15、「大嫌いな世界の中で、愛してるのは君だけだ」終
「ハァ……、ハァ……、着いた……」
もうすっかり夜になった。遠いけどサイレンの音が聞こえる。もし本当に彼女がいるなら……、いや、絶対にここにいるはずだ。信じろ、彼女も、俺自身も。
明るくて輝かしい夢のワンダーランド、本当にそんなものが存在するなら連れてってほしい。今から逃げるところはぜひそうであってほしいものだ。
もう深夜だ、閉まっているし、普通はこんなところに人なんて来ないはずだ。
あぁ、さすがに遅かった。交通機関を使うわけにはいかなかったし、一応追われてるんだからできるだけ人気のないところを中心に走って、さすがに休憩も重ねてしまって……、普通ならもうどこかへ行ってるよな。あんまり同じ場所で長いこといるのも良くないし、せめてこの周辺を確かめてから……、
「だ~れだ?」
「……!」
「どうしたの? 一声で私のことわかったんだよね?」
「もう……、会えないと思った。本当にッ……、良かった!」
「うん……、私も。でも、会えて本当に良かった」
視界を遮る手を一生懸命握り、そして後ろを向いて林檎と顔を合わせる。
そしてひたすら、彼女の体温を感じらせる愛情表現を示した。こんな熱い抱擁、生まれて初めてだ。
林檎だ、本当にいた。林檎を信じるなんて粋がっていたけど、本当は不安だった。
今まで一度だって人を信じることなんてなかった、信じても応えてくれなかった、そういう親だったから。ついに自分すら信じることなんてなかったのに……、やっぱり信じてよかった。
「ごめんね……、ごめんねっ……!」
「なんでリンゴがあやまるのさ、あの母親のことはリンゴのせいなんかじゃ……」
「ううん、そうじゃないの。本当はね、シゲノブくんにお別れの言葉を伝えようと思ってたの」
「……」
「あのメッセージを見たんでしょ? 私と一緒にいると不幸になる、だから……、真っ当に生きてほしかったから。でも……、無理。離したくなかった……、気づいたらこんな風に身体が動いてた」
「リンゴは、何も間違っていないよ」
「ううん、少しでもあなたを裏切ったんだもん。だから正直に話して……、その、一発ぶん殴ってほしい! そうすれば私、何の迷いもなくあなたのことを好きになれる!!」
「そうか……、じゃあ、いくよ」
その言葉の後から、林檎が目を思いっきり瞑って震えた顔をしていた。
そんな顔をしないでほしい。そんな張り詰めた顔をしないでくれ、林檎……。
そっと……、唇に触れた。
俺も目なんか瞑るんじゃなかった、彼女がどんな反応しているのだろうか。でも、何となくわかる。唇伝いで林檎の想いまでも伝わるようだ。
「走れメロスじゃないんだから、林檎はもっと笑顔でいてほしい。もっと素直でいてほしい。俺の嫌なところを受け入れたように、今度は俺がリンゴのを受け入れるよ。あの一年、まだ必死に我慢していたところがあったんじゃないの? リンゴが本当にしたいことって何? 俺は嫌だよ、芯のない林檎なんて……」
「……あはは、お見通しだったんだね。うん……、私、やりたいことがある。もっともっと、もっと……、たぶん……、それが毒のように嫌なことだとしても……、あなたは嫌いにならない?」
俺は涙が溜まった林檎の瞳を見つめながら、言葉に力を入れる。そして腕時計を出して、
「もちろん。だって俺は……」
大嫌いな世界の中で、愛してるのは君だけだ。そう口に、腕時計に誓った。
あれから時が経って、俺と林檎の二度目の逃亡は成功した。前の逃亡生活はまだ窮屈なところがあった。だから今回の生活は、やりたいことを必ず行うようにした。そう、どこにいても、何をしても、これだけは外せなかった。
「……よし、できた」
「編集お疲れ様、いよいよね!」
「そうだね、でも本当にするの?」
「私の本当にしたいことに付き合ってくれるんじゃなかったの?」
「そ、そうだけどさ……、創ったの中学以来なんだよな」
「そうね、本当にそんな感じがする」
「遠まわしにあれって言ってるよね~それ。あーはずい」
「でも、あれと好きは別だよ。こういうのはちょっぴり下手なくらいがちょうどいいものだし。それに、今のシゲノブくんらしさが伝わる」
「伏せてたのについに言っちゃったよ……、でも不安なのはそれだけじゃなくてさ……、これで、芝崎林檎だってバレるんじゃないかな……?」
「それは大丈夫よ、昔の私とは違うから」
「声変わりのことなのに無駄にカッコいい……。でもネットの世界ってのはそう簡単にヒットしないからね」
「それはどっちも同じよ。今度こそ親の力を借りず、リンゴ100%でいきたいの」
「まぁ俺が干渉してる時点で100%じゃないけど」
「一言余計よ!」
「イテテ……! あ、そういえば名前どうしようか?」
「それはね、前から考えてたのがあるんだ。これ」
「……お、おぉ。……ありがとう」
「ふふっ、気に入ってくれてよかった。じゃあ一緒に送信ボタン押そ」
「うん。せーの、送信」
細海重信と芝崎林檎の初めての歌が、この日初めて配信された。
アーティスト名は、Newtones。曲名は、『君と歌を愛してる』。