1、「俺のことは嫌いになっても、七瀬さんのことは嫌いにならないでくださいね」
「ありがとうございます。休日お昼のフリータイム、学生二名と大人二名、合計で4504円になります」
「あのさぁ、その笑顔やめてくんない? 不愉快」
「……え?」
「え、じゃないわよ。人がせっかく盛り上がって歌ってた時にさぁ、席が満席になったから出ていけって、ムカつく」
「えぇと……、しかしそれが当店でのルールであって……」
「んなことわってるわよ! うちらが言いたいのは、そんな心のない接客スマイル向けられても余計に腹立つってわけ。わかる? わかったら、二度と笑顔見せないで」
「らっしゃせぇ……。会員二人夕方フリーですね、コップどちらにします? アイスで。部屋番210です、どうぞごゆっくり……」
『あの店員やる気あるのかしら……』『ないに決まってるでしょ、見てよあの死んだ目』
小さくとも聞こえる陰口だった。まだこっちを見ている素振りだったので目線を腕時計に切り替える。
てめえら女のせいでこんなことになってるんだろうが、って言っても無駄だろうけど。
あれ以来俺は、笑顔ができなくなった。カラオケ店の仕事の過半数が接客業だというのに何をしてるんだか……、と思ってしまう。
しかしそんな悩みももう終わりだ。なぜならこの俺、細海重信はあと少しで……、
「さっきから腕時計見て何してるんですか細海さん? サボるつもりですか~?」
上は俺と同じ、下はズボンとスカートで違う制服を着ている同僚、七瀬美柑が聞いてくる。普段は接客満点の可愛い笑顔も、何か企みを隠したにやけ顔は少しうざい。
俺は受付、彼女は精算と同じ場所にいても役割が分かれている。お客はいない、多少なら話しても問題ないだろう。
「もうすぐ九時でしょ? そろそろ忙しい時間帯に入るから、七瀬さん一人で大丈夫かなと思って」
「え、細海さん休憩入るんですか?」
「いや、あがる」
「早っ! 大学生なのにどうして高校生の私より早く帰るんですか!?」
何でそんなところで文句言われなきゃいけないんだよ、まあそれも間違ってないけどな。
「俺辞めるから。最後は早上がりさせてくれたんだよ」
「あぁ、そういえば今日でしたね! すっかり忘れてました」
「どーせ忘れられる存在ですよ~。あ、副店長来た」
奥からやってくるこのカラオケ店の副店長、歳は聞いてないけど30か40代と思う、副店長なんだし。でも少し顔は若い。
騒ぎすぎたかなと思ったが、特に怒られる様子もなく俺のところへ話しかけてくる。
「お疲れ様細海くん、もう上がっていいわよ。今日で最後なんでしょ? あれやるの?」
「あれ……?」
「知らないならいいわよ、用事ないなら帰った帰った」
これなんだよなぁ……。副店長はシフト作りもクレーム対応も管理も完璧な仕事人だが、俺にだけ対応が塩なんだよ。
「いや、気になるじゃないですか。教えてくださいよ副店長」
「嫌よ、よく考えたらあんたにあれやる権利ないと思うし……」
「あーあれですよね? うち恒例、アルバイト辞める人は最後に無料で部屋借りて歌えるっていう」
「ちょっと七瀬さん……!」
へえ、それは意外だな。ここのカラオケ店、料金も時間制限も設備もクソなのにそんなサービスあるのか。
「何それめっちゃいいじゃないですか。じゃあお言葉に甘えて使わせていただきま~す」
「……チッ」
あからさますぎる。そんなに嫌か?
「え……? 私何かまずいこと言いました?」
「あぁいいんだよ七瀬さん、副店長は俺のこと嫌いだから」
「ええと……」
「副店長、俺のことは嫌いになっても、七瀬さんのことは嫌いにならないでくださいね」
「どこのアイドルのモノマネよ、行くならさっさと行きなさい」
「はーい。最後だから言いますけど、副店長のその性格は悪いけど言いたいことははっきり言うとこ、好きでしたよ」
「はいはい。それじゃあ七瀬さん、引き続きよろしく」
一世一代の俺の告白を無下に扱うとは、ま、女だから嫌いなんだけど。
「うふふ……」
「何だよニヤニヤして?」
「細海さんって、ヒトカラ似合ってますよね」
「どういう意味だよ」
まじでどういう意味だよ。
「他意はないですから気にしないでください。それじゃあ細海さん、どの部屋使いますか?」
「狭くてもいいけど、機種がライブダムのところにしてくれ」
「……ふーん。で、何時まで歌うんですか?」
「そりゃあ無料って言われたんだから、お言葉に甘えてオールするよ。コップはアイスにしてくれ」
「それじゃあ学生証見せてくださ~い」
「いや、無料だから学生割引意味ないだろ」
「アハハ、ばれちゃった。それじゃあお部屋は……」
「あそうだ。言い忘れてたけど……」
副店長の最後の言葉で、部屋が強制的に指定された。
「何でファミリールームで歌わないといけないんだよ……」