後編
マイルズと婚約破棄して一年。
私は今までのコネを駆使して、出られる社交会の全てに顔を出した。
私のことをよく思わない人も当然いた。
ただの騎士爵の娘がマイルズに婚約破棄されたため、他の貴族と婚姻を結ぶために躍起になっていると、白い目で見られることもあった。それはあながち間違いじゃないから、めくじらを立てるようなことはしない。
他の貴族、ではなくマイルズともう一度昔のようになりたくて。私は努力を積み重ねてきた。
今日は、ヒルダ様の家のウォリナース主催の園遊会。
普通なら私なんかが呼ばれるはずもないんだけど、この一年でコネと実績を積んだ私を呼んでもらえた。
侯爵家のお庭も、うちなんかとは比べものにならないほど広くて綺麗。
そこにヒルダ様とマイルズの姿を見つけて、私は挨拶へと向かった。
「本日は素敵な園遊会にお招きいただき、ありがとうございます」
私がそう挨拶すると、ヒルダ様は美しい顔を綻ばせた。女が見ても、見惚れるくらいに整った顔をしている。
「うふふ、わたくし、ルーシャ様と一度お話をしてみたかったのですわ。ねぇ、マイルズ様?」
「勘弁してください、ヒルダ嬢」
ヒルダ様がマイルズを見上げて楽しそうに微笑み、マイルズは困った顔をしてる。
そりゃそうだよね。元婚約者が、今親しくしている人との前に現れたら、困るに決まってる。
私はこの場から離れた方がいいと思ったけど、ヒルダ様に強く促されて、隣に座らされた。
「ルーシャ様、最近は社交会にたくさん出席されておりますが、どなたか想い人でもいらっしゃって?」
え、ヒルダ様ってこういう人?
まさか直球で聞かれると思ってなかった。私はチラとヒルダ様の向こう側にいるマイルズを見てから、ヒルダ様に視線を戻した。
「はい、まぁ……」
「あらあら、では最近のご活躍も恋のなせる技ですのね! もしわたくしにできることなら協力いたしますわ。なんでもおっしゃってくださいませね」
無垢な顔して笑っているけど、演技だろうか。
これはもしかして、マイルズに近づいてくれるなっていう牽制なのかな……。
「あの、ヒルダ様はご結婚は……」
「ふふ、まだ内緒なのですけれども──そろそろ、婚約の契約を結ぶ段階に入っておりますのよ」
「そ、う……ですか……」
ヒルダ様は、近々ご婚約される。
相手はもちろん、マイルズだよね。わかってる。わかってた。
私がいくら努力しようと、本物の令嬢には敵わないってことくらい。
ヒルダ様は侯爵家の令嬢だ。侯爵家と繋がりができるなんて、ブラックリー家は諸手をあげて喜んだことだろう。
「あ、内緒ですわよ! きっと皆さま、びっくりされると思いますわ」
ヒルダ様はそう言うけど、きっと誰も驚かない。マイルズと仲の良い噂は聞こえてきているし、そうなるだろうっていうのは私もなんとなく気づいてたから。
嬉しそうに笑ってるヒルダ様を見て、私もなんとか笑みを返す。
「ヒルダ様の婚約発表を楽しみにしていますね」
「ふふ、ありがとうございます。あら? ルーシャ様、お顔色がすぐれませんわね。どうかなさいまして?」
「いえ、なんでも……」
そう言ったけど、私の目の前はぐるぐると回ってまっすぐ座っていられない。こんなところで倒れちゃ、迷惑がかかっちゃう。どうにかしないと。
「真っ青でしてよ……! マイルズ様、お手をお貸しくださいませ!」
「いえ、大丈夫です……! 歩けますから……」
無理やり立った瞬間、大地が反転したのかと思った。私の視界は、いつのまにか青い空を映し出している。
「大丈夫か」
がしりと腕を掴まれて、転倒せずにすんだ。私の視界に、マイルズの端正な顔が入り込んでくる。
久々に、マイルズの顔をちゃんと見た。あれから一年経ったマイルズの顔は、精悍さを増していた。
「マイルズ……様。すみません……」
「もう帰った方がいい。送る」
「いえ、そんな」
「そうしてくださいませ、ルーシャ様。お体が第一ですわよ? また別の機会にお茶でもいたしましょう」
「でも」
「ごちゃごちゃ言うな」
「ひゃ?」
ふわりと足元が浮いたと思った瞬間、私はマイルズに抱きかかえられていた。
「ではヒルダ嬢、失礼します」
「はい、お気をつけてくださいまし」
マイルズはそれだけ言うと、ずんずんと歩き出した。
え、ダメでしょ、次期婚約者の前で元婚約者を抱いて出ていくなんて。どんな噂が立つか、わかったもんじゃない。
「マイルズ、私はもういいから……園遊会に戻って」
「園遊会より、ルーシャの方が大事だ」
マイルズの言葉に、胸がトクンともズキンとも鳴った。
嬉しさは、ある。でもそれは、子どもの頃からずっと一緒にいたことで、家族のような思いを抱いてくれているだけ。マイルズの好きな人は、ヒルダ様なんだから。そのヒルダ様の前でこんなことをさせてしまって、胸が痛む。
私はブラックリー家の馬車に乗せられた。御者がいるから付き添いはいいって断ったけど、なぜか私の隣に座ってくるマイルズ。
馬車がゆっくり動き出すと、私の頭はマイルズの肩に乗せられた。
「マイルズ……ダメだよ、こんなこと……誰かに見られたら……」
「馬車の中まで覗き見る者なんてそういないだろ」
「でも」
「誰に見られたら困る? レイニールやカインとはどうなったんだ? 社交会に顔を出すってことは、貴族の誰かみたいだが」
「見られて困るのは、マイルズの方でしょ。元婚約者と浮名を流すようなことがあったら、ヒルダ様との結婚が白紙になっちゃう」
「ヒルダ嬢?」
私の言葉に、マイルズがパチクリと目を丸めた。どうしてそんな表情をするのか、意味がわからない。
「いや、俺とルーシャが一緒にいても、ヒルダ嬢の結婚が白紙になることはないだろ」
「そんなに惚れられてるんだ……」
「まぁ惚れられてるな、イノック殿下は」
「え?」
「ん?」
なんでここでイノック殿下の名前が出てくるんだろう。惚れられている、イノック殿下……誰に?
「ああ、まだ婚約発表前だから、内密にしておいてくれ」
「えと……ヒルダ様と、マイルズの婚約発表だよね?」
「はあ?!」
マイルズが端正な顔を歪めて私を見下ろしている。え、変なこと言ってないよね?
「人の話を聞いてたか、ルーシャ。今のはどう考えても殿下とヒルダ嬢の話だったろ」
「えっ、イノック殿下とヒルダ様が?! でもマイルズはヒルダ様と仲がいいって噂されてて……」
「ヒルダ嬢の殿下へのアプローチを、俺が取り持ってたからな」
「そう、なんだ……」
ヒルダ様はマイルズと婚約するのかと思っていたけど、私の勘違いだったみたいだ。
「着いたぞ、降りられるか」
「う、うん」
馬車が止まって、マイルズが先に馬車を降りた。振り返ったマイルズが私に手を差し出している。どうしようか悩んだ瞬間、足がもつれて体ごとマイルズに倒れ込んだ。
「きゃあ?!」
「ルーシャ!」
このまま倒れたら、あの時みたいに怪我をさせちゃう!
そう思ったけど、次の瞬間にはぎゅっと抱きとめられていて。
「大丈夫か? ドジだな」
「マイルズの方こそ怪我してない?」
「もう子どもだった頃とは違う。ルーシャ一人くらい、支えられるよ」
私に押しつぶされて泣いていたマイルズは、もうどこにもいない。
一人の立派な男性なんだ。
大地に足がついて、改めてマイルズの顔を見上げる。端正な顔立ちは、昔から知っているマイルズそのもので、胸が締め付けられた。
「私……ずっとマイルズのそばにいたかったなぁ……」
「……え?」
思わず、心の声が漏れてしまった。
ほぼ毎日顔を合わせて、笑ったり怒ったり、あきれられたりもした、あの頃。
楽しくて、当然のように毎日続くと思ってた。最低限のことしかできなくても、マイルズと結婚できるんだって、驕ってた。
そばにいられなくなったのは自業自得だ。だから、私にこんなことを言う資格なんてないってわかってるのに、想いが止められない。
「私……婚約破棄されたのに……迷惑だってわかってるのに、努力すれば、もう一度マイルズに認めてもらえるんじゃないかって……勝手な夢、見ちゃってた……」
「……なに、言ってるんだ?」
マイルズの不服そうな顔。それはそうだ、今さら努力しても遅すぎるし、こんな風に言われても迷惑に決まってる。
「ごめんね、もう二度と社交会には出ないようにするし、マイルズにも会わないように気をつけるから……」
私が家へ駆け出そうとしたその瞬間、パシッと手首を取られた。
「ルーシャ、もしかして俺のことが好きなのか?」
驚いたようなマイルズの顔がそこにはあって、私はこくんと頷いた。
「うん……私、ずっと好きだったみたい……婚約破棄されて、どうして私はマイルズに釣り合う女性になるために努力しなかったんだろうって、後悔した……」
言いながら、情けなくて悔しくて申し訳なくて、ぽろぽろと涙が溢れてきた。
そんな私をみて、マイルズは「知らなかった」と言葉をこぼす。そしてどこか驚いたような顔をしながら、マイルズは言った。
「俺たちは親に婚約者にさせられたようなもんだし、俺に怪我をさせた負い目で断れないだけだと思ってた。ルーシャは破棄したときも平気な顔してたし、それまでも俺の婚約者でいることに不満を持ってたみたいだったから」
「マイルズだって、いつも私にああしろこうしろって……私じゃ不満だったよね。殿下に婚約破棄を言わされて、本当はほっとしてたんでしょ。やっと私と縁が切れるって……」
「ルーシャ」
「しつこくして、ごめんね……」
婚約破棄されて一年経っているっていうのに、引きずり過ぎだ。
いい加減、私は諦めて──
「俺も、ルーシャが好きだ」
「……へ?」
唐突の言葉に、私の涙はぴたりと止まった。
「なに、言って……?」
「別に俺は、不満なんて感じてないよ。ぶーぶーと文句を垂れながらでも、ルーシャは必要な行事には参加してくれていたし。多少のマナーがなってなくても、その都度教えていけばいいと思ってたから重要視してなかった。むしろ、そういうところがルーシャらしくて俺は好きだった」
私らしい……勝手をしてきたのに、そんなところが好きだと言ってくれるマイルズの顔は、優しい。
「ごめんな。ルーシャの自由なところが好きだって、ちゃんと殿下にもルーシャにも、伝えておけばよかった」
「マイルズ……」
「ルーシャ。もう一度、俺の婚約者になってほしい」
私の心に、風が抜けていく感じがした。
夢かもしれない。だって、頭がふわふわとしすぎているから。
「でも、殿下が……」
「イノック殿下は、ルーシャの気持ちを確かめただけだとおっしゃってた。あれで引くくらいなら、大した女じゃないのだからやめておけって。けど、最近のルーシャの頑張りが俺のためだったのなら、殿下もきっとわかってくれる」
「じゃあ……」
こんなに都合のいいことってあるの?
一度は婚約破棄になったのに……また、好きな人と婚約できる。
「婚約しよう。そしていつかは……いや、なるべく早く結婚をしよう」
胸が詰まる。
今度こそ私はマイルズにふさわしい女性となって、誰にも文句を言わせない。
「うん……私、がんばるから……マイルズの隣にいられるように……!」
「俺も優しくするよ。今まで強く言いすぎてごめん」
マイルズはちっとも悪くなんかない。そう言いたいのに、喉が詰まって声が出てこなかった。
目が合うと、マイルズは優しく微笑んでくれていて、その顔に私はほっとする。マイルズがそばにいると、それだけで安心感を得られるんだ。
マイルズは私の頬を、ゆっくりと撫でてくれた。
「覚えてるか? 昔、婚約者となったときに言った、ルーシャの言葉を」
私の幼き日の、プロポーズと言っても過言ではない、あの言葉。もちろん覚えてる。
「俺もルーシャを幸せにするよ。ルーシャにだけ、責任を押し付けたりはしない」
「マイルズ……ッ」
止まったと思った涙が、マイルズの気持ちに触れて、また溢れてきた。
──わたしがせきにんをもって、マイルズをしあわせにします!!──
そう約束したあの日の言葉に、マイルズの誓いが重なる。
「一緒に幸せになろう」
「……うんっ」
私は、幼馴染みであるマイルズと、もう一度、婚姻契約を結んだ。
青い空に、つがいの鳥が仲良く飛んでいるのが見えて。
顔を見合わせて微笑むと、私はマイルズの優しい手に抱きしめられた。
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