45粒目『Aberdeen:スコットランド東岸の港湾都市』ちゃたすま①
『Aberdeen』
― アバーディーン。
スコットランド東岸の港湾都市。工業都市でもある。
語源はインド語で、bherは運ぶ、eenは織物。つまり織物を運ぶ町という意味。初めは、川の交わる場所、Aberdonとも呼ばれていた。―
特別な日になるはずだった。
米志津茶太郎は、計画を思い立った半年前のその日を思い出す。
朝焼けの赤がどろりとして不吉な朝だった。国産のハーブティーをゆっくりと淹れて、うっ血したような空を眺めた。今日は雨になる。十和田柚津子は傘を持っているだろうか。
35歳の柚津子は茶太郎の1歳年下で、イベント会社で演歌歌手のツアーを担当していた。
人生の悲哀を歌うことを生業にしているものたちは、人格者が2割、ボス猿気質が3割、社会不適合者が6割と、以前柚津子は茶太郎に語ったことがある。
「計算合わなくね? 11割になるけど」
「細かいなあ。ちゃーたんは」
ころころと笑う柚津子。セミロングをショートボブにしたせいか、丸かった顔がさらに丸くなっていた。が、茶太郎は柚津子の丸顔が嫌ではない。痩せてかりかりとしていた頃の柚津子に比べれば、明らかに包容と安心を感じる。
「細かいとかじゃねえよ。そんなんだからボス猿どもに舐められるんじゃね?」
「うわっ。厳しい。今日のちゃーたん厳しい」
柚津子は茶太郎に抱き着き、脇をくすぐってきた。布団が微妙な形のしわを作るベッドの上だった。その後の会話を、半年前、朝焼けを見つめた時の茶太郎は覚えてはいなかった。
けれど、壁のカレンダーにちらりと目をやって、安全日の確認をしたのは確実に覚えていた。7年間の同棲の中で、すっかりと根付いた習慣。それが、安全日の確認だった。
「でも、35だもんなあ。あいつ」
紅茶のカップに淹れたハーブティーをすすりながら、半年前のその日、茶太郎は朝焼けに目を細めた。
言及は避けてきたが、結婚をする頃合いなのかもしれない、と茶太郎は思う。
両親は孫を見たがっているし、車両保険も安くなるはずだ。年金その他の優遇も受けやすくなる。
何より、茶太郎はあまりちゃんと話したことがないが、柚津子は子どもが好きだ。
妊娠を望んでいてもおかしくはない。
「……するか」
結婚。さようなら、独身。可処分所得。趣味の古物集めも卒業だ。
専用ガレージも解約して、学資保険の検討に入るべきだ。
ペルシャは白羊朝の壺。ブルゴーニュ地方の石板。イギリスはエーヴベリーの石の指輪。等々。
全部古物商の友人に売ってしまおう。結婚もだしにして、なるたけ高値で買い取ってもらおう。
結納金と結婚式の費用はここから出そう。式場は……。
茶太郎は2杯目をカップに注ぐ。上の空なので、カップからあふれるが、気にしない。
人生の節目において、些末なことに執着はしない。これが茶太郎の信条である。
……いや、式場よりも、まずは上司への報告だな。安い式場を紹介してくれるかもしれない。あの人、人脈広いからな。仲人もやってくれるだろう。大学の恩師にも連絡をしないとな。縁談を何度もくれて、そのたびに断ったからな。柚津子と挨拶にいくか。
等々、ひたすら思考を巡らせたあの朝から、早半年。
茶太郎は婚約指輪の購入も済ませたし、プロポーズのレストランも予約をした。購入する新車、大家族用、と車両保険の選定も終えた。年貢の納め時ということで、花崗岩の仮面も奮発して買った。これは古代スコットランドで作られたもので、人身御供の儀式の時に使用されたといういわくつきだが、茶太郎はこの種のオカルトに浸る傾向があり、しかも柚津子に自慢しても気味悪がられるが常だった。
プロポーズの席でこの仮面をかぶろう、と茶太郎は決めていた。これをかぶるのはこれが最後だよ、と言って、指輪を取り出し、これからは家庭を優先する、と微笑んで、柚津子を感激させるのだ。
想像するだけで、茶太郎の口はやに下がった。
ちなみに柚津子は3か月前から、新人演歌歌手の海外ツアーに出ていた。
デビュー曲がたまたまUKのインフルエンサーの目に留まっただけで、あの子のビルボード入りは運だよ。運しかないよ。それでも凄いし奇跡だけど、深みがないんだよね。綺麗だけど、綺麗ってだけ。あたしがあの子の10年後を考えるなら、ハードロックに飛び込ませるな。デスボイス覚えさせたい。綺麗で透明だった声をね、ざらっざらにさせて、デスボイスで演歌歌うの。老人クラブで長唄歌ってるばあちゃんたちに孫扱いされるアイドル演歌じゃなくてね、本物のデスボイスで、しかも演歌で、韓流から若い子を奪い返すのよ。わくわくする。まあ、夢物語だけどね。そうだなあ。確かにあの子はてんで駄目だけど、ちゃっとわくわくさせる才能があるかなあ。え? 何むっとしてんの? やだなあ。20になったばっかの子供だよ。3年前まで高校生だよ。野球部だって。野球部声出し基本だもんね。ちゃーたんは? あ、考古学研究会だっけ。うん。かっこいいなあ。やっぱりあたしがきゅうっとくるのは、知的なかっこよさなんだよね。
一週間前の帰国予定日。柚津子は成田のゲートから現れず。つまり帰国せず。
メールの返事はなく。レストランの予約の兼ね合いもあって、茶太郎は怒涛のメールを柚津子に送付したし、一日10回は国際電話を試みたが、音信は普通だった。
そして今日。柚津子から葉書が届いた。
写真がプリントされていた。ウエディングドレス姿の柚津子。丸顔。シロツメクサの髪留め。水遊びではしゃぐ子どものような、笑顔。
柚津子を腕に抱えているのは、新人歌手の若造だった。白のタキシードの足元に、
『結婚します。茶太郎さん。ごめんね。あたしは幸せになるから、あなたもあなたで幸せになってください』
とのメッセージがあった。
茶太郎は端から端まで一文字一文字を、目で丹念になぞり、くるりと葉書を返して、消印を確認。
Uk。つまりユナイテッドキングダム。イギリスはスコットランド。アバーディーンという街の郵便局から送られてきたこの葉書に……。
茶太郎は衝動を覚えた。やぶきたい。びりびりに、叶うならば原子レベルにまで裂いて裂いて裂きたい。それで、全部が終わる。7年間のけりがつく。けど、それで良いのか……?
「良くない」
茶太郎は独り言ち、パソコンを立ち上げた。
航空便のチケットサイトを検索。そのままスコットランド行きの便を予約。
会社に連絡を入れ、体調不良を連絡。長引きそうだから、と、新婚旅行用に申請していた有給休暇の期日を速めてもらう。週末の連休も合わせれば、10日間は自由になる。
「絶対に、良くない」
茶太郎はもう一度、彼自身に言い聞かせる。それから時計を見て、アバーディーンという街に思いをはせながら、結婚を決意した朝と同様に、ハーブティーを淹れる。
そうして、紅茶のカップに口をつけた茶太郎は、えっ、と顔をしかめた。ハーブは苦くなっていた。
苦いというよりも、異様な味がした。カビているのかもしれない。紅茶のカップは同じなのに。
茶太郎は、まじまじとカップの中身を覗き込んで、
「はやいなあ。駄目になるの」
と、力なくつぶやいた。
以下、個人的なメッセージです。
遥さんへ。
お体の調子はいかがでしょうか。と、まず一番気になることをききつつも、返事はご無理なさらないでください。
俺もワクチンで頭に霧がかかりましたからね。流行り病はもっとかかるのでしょう。
そんな中、お返事ありがとうございました。
はやく遥さんにメッセージをしたくて、でも新しい書き方が中々うまくいかなくて……。
何とか書きましたが、うーん。うーん、という感じです。
で、ですね。勝手ながらお願いがあります。
遥さんには、俺のことばの砂を、読み続けてほしい。一か月、三か月、半年、または何年か先に読書から離れることがあっても、また何かを読みたいなと思ったら、ことばの砂を読んでほしいです。
俺は頭に霧がかかっている状態なので、病気も進行していくし、文章作成能力も落ちていくし、クォリティだって、今は喜んでいただけていても、放物線的な下がり方で、落ちていくでしょう。
実際、それがいやで書けない、という現状があるのです。元気だった頃の自分と比べてしまう。そして書かなくなる。ますます書けなくなり、質も落ちる。
でもね。どんなにダメダメになっても、読んでくださる方が1人でもいてくれれば、書けるんですよ。
苦戦はしたけど、これ書けましたからね。内容は、まあ、うん。でもとにかく書けました。
待っていて下さる、遥さんのおかげです。ありがとうございます。
で、それから……。
おしゃれについて。これは、俺という45歳独身男性、基本スキンヘッド、ユニクロ愛好者のたわごととして聞いてほしいんですがね。
小学生用の二コラから、高校生用のセブンティーン、20代用のアンアンやJJ、三十代、ハイミセス御用達ファッション誌と、通しで読んできた結果。
どうやら子供は短いスカートとプリントシャツが基本。
そこからスカートが長くなっていって、フリルファッションが加わって、20代はフェミニン方向に傾いていきます。甘辛のバランスは上下で調整。
着たい服を着る。ただしその場合、アンバランスだったり、浮いたりするから、たとえば甘い色合いと長さのスカートなら、ブラウスの色は控えめにする。夏ならカーディガン、秋ならジャケットで調整。白は清潔だし、抜け感はモードっぽいけど、甘めなアクセとかワンポイントでバランス取れる。
みたいな感じです。大切なのはバランスで、でもこれマジで机上の空論だなあ、と思って、俺は動物園に行きましたよ。休日のですね。
北海道、あんまり雨降ってなかったんで。で、家族観察。お母さんたちはワイドパンツが多いなあ。つばひろの帽子。ななめがけのバッグ。上下で色あいの調整してます。
そしてカッポー。カッポウル。カップル。強調のために三回いいました。
スカートが多かったです。子供は短く、大学生なら足首くらい。ジーンズの人は裾を折っていました。
服はフリルの淡い、甘い暖色が多かったです。髪は長くても短くても、ひっつめてる人はそんないませんでした。
みんなどっかの芸能人みたいでした。というよりも、あれですね。自分と顔が同じ系統の、しかも好感度の持てる芸能人を選んで、その人ののってるファッション誌を買って、古着屋とか目抜き通りのおしゃれ店とかで、同系統の服をそろえているのでしょうね。
二階建ての白熊館の屋上の小さなスペースから、俺は半日くらい、ポカリスエットを片手に、彼女たちを眺めた結果、たどり着いた結論がこれでした。
スカートにスポーティな服装の方々もいましたが、薄いカーディガンを羽織って日焼け対策をしていました。
誰かに何かを語るには、机上の空論だけでは申し訳なくなるので、実地調査をしたくなります。そしてより理解が深まります。遥さんのお言葉がなければ、雑誌の山で済ましていたところでした。
うまく言えませんが、大きな学びになりました。
ありがとうございます。
次の更新は……。ええと。あの、ですね。できるだけはやくしたいと思います。
色々なものと葛藤しながら、文章を書いているので、こればっかりは、うん。
でも、ですね。あきらめと無力は、そりゃあこんな状態ですからないわけはないんですが、捨て鉢にはなっておりません。
そして、これは申し上げるかどうか、悩みますし、とても繊細な問題なのですがね。
とても。
とてもきつい喪失に遭った人がいるとするでしょう。
それはその人の世界の明度を下げてしまうと思うんです。
そして、喪失にかけがいはないのです。
俺はその喪失に何もできないのです。
けれど、世界は続いていくし、チョコレートは苦いけど甘いのです。
ココアでも、シナモンロールでもヨモギ餅でも良いです。
一瞬、ほっとする、意識を悲しみからそらせる何かが、世の中にはたくさんあります。
俺は、俺のことばの砂が、ですね、そんな嗜好品の一種になってくれれば、と心から思います。
そのために色々なパターンの文章を書くし、どれか一つがつぼに入ってくれれば僥倖ですし、その可能性が俺のモチベーションになります。
伝わってるかなあ。伝わってないかもなあ。とにかく、遥さんに楽しんで頂けるのが、特にモチベーションだったりします。救われてるってことです。ありがとうございます。
ではでは。そろそろお仕事に復帰はされたのかな?
大変でしょうけれど、無理なさらず、ご自愛くださいね。