84粒目『abnegation:拒絶、放棄、克己』ストレンジな彼女②
『abnigation』
―拒絶、放棄、克己。
abnegateの名詞形。ab離れる+negrare否定する+tion名詞化。
自分を克服するには、否定して欲望から離れないといけない、という体育会系な言葉。―
僕の事務所の前のイチョウ並木は東京都はK市を南北に走っていて、南にまっすぐ10分ほど歩けば学園通りに出る。
このストリートは中華屋がやたらと多くて、どの店も構えが古い。
並盛チャーハンは何故か巨大化して出て来るし、味付けは化学調味料が基本で、味蕾を暴力的にフルスイング。
だから寿村さんのお家の上品で繊細な味わいのたくあんやらお吸い物や刺身や干物を基本に育てられた僕には、ちょっときつい。舌というより、喉が呑み込むのを拒絶してしまう。
けれど、油脂に汚くまみれた視界の端で、チャーハンでもラーメンでもかつ丼でも必死に胃に収めようとする学生たちの姿はとても微笑ましい。
僕がこの学生街を愛する理由の9割は、この学生たちの姿だ。
残りの1割は龍成だけど、認めるのは少ししゃくだし、悲しい気持ちになってしまうので、普段はあまり考えないようにしている。
学園通りをさらに南に進めば陸上自衛隊の駐屯地に突き当たる。
歩哨たちは夏でも冬でも同じ顔をして壊滅的な何かを無言で警戒しているので、空気感が伝染するのか、僕は彼らを眺めているとやたらと不安になってしまう。
この不安の瞬間は、東京が空爆されたと知らされても、または爆音が響いて通りに並ぶビルや古民家や大学や中華屋や交番の窓の硝子が一瞬で粉々に吹き飛んで、無数に輝きながらイチョウの葉の黄色 (季節によっては控えめな緑)に混ざり合っても、深く納得をするのだろうと思う。もちろん腰は抜かすだろう。
けれど、それでも納得は納得だ。
事務所を起点に、南ではなく北に向かってひたすら歩いて、いくつもの線路を越えると、小さな寺に至る。ここの西の納骨堂には僕の両親が眠っている。
寺を出て、500mほど西に歩くと、かなり広大な霊園にたどり着く。
ここの中央にはいくつかの偉人の墓石がそびえて、管理もしっかりとされているので、供花が放棄されていたりとか、そんなことはない。納骨料が高いだけはある。金持ち及び偉人たちという人種は、死後も尊重されるべきだという哲学を、しっかりと感じられて好感が持てる。
どういう意味でも、克己に励んだ者は、優遇されてしかるべきなのだ。
この墓石の群れを少し東に行くと寿村家代々の墓がある。
8年前の春。埃をうっすらとはらんだ風が生温かい晴れた日に、龍成の遺骨もこの墓に納められた。
彼は寿村さんの一人息子だった。
ちなみに、両親の24回目の命日が昨日だったので、僕は供物と花を手に赴いた帰りに、龍成の墓にも寄ったのだが、霧雨のために霊園全体が雲海に沈んだようになっていて、酷く気がめいってしまった。
もちろん晴れやかで爽やかで気持ちの良い気分の墓参りなどあってはならない。
けれど、それでもあの霧雨の冷たさは異常だったと思う。まるで細かい無数の針だ。
とても長い時間、墓石の前に立ち尽くしてから、列を2つ3つはさんだ他の弔問客たちの声に、我に返った。
手を合わせることを啓示みたいに思い出し、ひらを埋めるように濡らす雨粒たちを両手で押し潰して、冥福を祈る僕の脳裏に浮かんだのは、龍成の馬鹿にしたような、傲慢な笑顔だった。
次の日、僕は風邪を引いた。
おかしいな、と思った。雨に打たれたくらいで、風邪をひくようなヤワじゃないのに。
更科和美の面接という、かなりの金が動く仕事を午後に控えているのに。
これは大変なことになった。とにかく、風邪を治さなければならない。