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98粒目『abominate:ひどく忌み嫌う、憎悪する、大嫌いである』ストレンジな彼女⑪

『abominate』


―ひどく忌み嫌う、憎悪する、大嫌いである。


abominableの動詞版。津波や疫病の予感から逃れるように、人は人を憎み忌む時があるのです。悲しい。―


 龍成は気持ちの良い男だったと思う。

 直感というものをとても大切にしていて、それは物事を快と不快の2つに分けて観る態度に現れていたし、そしてその見方はもちろん僕にも適用されていた。

 多分そこにはとても複雑な原理が働いていたのだと思う。

 僕を含めて、誰も龍成を理解できなかったし、また共感もできなかった。

 小学生の時の彼は、とても残酷なことを、草の隙間の虫や浜辺の岩場を這う蟹にした。

 電車を乗り継いでたどり着いた繁華街の裏路地で、色々な人間を襲い続けた。

 準備したのは最低限の道具で、どれも100円均一の店で入手したもので、大げさで扱いに注意を要するアーミーナイフとか、そんなものは一切使わなかった。

 カッター、包丁、ハサミ、金槌、ワイヤー、粘着テープ、虫メガネ、はんだごて、ビニール袋に洗剤。

 本来の用途から逸脱した使い方をされた道具たちは、たいてい血まみれで、そして龍成はそれらを帰り道で焼いた。

 河川敷は広くて、野球をする少年たちや、彼らを叱りつけるコーチの声が響いて、青空に拡散していた。

 焼かれた道具は、プラスティックは海の殻のある生き物みたいなゆっくりとした動作でめくれながら収縮し、金属は黒く焦げていった。

 肉片や骨片はある種の料理と同じ臭いがして、ある程度焼けてから、龍成は食品保存用の袋に収めて、

「ハゲが好きなんだよな」

 と笑った。

 確かにハゲはがつがつとむさぼっていたけれど、本当に好きだったのかは分からない。

 食事を終えた猛犬は、いつも灰色の虚ろな瞳をしていた。


 中学に上がると、龍成の狩場は住宅街に移った。

 静かでつまらない街のつまらない一家がいい、と龍成はよく言っていた。

 つまらない、の基準が僕には分からなかった。

 龍成にも説明が難しかったらしく、僕が訊くといつも目を閉じ腕を組んで、

「ぱっと一言で言いたいんだけどよ。できねえんだよなあ」

 と残念そうな顔をしていた。


 でも、彼には別の主張があった。


 つまらない人間は、面白くなることで存在する価値が生まれる。

 そして、彼らを面白くできるのは、龍成本人しかいない。

 

 通行人を吠えつける犬やその飼い主の一家、散歩に出たつもりで帰り方を失念した認知症の老人や老人を探さないで晩御飯を作る嫁や息子の一家のどこがつまらないのか、僕には分からなかったけれど、でも龍成の中ではそうだったのだろう。

 龍成は彼らに目をつけ、入念に下準備をして、そして全員を惨殺した。


 あの頃は、少年たちが起こした似たような事件がたくさんあったし、それが社会問題にもなったりしたけれど、不思議なことに龍成の起こした事件が報道されることはなかった。

 死体を残さなかったのが大きいのかもしれない。

 現場を綺麗に清掃したのも、ただの失踪事件、または夜逃げと解釈されるのに一役買っていたのだろう。運搬役も雇ったし (その運搬役は一定期間をおいて、龍成によって処分された)、ハゲに食わせきれない死体は市立病院から盗んだ医療廃棄物の箱に入れて、処理場に戻した。

 この箱はかなり強靭なプラスティックの素材でできていて、蓋をはめるともう開けることができない。

 普通は手術で切断された手や足や関節、摘出された臓器などが収められる。 

 龍成は被害者たちの遺体をいくつかの箱に分けて入れて、回収を待つ正常な箱の山に戻した。

 木を隠すなら森。死体を隠すなら死肉。

 合理的だと思う。

 

 高校生になって襲撃したのはペットショップで、犠牲になったのはウサギやモルモットや血統種の犬や猫や店員やオーナーだった。

 理由はやっぱり、つまらないから、で、僕にはさっぱり何がつまらないのか分からず、何というか、そのことを残念に思った。


 龍成は、あらゆる蛮行を僕の目の前で行ったが、手助けは一切させなかった。

 死体袋の運搬すら彼1人で行っていた。

 僕に許していたのは、ただ彼を見守ること。

 世の中の大多数の人間がひどく忌み嫌う行為を、だから僕はたくさん見てきたし、耐性もついたけど、でも結局彼のことを嫌うことはできなかった。

 

 悪逆という言葉は龍成のためにあったけれど、彼は僕に暴力をふるうことはなかった。

 いつも行動を共にすることを強制したけれど、でもそれは強制というよりは誘導で、しかも龍成は僕が拒否をしないタイミングを、受け答えを完璧に理解していた。

 

 ある種のレストランには、スプーンやフォークを客に出す専門職がいる。

 彼らは客が開く唇や咀嚼のために動かす顎の筋肉、手や指や肩や目の動きを、気配を消しながら観察し、空気みたいに滑らかなタイミングで、食器を出し、下げる。

 

 龍成は友人を野球に誘うように、気軽に僕を誘いだしていたし、僕は誘いに応じた結果に辟易(へきえき)しながらも、それでも彼と行動できることを喜んでいた。

 

 寿村龍成とは、つまりこういう災害のような男で、僕は常に彼のそばにいる。

 全てを破壊する台風の中心が穏やかで、夜には新しい星が発見できるみたいに、僕は龍成の隣で、世界を発見していった。5歳の僕の喉をふさいでいた透明な被膜は、高校までの長い時間をかけて、彼が引っぺがし、丁寧に丁寧に、世界をコーティングするために使ってくれたのだと、今でも思っている。

 言葉を変えると、確かに世の中には、僕と同じ、もしくは僕より悲惨な人々は沢山いた。

 それは、うんざりするくらいに。

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