62粒目『abiding:長続きする、永久的な』クフの叙事詩③
『abiding』
―長続きする、永久的な。居住する、順守する、耐えるの意味の動詞、abideにingがついたもの。語源的には、とにかくその状態に留まり続けるという意味。―
「ですから、私は神なのです」
「いや、だから分からん。俺は神ってのを見たことも聞いたこともないし、そもそもあんたが神ってことが、俺とあんたの間に何の関係があるのかさっぱり分からん」
「殺しましょう。この無礼者を」
「やめなさい。貴方は黙っていて。何も聞かないで。見ないで。宇宙の果てについて考えていなさい。私が良いというまで」
「はい」
女神の命令を、魔神は了承した。溶岩を照り返す金剛の肉体は片膝をつき、上体は前のめりになり、うつむく額を巨腕が支える。瞼は閉じられ、2つの耳から煙が上がっている。
そんな彼を一瞥し、女神はため息をついた。
何をどう説明すれば、この人間は分かってくれるのだろう。そもそも何故、火山に人間がいるのだろう。
悠久のまどろみ、永久の安楽は、この場所で眠りについた時に、約束されたのではなかったのか。
しかし、頭が痛い。
右の頭頂部を手のひらでさすると、こぶができていた。何かが落ちてきた。とても硬い物体。
それはおそらく……。
女神は視線を目の前の男に据えた。
「貴方は上から落ちてきたのですか」
「ああ。羽根の虎をさ。狩りたくなったんだ。虎は夜に女を食うからな。だから俺は女のかっこうしたんだ。で、襲ってきたからさ。襲い返してやった。こう、喉を突きながら羽根に回ってさ。頭落としてやったんだがよお。全然羽根は元気なんだなあ。あれは虎じゃなくて亀だよなあ。亀は首落としても動くもんなあ。で、めちゃくちゃ暴れてよお。振り落とされちまったんだなあ。で、気が付けばここにいた」
男は朗朗と語った。溶岩の泡が弾ける音ばかりを、永久にきいていくものだとばかり思っていた女神には、その声は新鮮で、しかし釈然としないものがあった。
「貴方はとても健やかで、なんというか呑気ですね。とても、私の涙から生まれた民族だとは思えません」
「俺にはちゃんと母ちゃんがいるぞ。親父もいる。それに、あんた、俺と似てねえじゃねえか。虎みてえな羽根が6枚もあるし、足だって4本だろ。肌だって炎みてえにキラキラしてら」
「私は神ですからね。神は人間を世界に権限させ、そして人を超越するものなのです。私の手は伸ばせば月に届きますし、この火山も、寝床として私が作りました。ただ、そうですね。神は人の前には現れませんね。信仰が育ちませんから。秘密にこそ人は惹かれ、想いを強くするのだと、聞かされたことがあります。想いは神を仰ぐ信心となり、空間を超えて神に届き、強大にします。そうして、神は恵と禍をもって、人間を導くのですよ」
神としての在り方を説くうちに、女神の声は熱を帯びた。息は銀を帯び、瞳は虹色に輝く。
そんな女神に、男は目をすがめた。
「聴いたことねえなあ。だってさ。俺の母さんも親父も、神なんて知らねえもん。知ってたら、もっと違う言い方するだろ。そんなことしたら神から禍が来るぞ、とかさ。こうした方が神から恵がもらえるよ、とかさ。まったく聞いたことねえぞ。俺」
「それは……」
女神は言葉に詰まった。
そもそも、神性に嫌悪を覚えて、こんなところまで逃げてきたのだ。
そして、長い眠りについた。つまり、女神は自身の怠惰を自覚したのである。
「でも! ですね。平和でしょう? 私がいるから、貴方たちは平和を享受しているのですよ。本当は滅多にないのです。平和が長続きすることなんて」
言いながら、女神の胸は痛み、涙は頬を伝ったが、地面に落ちる前に蒸発した。
危なかった。また1つ、別の民族が生まれるところだった。2つの民族がこの狭い土地に閉じ込められたら、間違いなく戦争が起きる。それが嫌でここまで逃げてきたのに。
平和。遠い昔の日々。父と母と兄弟たちが笑い合っていた頃。荒沼。
悲哀が女神の喉を震わせ、やがて、彼女はわんわんと泣きだした。が、魔神は銅像のように動かない。
彼は女神の言いつけどおり、宇宙の果てについて考えている。
だから、女神の号泣に、あわてたのは男だけだった。
「泣かんでくれろ。綺麗な顔で泣かれたら、悲しくなる。分かったからよ。あんたは神だ。それでいいだろ」
この言葉に女神は、きょとんとして、男を見た。自然と泣き声も止んだ。
「綺麗な顔、ですか?」
「そりゃあそうだ。あんたみたいな別嬪、見た事ねえよ」
「人の子よ。貴方は、名前をなんというのですか」
「ボゴだ。俺の名前はボゴ。あんたは?」