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55粒目『Abeta:ベータアミロイド』和田ちゃんと歌う犬

『Abeta』

―ベータアミロイド。Aがアミロイドでbetaがベータ。

加齢と共に脳に蓄積し、認知症の原因となる。―


 歌を歌う種類の犬がいると聞かされたのは28歳のときで、スマホの画面越しだった。

 それまで、犬と言えば吠えるもので、猫と言えば鳴くもので、鳥と言えばさえずるものだと思っていたから、僕は画面の向こうの和田ちゃんに向かって、笑ってしまった。

「大解釈的に鳥は歌うってことにしてもいいけど、さすがに歌は歌わないんじゃないかな」

「うわあ。ショックです」

「和田ちゃんって騙されやすいって言われない?」

「どうかなあ。でもほいほいついてったら駄目って言われたことはありますね」

「あー。俺も真に受けるタイプだから分かるよ。それ」

 銀行勤めだった時のトラウマを思い出す。

 取引先の話を真に受けて、課長を説得して融資をしたら、倒産して夜逃げされた。

 焦げ付いた債権だけが残って、決済印を押したのは課長だけど、説得したのは僕だったものだから、数千万単位の大損にいたたまれなくなって、結局退職した。

 それから1年以上ニートをしていたけれど、そろそろ再就職に向けて腰を上げないとな、と危機を感じつつ、でも履歴書を書きたくない、という薄弱した意志。

 勤めていた頃は朝早くに起きて夜遅くに帰宅するのがざらで、大体は上司や先輩との付き合いだったんだけど、ニートになってからは夕方に起きて朝に寝る生活が続いていた。

 けど、起床時間を昼前に戻せたのは、和田ちゃんのおかげである。


 この、性別も年齢も住所も不明の和田ちゃんは、MMOの住人。

 無料をうたっている割りに、射幸性のやたらと高いくじ引きイベントを連発する、そのスマホゲームは売上ランキングも日本では上位に入る、つまり人気ということで、日本の未来はどうなるんだろう。

 僕はログインだけをし、行き交うアバターたちの流れを眺をひたすら眺めて、中の人たちに思いをはせる。派手な見た目をしているのは、イベント専用装備で、いわゆる廃課金。夜中に多い。逆に昼間は期間イベントの無料配布アバターが多数派を占める。


 和田ちゃんは、どちらかと言えば、後者だった。

 装備は初期のもの。ストーリーもまったく進めていないのか、レベルは1のまま。

 そうして、街の(すみ)の運河のほとりで、ぼおっと遠くの城を眺めている。

 僕はそんな和田ちゃんに、いつだったのかは覚えてない。

 何かの拍子で昼前に起きて、ログインをした。たまにはMMOの街を歩くのも良いかなと、運河の周辺を歩いた。

 初期装備で座っている人がいた。


 多分、こんな感じだったと思う。しばらく日がたって、また昼前にログインすると、やはり運河に和田ちゃんはいた。NPCかなと思ったけれど、頭上の表示はプレイヤーの青色で、つまり、和田ちゃんは座るのが趣味の人なのだ、と結論づけた。

 何となく隣に座るようになった。


「今日は人が多いですね」

 和田ちゃんの方から話かけてきた時、僕は、あたりさわりのない返事をしたのだと思う。

 次の日から、僕は昼前に起きるようになり、ログインの目的が、人を眺めることから、和田ちゃんの隣に座ることに変わった。


 夏と秋が過ぎて冬が来て、リアルの世の中と同じように、MMOの街もクリスマスの装飾に埋め尽くされた。そんな時に、和田ちゃんは歌う犬の話をしてきた。

「この犬は歌うんだよ、ってプレゼントされたんです」

「へえ。で、歌うの?」

「いいえ。でも可愛いんですけどね。人懐っこいし。じゃれてくるし」

「そうかあ」

「もしかしたら、私の接し方が悪いのかな、なんて」

「いや。犬は歌わないから。和田ちゃんは悪くないと思うよ」

 散歩だってちゃんとしてるんでしょ、と打とうとしたら、姿が薄れた。時計を見ると正午をさしている。和田ちゃんは、いつも12:00きっかりにログアウトする。さよならの言葉も言わない。

 そもそも、まあこれはMMOにありがちだけど、プライベートは一切話さない。

 それで良いと、僕は思っていた。それに、年が明けたら、本当に就職活動をしないといけない。

 つまり、MMOにログインする時間で、履歴書を書かないといけないのだ。


「来れなくなりそうです。というより、私、今日が最後なんです。こういうことができるの」

「あ、俺もだよ。そろそろ就職活動しないといけなくて。ログインできなくなるかなって」

「そうですか。あの。それでですね。お願いがあるんですけど。犬を預かってほしいんです。貴方にしかたのめなくて」

「犬って、例の歌うやつ?」

「歌わせてあげたいんですけどね。私には無理で。それで、とにかく住所を言いますね」

「和田ちゃん。それは駄目だよ。強制ログアウト、下手するとバンされるよ」

 僕は止めたが、和田ちゃんは住所を告げてきた。そして、さようなら、と言って、透明になり、消える。フレンドリストを見ると、名前がない。バンをされたのか。しかし住所は知ってしまった。


 正月が明けた。迷った末、僕は和田ちゃんが教えてくれた住所を訪ねることにした。

 僕のアパートから意外と近い、運河の有名な街で、だから毎日運河ばかり見ていたのか、と思った。

 

 その家は坂の上にあり、3階建ての上に敷地もずいぶんと広く、僕の背の高さの、水松の生垣にこんもりと積もった雪が道路に白くはみ出していた。その上、雪の道はゆっくりと出ては入る男性たちの靴に踏み固められていて、しかもどの男性も黒の喪服に身を包んでおり、霊きゅう車が門前に止まっていた。


 とても訪問といった雰囲気ではない。しかし表札は和田と書いてある。メモに書き留めたそれと住所は一致している。迷い立ちすくむ僕に、玄関付近で挨拶をしていた女性が気づき、近づいてきた。


 いくつかの質問をされ、正直に答えると、ハンカチを取り出され、雪の中で泣かれた。

 香水の匂いが、冷え切った大気に凍っていく。僕はこの時点で、何となく覚悟をした。

 この家の奥の棺に納められているのが、和田ちゃんなんだろう。

 もう、こういうことができなくなる、というのは、つまり病状が悪くなり死期を察したのだろう。

「おばあ様が、お世話になりました……」

 

 おばあ様。そうか。和田ちゃんはおばあさんだったのか。

 そうか……。


 焼香をして、和田ちゃんの遺品、歌う犬を受け取り、僕は帰路についた。

 犬はロボット犬で、電池が切れて沈黙していた。

 駅での電車待ちの間に、飲食店に入って定食を頼む。

 待つ間に新聞を読んだ。店においてあったそれは昨日付けで、訃報欄に、和田ちゃんの名前があった。

 不動産会社の会長をしていた資産家で、アルツハイマーの治療薬の治験に協力をしていた。

 治療薬はベータアミロイドを不活性化するだけでなく、アミロイドの毒素で傷んだ神経細胞も活性化させる、という画期的なものだった。が、効果が顕著な分、副作用が強烈で、投薬を繰り返しているうちに、効きにくくなるという、新薬にありがちなパターンをたどる代物で、結局……。

 和田ちゃんは、服薬量を間違えて、亡くなったらしい。


 店を出てから、僕は駅に戻る代わりに、運河に向かった。

 考えることが多すぎた。

『今日が最後なんです。こういうことができるの』

 という言葉。多分、あの日のずっと前に、限界がきていたのだろう。

 副作用を耐えながら、ログインをしていたのだろう。

 誰かに、このロボット犬の歌わせ方を、ききたかったのかもしれない。

 新薬の効果が出ている時間に、スマホに触り、MMOにログインをした。効果が切れる時間にログアウト。

 それを繰り返す日々の果てに、僕と出会い、会話をするようになり、犬のことを託した。

 なら、副作用なんかで寿命を縮めないで、周りの人に、歌わせ方を、きけば良かったのに。

 いや、きくことすらできなかったのか。認知症は、もうろうとする、という話をきいたことがある。

 感情はあるけれど、思考がつながらない。夢うつつ。たまにチャンネルが通じて、本来のその人が浮上する。

 僕がMMOで接した和田ちゃんは、本来の和田ちゃんに限りなく近い、和田ちゃんだったのだろう。


 冬の運河は鉛色で、その上に雪がちらついている。綿毛のようなそれに、指を伸ばしてもつまむことはできない。雪の切片たち一つ一つが、MMOで行き交う魂たちのように思えてしまい、だからなのか、ひどく寂しい気持ちがこみ上げてきた。鼻の付け根が熱くなるのを感じつつ、僕は胸に抱えた袋に収納されたロボット犬の頭を撫でた。


 春がきて、僕は5番目に面接を受けた会社に就職をした。MMOにログインはしていない。

 忙しすぎる。朝、早く起きて、出社し、仕事をひたすらこなし、へとへとになって、夜中に帰宅する。

 ネクタイを解いて、それから、ロボット犬を抱き上げる。修理が済んだロボット犬は、僕に尻尾を振りながら、懐かしい童謡を歌う。

 そのロボット犬の歌声に耳を傾けながら、和田ちゃんとの日々に、昼前の時間たちに、僕は毎晩思いをはせる。

以下、個人的なメッセージです。


遥さんへ。

善意のわだち、感想ありがとうございます^^

好評で良かった。悲惨な現実の中で、善意が作るわだちのようなものを描きたかったので……。

ショーシャンクの空、俺も好きです。主人公はホテル・ルワンダがかなり入ってますが。

というか、ショーシャンクのラスト、本当に良いですよね。

そしてルイボスティー。どんぴしゃっす。そう。ルイボスティーです。あのハーブティー。

嬉しいなあ。俺もよく飲みます。

今回の話は、時間限定で認知症から回復する話って決めていて、でもそれ以外は全然決めてなくて、うーん、という感じでした。

殺人事件の犯人が飲んでいたとか、そんなどんでん返し系のミステリー物にしようかなあ、と思ったんですが、ミステリーよりふんわりしたものを書きたいなあ、と思い、和田ちゃんの話になりました。

歌う犬がロボット犬というふんわりミスリードっす。

そして、できるだけ更新したいと思っているのですが、善性のわだちを書いた後、切り替えがうまくいかず、昨日更新するはずが今日、となり。台風って頭いたくなりますよね。

ということで、寝ます。あ、次回は異能バトルものの単話です。

ではでは。おやすみなさい。


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