83粒目『abnegate:断つ、拒否する、捨てる、放棄する、欲望を捨てる』ストレンジな彼女①
『abnegate』
―断つ、拒否する、捨てる、放棄する、欲望を捨てる。
ab離れる+negare否定する、でabnegate。君子危うき近寄らずみたいなもの。
酒を断ちたきゃ酒を捨てろ、みたいな含蓄に富む言葉。―
宇宙人と会話をしたことがある。
内容は深刻で、僕にはとても受け止めることができなかった。
だから理解も受容も拒絶もその時はとてもできず、ただ放心していた。
目は和子の変わり果てた姿に釘付けだった。
そんな僕に対する興味を失ったからだろう。
宇宙人は、太陽系を去ると宣言し、最後に何かききたいことはあるか、と訊いてきた。
「愛って何なの? お前らにとって」
和美に視線を留めたまま、僕はつぶやくように質問し、宇宙人は、
「我々にはその概念がない。が、君たちの生体構造から類推するに、『消滅が決定付けられた感情』が定義として最適だろう」
と即答してきた。
ずいぶんと気が利いた宇宙人だな、と僕は思った。
軽口か皮肉か。もしくは両方か。どの場合でも、人間に近い受け答えをしてくれたのは間違いがない。
僕はこの宇宙人の親切を忘れることはないんだろうな、とその時に思った。
実際、あの会話から10年以上たって、45歳になった今、色々なことを忘れてしまっても、あの受け答えだけは、しっかりと覚えている。
※※※※
緊張に震える手が立てる衣擦れがマイクに入ってしまわないよう、慎重に録音していく。
とても疲れる。
「和美を愛している」
趣旨としてこれだけの内容にもかかわらず、証明は困難を極める。
神や悪魔の存在証明のようなものだと思う。
どちらも立証が不可能だが、神という名前の悪魔は存在するのではないかと、最近は思っている。
宇宙人の存在とどちらが明確かと問われれば、もちろん宇宙人だけど、彼らは太陽系にはいないし、もう現れる見込みもないから、考えるだけ無駄だと思う。
陽が昇ってから没するまで、休憩をほとんど抜きにした録音を終えて、音声ファイルをメールに添付。
送信スイッチをクリックする。あて先は天文台。
さらにそこから、宇宙に向けて、記録内容は自動的に発信される。
僕が会話をした宇宙人以外の、愛情という感情がある知的生物が、このメッセージを受け取ってくれるようにと、ボタンをクリックするたびに、祈る。
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和美に出会った時、僕は30歳だった。
その日はイチョウの樹々に色づいた黄色が陽に優しく揺れる快晴だった。
昨日までの霧雨は何だったのだろう、と事務所の窓から並木通りを眺めながら舌打ちしたのを覚えている。
その後すぐにくしゃみをして、スーツの胸ポケットから取り出したハンカチで鼻をかんだのも。
何となしにためてから吐いた息が熱くて、ああこれは風邪をひいたかな、いや、絶対ひいた、と額に手をやって、手のひらに確実な熱を感じたのも。
「まあ、うん。しょうがない」
ロキソニンの錠剤をペリエの炭酸水で飲み下してから、そうつぶやく。
上下の唇を内側から割ってでようとするげっぷを、額にやっていた手で押さえながら、体温計をさがそうとして、思いとどまる。
来客の準備作業に検温は含まれていない。
身体の内側でどれだけ炎症が起きていても、仕事をするということに変わりはないのなら、今、できることを、全力でするべきだ、と、自分に言い聞かせる。
だから腰は無印良品のワークチェアにおりるし、右手はPCのマウスをくるむように握るし、カーソルは情報ファイルをちゃんとクリック。
更科和美という人物名。写真。プロフィールがモニター画面に出てきて、僕は目を細める。
僕と同い年であるはずの更科和美は、10代の少女にしか見えない。
けど不思議ではない。使われている写真が古い。
顔いっぱいで、白い歯を見せて笑う彼女が大きく手を振るその後ろには、少しだけ奇妙な曲がり方をした樹がある。
上空にはくもりのない空。更科和美の足元に広がるラベンダーの紫に負けないほどの、圧倒的存在感を帯びる、果てしない蒼。
この写真は有名だ。彼女の出世作となった映画の宣伝に使用されたポスター。
僕が新宿のピカデリーでこれを目にしたのが12年前だから、この時の更科和美は現在よりも干支を1周分若いのも道理で、曇りの全く見えない笑い方にも納得がいく。
18歳。つかんだ主役。賞賛と注目。ヒールが踏んだ真紅のカーペット。
ちゃんと大人になる前にのぼってしまった、栄光の階段。
1つ1つの要素を、僕は慎重に確認していく。遺跡荒らしから略奪品を受け取って値をつける古物店の主人は、こんな気持ちなのかもしれない。
違いは動く金の額だ。
0の桁を見るだけで、笑いが止まらなくなるような、とんでもない金が動く。
これは毎回のことだけど、考えるたびにやる気が震えとなって、背骨から全身にひろがる。
僕はこの仕事を完璧にこなさなければならない……と、当時の僕は思っていた。
それが寿村さんに対する誠意だと、本当に信じていた。
僕の仕事は斡旋業。高級ハローワークといった表現が分かりやすいのかもしれない。
一世を風靡した経験のある芸能人に、現状にかなった特殊な仕事を紹介する。
その日、更科和美に案内しようと思っていた働き口は、AVの製作会社だった。
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更科和美は、18歳で栄光の階段をのぼった後、各テレビ局の夜の看板番組的なバラエティに一斉に引っ張られてもみくちゃになりながら、いくつかの映画やドラマに主役として出演した。
いくつかはヒットして、またいくつかは共演者の起こしたスキャンダルによって公開や放送が中止になったりした。
これは彼女のせいではない。が、どういう理由にせよ、中止は中止だ。1つの映画を撮っている間に、別の女優がお茶の間にあがるし、世間の関心はそちらに移る。
年単位の時間が経過して、更科和美は主役から準主役になり、舞台の仕事が多くなった。
25歳で、彼女は演技の勉強という名目で海外に留学。
2年後に帰国し、準主役に抜擢された映画で助演女優賞を獲得した。
化粧品会社のCMにも起用が決まり、演技派女優として人気が回復されたかと思われた矢先……。
薬物事件で逮捕された。
更科和子は冤罪を主張したが、押収が自宅だったこと、尿検査で陽性反応が出たことを受けて、有罪の判決が出た。執行猶予3年・懲役1年6ヶ月。
所属会社は当時27歳だった彼女を解雇。フリーになった更科和美を世間的なバッシングから守る存在はなかった。むしろ守ると見せかけて詐欺のカモにした不届き者もいた。
そこに、CMスポンサーだった各社から出された違約金の請求が、容赦なくのしかかってきて、主演女優時代からの貯蓄は露と消え、更科和美は莫大な負債を抱えることとなった。
これは分かりやすい見せしめだ。善を勧めて悪を懲らしめる。罪を犯した人間は裁かれねばならない、と少なくとも世の中では信じられているし、行動のラインを超えた者をクリーンな業界は排斥する。
分別とも言える。世間というものは、破滅的な欲望を捨てられない人間を分別することで、自浄作用を錯覚する。誰かを非難することと、自分が正しいということは、全く違うのに。
けれど、それが芸能界というものだ。とても綺麗にパッケージングされていて、しかも甘やかな毒に満ちている。
「自己責任だな」
つぶやいてから、飲みさしのペリエの残りを一気にあおる。
ちょっとむせながら、空のボトルの首をつまむ。イケアのダストボックスに捨てるべく、ボックスの底部からはみ出たペダルを踏む。
咳なのかげっぷなのか分からない何かが出て来る口元をハンカチでおさえながら、上体を気だるく傾ける。そうして、かぱりと開かれた口にボトルをゆっくりとさし入れる。
靴底をペダルから離す。
ダストボックスは乾いた音を立てて、その口を閉じる。
こうしてペットボトルは放棄され、僕の視界から消えた。
正常な手続きを経て購入され、内容物が浪費され、ちゃんとしかるべき箱に収まったそれに意味が与えられることは、もうない。
でも僕は今晩、ペットボトルの夢を見るかもしれない。つまんだボトルの首が更科和美に変化しているとか、そんな種類の悪夢だ。