9粒目『abandon(残したまま戻らない。見捨てる。置き去りにする。遺棄する。放棄する。あきらめる。中止する。明け渡す。なすがままにまかせる。ゆだねる)』カリブガンズ 2nd wave
登場人物
エドワード・エブリデイ:海賊船『御婆様号』の船長。普段はエドと呼ばれる。まだ若いが、卓越した操舵技術と並みいる者の数少ない剣の腕は、先代ゆずり。寄港前の占いで、吊られた男のカードを引いている。
モルガン:御婆様号の副船長。こわもてだが、先代の姿とエドを重ねては涙ぐむ。
ヘンリー:操帆長。元海軍士官。あせっている時ほど物言いが冷静沈着になる。
前回までのあらすじ:
海軍の追跡を振り切った若き海賊船長エドは、貿易都市シェラスの寄港にあたって、タロット占いをし、吊られた男を引く。楽しみだなとエドは笑う。
『abandon』
―残したまま戻らない。見捨てる。置き去りにする。遺棄する。放棄する。あきらめる。中止する。明け渡す。まな板の上の鯉的になすがままにまかせる。ゆだねる。
ちなみにdesertは義務や誓いにそむいて捨てる。背信的な捨て方で、forsake軽い感じで捨てる。捨てた人は非難されない。renounceは公式な主義の放棄として捨てる。
abandonの語源は 語源は、古フランス語のabandoner。これは明け渡すという意味。―
焚かれた香が薄絹のような煙をいくつもつくり、ランタンの光に浮かびあがる。
紗が強調するのがそれをまとう肉体のふくらみであるのと同じように、柔らかくくねる煙たちは、酒場をひたす夜が深いことを告げている。
陸の酒場は女たちの場所だ。男たちは酔い、荒い布に身を包んだ女たちとからまりあい、女たちは時折笑い、怒鳴り、あるいは泣きながら男の脳天に酒瓶を振り下ろす。
酒はラムではない。水平のはるか遠くの豊かな大地で醸造された葡萄酒。距離は困難を産み、困難は価値を保証する。だから貿易船は海を行き来し、銀貨5枚の葡萄酒を金貨1枚にする。
そして、貿易船を襲うのが海賊の仕事だ。
焚かれた香も男たちがラッパ飲みする葡萄酒も、エドワードたちが貿易船から略奪したものだ。
先代の頃からの慣習だが、寄港地で御婆様号から荷下ろしされた私掠品の一割は、船員の慰労に振舞われる。しかし、海賊が生きるのは水の上だ。寄港期間も限られている。
だから、金貨に換えると何千もする葡萄酒や香、アジアの調味料その他が、一晩の宴会で消える。今回の寄港地シエラスでも、宴会は催されることとなった。海軍と繰り広げられた死闘のかいあってか、略奪品には珍しい品が多く、闇商人も金貨の枚数に色をつけてくれた。
取引は上々。エドワードの判断で、給金も多く支払われたから荒くれどもの羽振りも良い。女たちも気合いをもって、一夜の無法地帯にのぞんでいる。
エドワードは酒場の最奥部にしつらえられた玉座の上で足を組み、膝の上にのせた手が握るワイングラスに視線を落とした。
「ね。かまってよお」
とろっとした声。吐息がエドワードの耳にかかる。すがりつく腕はランタンの灯りに白く浮かび、香の煙があいまいな影をそこに落とす。影は肌の上を生き物のように流れる。
エドワードはこたえる代わりに、葡萄酒を口にする。
- やっぱ、俺のおふくろはこういう女だったのかな。-
エドワードは捨て子で、先代に拾われた。
物心がついた時には御婆様号のハンモックに揺られていた。
揺れるのが普通。だから、陸では逆に酔うように揺れてしまう。この揺れを打ち消すのは強い酒だ。
「ちょっと出てくる」
エドワードは女を押しのけて立ち上がり、船長服を玉座にかけた。それから酒場の闇を縫うようにして、ジョッキ代わりの樽を抱えた店員の脇をすり抜け、調理場に回り、店の裏に出た。
そこで、彼は彼女、アントネッタ・メアリ・エル・シエラスに出会った。