80粒目『ablution:沐浴、宗教的洗浄、入浴、入浴施設』爆パイ桜沢先生②
『ablution』
―沐浴。沐浴、宗教的洗浄、入浴、入浴施設。
古フランス語のablutionすすぐ、禊、から。
また、ラテン語のablūtiōも関係がある。
ablūtiōはabluereが変化したもの。
abluereは、ab離す+lavāre洗う、の意味。
洗って汚れを分離する、清める、となった。ラテンなのにインダス川っぽい意味の言葉。―
「会長殿下がお呼びだ。砌博文」
「拒否する。僕は忙しい」
実際忙しかった。作業には集中が必要で、しかも佳境に達しつつあった。
ここを間違えると全体の修正が必要となる。
システィーナ礼拝堂の天井に筆を当てたミケランジェロも、こういう気持ちだったのだろうか。
いや、違うな。今、この瞬間、僕はミケランジェロだ。
黒板いっぱいに広がる桜沢先生。ルネサンス的な黄金比率を無視して、あえて魚眼レンズ的な縮尺の歪みを採用することで、強調されるおっぱい。もちろん手ブラだ。
秘めるこそ華なりの極致が手ブラだと、僕は信じている。でも、信仰に近いこの想いは、桜沢先生の横顔や、ひそめられた眉、結ばれながらも微妙に歪んだ口元を3分で描いた手際を鈍らせる。
ミケランジェロも、強すぎる情熱に筆が先走ったことがあったんだろう。
でも彼は勝ったし、勝ち続けた。そしてヨーロッパの芸術を復興させ、システィーナ礼拝堂の礼拝堂に天国を現出させた。
時も場所も隔絶した現在、日本はN学園中等部2年A組の放課後の黒板に、僕は桜沢先生のおっぱいを顕現させつつある。
魚眼レンズ的に歪む背景には落ち葉。落ち葉から隆起する木の根はもちろん隠喩だが、しかし何の隠喩なのかはさすがに言えない。あえてぼかすなら、情熱。
僕は、桜沢先生の表情が一番はやく描けたことを誇りに思う。恥じらいの苦悶、まあこれは僕が彼女を困らせてばかりいるからだけど、目に焼き付けているからだな。観察力の勝利ともいう。
そして、この指の先を、丸みを描けば完成なのだけど、手というのは難しいと題材だと思う。
人間の表情や画風を完璧にトレースするAIが、手だかどろどろに溶かしたり、7本や8本指にしてしまうのは、結局手が難しいからだろうな。
でも難しいからこそ、描き甲斐があるし、手ブラなら尚更……。
「ぐふ」
「ふざけるのは人格だけにしろ。砌博文」
人格否定。駄目。絶対。いや、暴力も反対。
と言いたかったけれど、でも僕は無言だった。
黒板に腕を上げていたせいで、がら空きだった脇腹に拳は容赦なく突き刺さり、体はくの字にちょっとだけ曲がったけど、チョークをつまむ指をぶれさせることはなかった。
根性。集中。そして、愛。
たかだか生徒会は書記風情の御園清香には、分からんのだろうな。この愛を。
そうして、僕は手ブラを描ききった。
権力にも暴力にも屈することなく、完成させた桜沢先生。題材は、そうだな。
『転生したらエデンの園でアダムに押し倒されていた桜沢先生』
うん。完璧だ。エデンの園なら花が咲いててもいいし、鳥や蝶も飛んでてもいいけれど、桜沢先生の手ブラはそこいら辺を補って余りあるほど神々しい。
見上げているだけで、心が洗われる。宗教的洗浄、洗礼を受ける人がこんな気持ちなのかどうかは知らないけど、でもとにかく僕は誇らしい気持ちでいっぱいだ。
「うぐふっ」
「気持ち悪いっ!!! 気持ち悪い落書きで鼻の下を伸ばす貴様は気持ち悪いぞ!!! 砌博文!!!! 貴様という男はどこまで下衆なのだ……!!!!!」
一説によると、御園清香の実家スポーツジムで、空手教室も経営しているらしい。
だからなのか、繰り出してくる拳もシャープで、迷いがなくしかも正確に急所を打ちぬいてくる。
今回はみぞおちにフックパンチ。
耐えきれずに膝から倒れて悶絶する僕を、御園清香の上靴の白い踵が、がしがしと踏みつけてくる。
弾みでスカートはひるがえり続ける。でもスパッツが黒いだけでパンツは見えない。
当たり前か。ラノベの世界なら見えるんだけどな。あれは甘く美しい幻想の世界なんだな。
ま、生徒会書記風情のパンツなんかには、僕はそもそも興味はないから、問題ないけど。
僕が愛するのは桜沢先生のおっぱいである。
今度は、銭湯の風呂椅子に座って、両手で風呂桶を肩の上に掲げる桜沢先生でも描こうかな。
構図は正面じゃなくて斜め後ろからが良いな。横乳もまた浪漫。
「気持ち悪いぞ砌博文!!! にやけて鼻血を流す貴様は、限りなく気持ち悪いぞ砌博文……!!!!」
御園清香の暴力は止まらない。でも僕はこの愚物を許している。
僕の心は、桜沢先生・My・Loveでそれどころではない。