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三話

 「本日はありがとうございました。こんなにたくさんお土産までいただいてしまって申し訳ないですわ。またお誘いしてくださいね」

 トモヨの住むオンボロアパートの前でトモヨはアツシに対して頭を下げて礼を述べていた。

 事実トモヨはご機嫌であった。スキ屋でWにんにく牛丼をしこたま食べ、その後は立ち呑み屋に繰り出し延々と焼酎のクロキリシマをロックで飲み、そして帰りにはコンビニでビール(発泡酒ではなく!)をしこたま買わせ、さらにはカップ麺(一個三百円近くするもの!)までもしこたま買わせ両手にはパンパンになったビニール袋を下げている。

 一方完全にカモられたアツシはと言うと吐いていた。電信柱に両手をついて真下を向いて盛大に吐いていた。吐いたものがアツシの履く高級そうに見える革靴にびしゃびしゃと跳ねながらもそんなことお構いなしに狼の遠吠えのような声を出しながら吐いていた。

 立ち呑み屋でトモヨのハイペースな飲み方に引きずられ、さらにはトモヨに煽られてついつい飲み過ぎた。飲み慣れない焼酎でこのような飲み方をするべきではなかっとアツシは強く後悔した。

 くそ、もう二度とこんな女には関わらないとアツシが胸に刻んでいることなどつゆ知らずニコニコと上機嫌に、吐いているアツシなどはまったく気にした様子もなくトモヨは「では、また」と申し訳程度に頭を下げるとオンボロアパートの階段をカンカンと高い音を響かせ登り自分の部屋に入っていった。

 それを吐きすぎて涙まで出ていたアツシは見つめて。あぁあの部屋に住んでいるのかと勝手に脳が記憶するのを忌々しく思いながらひどい酩酊状態で回らぬ頭をなんとか引きずりつつ家路にへとつく。

 なんとか帰ればいいが、とそう思った。

 

───────────


その二日後、トモヨは仕事が休みだったので昼からアツシに買わせたカップ麺を肴に、これまたアツシに買わせたビールを浴びるように飲んでいた。あれほど買わせたというのにもうビールの方は数が少なくなってきており、本気でトモヨは箱で買わせれば良かったと後悔していた。

 「あぁ! やっぱり本物のビールは最高ですわー! 」と喉を鳴らしながら缶ビールを飲み干し、空き缶を部屋の隅に投げ捨て、カップ麺を啜る。

 退廃的にもほどある。いっそ芸術的といっていいほどの荒んだ生活である。これがかつてクジョウの黒い宝石(セレンディバイト)と言われた令嬢の生活ぶりといって誰が信じるだろうか。

 人というものは没落するとこうまで堕落してしまうのか。ただ恐るべきことだがこの状況にあってトモヨはこの生活にまったく苦しんでおらず、むしろ楽しんでいるということがこの女の計りきれぬバイタリティーを示している。彼女ならばきっと地獄でも愉快に暮らしていけるに違いない。

 最後の缶ビールのプルタブに指をかけて今まさに開けようとした瞬間、ドアがコンコン控えめな音でノックされる。プルタブを開けるときこそ最高の瞬間だと考えているトモヨは眉根に皺を寄せて不機嫌な面持ちとなった。

 行列に並びやっと自分の番が来たと思ったら横入りされたような気持ちだ。昔のトモヨならすぐドアまで飛んでいきその無粋な訪問者に生まれてきた後悔と死ねる感謝を述べさせつつ闇に葬るところだが今のクジョウ・トモヨは昔のニッポン帝國有数の大貴族クジョウ家の令嬢ではなく、ただの一般日雇い労働者。プロレタリアートにすぎないのでそこは穏便に「居ませんわよー!」とブラジルまで聞こえそうな声量で叫ぶ。

 さぁもうこれで大丈夫、とばかりに再びプルタブに指をかけあの空気の抜ける甘美な音を鳴らすために力を加えようとするとまたノックの音がした。先程より強い音だ。先程がコンコンなら今度はドンドン、である。

 さすがに一般日雇い労働者でありプロレタリアートにすぎないトモヨでも二回目ともなれば我慢の限界であり、堪忍袋の緒が切れる音がしっかりと耳の後ろの方で聞こえた。

 「居ませんわと申し上げています! ! ! 」と外開きの扉を思いっきり力いっぱいに開け放った。

 開けた瞬間トモヨの目に飛び込んできたのは「うわぁ! 」と短く情けない声をあげて空中に浮かぶシノザキ・アツシの姿だった。彼はトモヨが扉を開け放った衝撃で吹き飛び、今まさにオンボロアパートの欄干を越え重力に従い地上に落下するところであった。

 「まぁ」と驚いた声をあげて一瞬動きを止めるトモヨだったがアツシと共に落下しようとしているビニール袋に目を止める。

 そのビニール袋にはどうやら缶ビールやらなんやら諸々が入っているようでそれを驚異的な動体視力で確認したトモヨは足を踏み出す。

 あまりの力強い踏み込みにオンボロアパートの全体が揺れた。

 

──────────


 アツシは今スローモーションの世界で生きている。体が浮き上がり欄干を越え、そして穏やかな重力の波を感じている。それが強烈に自分を抱きすくめてしまえば次の瞬間大地に激突するだろうとアツシは思考ではなく直感した。

「助けて」という言葉は出ない。声を出す暇などはない。よしんば出せたとして「たす……」の時点で自分は叩きつけられているだろう。

 みすぼらしい下着を身に着けた素晴らしい肢体の女がドアの影から姿を現した。トモヨであった。こちらを驚きの表情で見たと思った瞬間動き出した。スローモーションの世界に生きてるアツシの目ですらも捉えられない動きであった。

 トモヨが手を伸ばす。アツシもトモヨへと手を伸ばす。両者の手が伸び、今まさに繋がれようとしたときトモヨの手がふいっと曲がりアツシの近くを舞うビニール袋を掴んだ。アツシのスローモーションの世界はそこで終わった。

 あえなくアツシは「ですよねー」と空中に言葉を残しつつ大地に叩きつけられた。

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