葉は「私はあなたに愛されることはない」であった。
「待ってください、ジェームズ様。セリフ間違ってます。そこは、私はあなたを愛することはないです」
「いや、間違ってない。あなたに愛されることはないだ」
いきなり何を言われてるのだと思いながら、レイチェルが返すと、ジェームズもひどく真面目な顔をして返答する。
「いえいえ。今流行のあのセリフですよね? 私はあなたを愛することはない」
「流行り? そんなセリフが流行っているのか?」
ジェームズの表情から察するに本気で知らなかったのだろうと、レイチェルはそこで分かった。
「えぇ。そう言っておきながら、いつしか愛が生まれ、愛されるというシチュエーションにときめくのだそうです」
「矛盾が生まれているだけでは?」
「確かに………。ではなくてですね、ジェームズ様。今はジェームズ様のセリフについてです。なんですか、あなたに愛されることはないって。私に嫌われるような、やましいことを抱えてらっしゃるんですか?」
「そう………だ。君が想っている相手と引き離して、私の婚約者にしようとした。だから私は、君に愛されることはない。黙っていようと思ったが、いざ目の前で君に微笑まれたら………。罪悪感と幸福感で潰れそうだ。すまない、一時でも夢を見たかったんだ。幸い、まだ婚約していない。今からでもこの話はなかったことにして、君の想い人との縁を結ぼう。大丈夫、私なら容易いことだか」
「待ってください。………お聞きします。私の想い人とはどなたですか?」
なにやら、誤解されていることが分かったレイチェルは、くい気味で一旦ジェームズの話を遮った。
「男爵令息の彼だろ? 彼は次男だし、家の格差もあって彼の家に嫁げず、一緒になれないと苦しい思いを抱えていたろう」
ジェームズの発言にどう返そうか、しばし悩んだレイチェル。それと同時に沸々と沸き起こる感情。
「………そうですか。それで、私とので婚約は白紙になさると。私と今日お会いして、満足したと。そうおっしゃるんですね?」
「………怒ってるのか?」
あからさまではないが、レイチェルの声色は、けして弾んでいない。そのことは、ジェームズにも察せれた。
「満足ですか。十分ですか。私と色んなところへ行ったり、2人でかわいい子供たちを育てたり、愛してると言い合うところまでは、想像もしてないし、求めていないということですね」
レイチェルが声を強めて一気に言い切ると、ジェームズは慌ててそれを制した。
「そ、そんなことはない!! ちゃんと想像したに決まってる!」
「………想像だけで満足だと」
レイチェルの侮蔑のこもった冷ややかな目で見られたジェームズは、頭を抱えた。
「やめてくれ! そんなこと言わないでくれ。そんな風に言われると全て叶えたくなる。いまなら、大丈夫だ。取り返しのつかなくなる前に」
「もう取り返せません」
「え?」
そうレイチェルから言われた瞬間、ジェームズの思考は止まった。
レイチェルと想い人の関係を、取り返しのつかないところまで引き裂いているとは、思っていなかったからである。
「取り返しがつかないとなると、おのずと選択肢は………。お分かりですね?」
「そんな………」
探るような瞳のレイチェルと、下に視線を落とすジェームズ。
「………なんて表情なさってるんですか」
レイチェルは、ジェームズの表情を見て、自身の耳まで熱を帯び始めているのがわかった。
「君と想い人を引き裂いてしまって、もう取り返しのつかないところに来てしまったのかという申し訳ない気持ちと、君が私と結婚するしかなくなって、君が手に入るというかもしれないという、高揚感が入り混じった顔だ」
素直に複雑な心の内を話したジェームズに、素直すぎるとレイチェルは思わず笑ってしまった。
「ふふっ、もう仕方ないですね。………それでは、私これで失礼いたします」
「えっ!? そ、そんな」
「あ、そうそう。
私、想い人はいますが、男爵令息の彼じゃありません。私の顔をちゃんと見て、察していただけると嬉しいんですが。では失礼いたします」
レイチェルは、さっと立ち上がるとそのまま部屋を出た。
「えっ? あ、えっと、ちょっと待ってくれ」
慌ててジェームズがレイチェルを追って、部屋を出たあと。
「いつから君も私が好きだったか教えてくれ!」
と言う声が、かすかに部屋にまで聞こえてきた。
-完-