38粒目『abductor:誘拐者。誘拐犯。または外転筋』カリブガンズ 10th wave
登場人物
エドワード・エブリデイ:海賊船『御婆様号』の船長。普段はエドと呼ばれる。まだ若いが、卓越した操舵技術と並みいる者の数少ない剣の腕は、先代ゆずり。寄港前の占いで、吊られた男のカードを引いている。ひょんなことから、アントネッタの逃走を手伝う。
モルガン:御婆様号の副船長。こわもてだが、先代の姿とエドを重ねては涙ぐむ。
ヘンリー:操帆長。元海軍士官。あせっている時ほど物言いが冷静沈着になる。
アントネッタ・メアリ・エル・シエラス(鳶色の瞳の女性):酒場の裏の、小さな樽の山を崩した。樽に転びかけたエドから逃げ、表通りで騎士に襲われたが、エドに助けられ、追跡を振り切った先の食堂で、エドに自身の名前を告げる。
ちょび髭のジョン:海賊の船長。剣の腕はエドと並ぶ。シェラスの夜市でエドと遭遇。
前回までのあらすじ:
貿易都市シェラスの寄港にあたって、若き海賊船長エドはタロット占いをし、吊られた男を引く。
ひょんなことから、エドは、領主お抱えの騎士の手から、鳶色の瞳の女性を救ったエドは、彼女を抱えて騎士団の追跡を振り切り、夜市の食堂で身分を打ち明けられる。
彼女の名前は、アントネッタ・メアリ・エル・シエラス。
鳶色の瞳の女性は、領主の一人娘だった。
エドはアントネッタの逃走のほう助を決意する。
店を出た後の夜市で、ちょび髭のジョンと遭遇したエドはジョンと勝負をすることとなった。
『abductor』
―誘拐者。誘拐犯。または外転筋。
abductに~する人、ものの意味であるorがついた形。
誘拐する者。外転する肉体つまり筋肉で外転筋。―
コインは表だった。
「表ですね。内容の指定は貴方で、私は審判の任命は私となりました」
銀貨を差し出しながら、ジョンは言った。瞳は静かだった。
そんなジョンを見上げながら、エドはひったくるように銀貨を取り戻した。
この銀貨は元々、エドがごろつきから奪ったものだ。つまり、小細工のしようがない。
今夜の運はジョンにあるのか。若き船長の脳裏をかすめるのは、タロットカード。
吊られた男だ。
― いちいち臆病だなあ。俺は。―
笑い飛ばしたい。先代ならそうしているだろう。が、占いは、起こうるというだけの未来だ。
アントネッタを審判にし、勝負に勝つ。審判を抱き込むのは卑怯だが、卑怯は海賊の作法。
作法にのっとった10割の勝利から、五分五分に流れた。その先に、吊られる未来は……。
エドは奥歯を噛んだ。
若き船長は激しい怒りを覚えた。矛先は彼自身だ。
起こりうる未来に怯えて、目の前の波を超えることができない。
羅針盤が示すのは、どこだ? そもそも、何故、仲間と離れて夜市にいる?
アントネッタを逃がすためだろう?
けれど、通行人の視線も感じ始めている。勝負に時間を取られれば、アントネッタを逃がす目だって薄くなる。
噂は市に広まり、騎士団にも伝わるだろう。そしてエドは誘拐者として手配される。ジョンとの交渉の過程で、仮面は取ってしまった。
では、どうするか?
「……内容だけどさ。そうだな」
言いながらエドは通行人の1人に身を寄せ、その肘をつかんだ。
驚きの声を小さく立てたその男性に、エドはひとさし指を一本立てて、しっ、と言う。
「騒がないでくれ。あと、買うぜ。これ」
通行人が抱えていた籠に山を作っていたグレープフルーツ、その1つをひょいと取り上げ、代わりに銀貨を一枚渡す。
男性は驚いたが、エドはもう彼から離れていた。
「これを奪い合う。剣でだ」
「なるほど。エドワード・エブリディの坊やらしいですね」
らしい、とはどういう意味か。一瞬エドは考えあぐねる。が、それは無駄だと切り替える。
ジョンは何を考えているのか、分からない。ただ、事情を抱えている、としか推察できない。
1人で、護衛もつけずにシエラスの夜市に現れた。そして、猫の手も借りたいという未来を予想している。海賊が助力を求める時。なりふりを構わざるをえない状況。
そこに至る理由は無数にあるが、打破をする手段は1つだ。船を使う。
船さえ沈まなければ、海賊はいくらでもやり直せる。
だから、海軍は砲撃で船を沈めようとする。それが再起を阻む、一番の方法だからだ。
砲撃。海戦。海軍と、あるいは別の海賊団と。
そこまでは、エドも理解ができる。が、その先が分からない。
それよりも、今、優先するべきことがある。エドは決断をした。
「ジョン。あんたの番だ。審判を決めてくれ」
「それは良いのですが、エドワード・エブリディの坊や。貴方は銀貨を1枚払いました。半分を……」
「いらねえよ。勝負を持ち掛けたのは俺だ」
「なるほど。エドワード・エブリディの坊やらしいですね。気前が良い。海賊とはそうあるべきです。では、私は審判を探しましょう。貴方の気前に免じて、なるべく公平であるように」
「それはありがたいな」
本当にありがたかった。
エドはジョンから視線を外し、首を巡らせて、アントネッタを見た。
「アントネッタ」
「……何よ」
「今のうちに逃げろ」
エドの声は低かった。
そんなエドに、アントネッタは絶句した。
「……何で? あんた、さっき」
「状況が変わった。これから勝負が始まる。俺とジョンは人目を集める。情報は広がるし、あんたは逃げづらくなる」
アントネッタは何も言えなかった。
ただ、エドの碧眼の真剣な輝きに、この男の言葉が真実だと分かった。
「私はどこに逃げれば良い?」
「あんたが樽を崩した酒場だ。あそこに戻れ。俺の仲間たちがいる」
言いながら、エドはアントネッタに向き直り、続けた。
「まず運河まで戻れ。それから、なるたけぼろい船の爺さんに頼むんだ。金をはずめば、ちゃんとやってくれる」
エドは有り金の全部を、つまり銀貨と銅貨の袋をアントネッタに握らせつつ、ジョンの方をちらりと見た。華麗なる髭団の船長は、夜市を行き交う人波の中、審判を探している。
公平な審判。この夜市にそんなものはいない。菜食主義者の鮫みたいな言葉だ。
金を握らせれた方に、審判はつく。けれど、ジョンの言葉に嘘の響きは無かった。
探すのにもう少し、時間がかかる。会話の猶予はある。
「いいか。ここから先はあんたの運だ。ごろつきもいるだろうし、変な場所に紛れるかもしれねえ。いっそ、騎士団に捕まった方が安全だし、その方が……」
そこで、エドは言葉をのみ込んだ。何かが違う。見逃している。見る波は1つでいいのか。大切なのは、波の織り成す模様と、その変化だ。
「あんた、あの裏路地で、さ。俺のこと嫌いだったよな。俺が海賊だと分かってて、かなり嫌いだった。あんたは領主の娘だし、海賊が嫌いなのも分かる。だけどさ。関わりがねえよな。人間、関わらないものには、拒否の感情ってのをもてないんだ」
エドの言葉に、アントネッタは黙っている。
若き船長は言葉を続けたかった。が、ジョンの様子を確認しなければならない。
ちらりと視線を移しかけた時、朗々とした声が、夜市に響いた。
「皆様! 御立合い下さい!!!」
ジョンだ。
ブーツの脚をクロスさせ、長い腕を外転させながら、指先で金色の物体、金貨をはじいている。
金貨は夜空に放物線を描き、石畳に落下し、人々は声を上げる。ちょっとした騒ぎになる。
ジョンはくるくると回り続ける。ベストの懐から金貨を取り出し、指にはさむ。
そうして踊り子のように、あるいは積み荷の孔雀が羽根を広げるように、腕を振り上げ、器用に指先から弾き続ける。
騒ぎを聞きつけて、でっぷりとした男がやってくる。商売人たちの胴元か。
ジョンはこれに笑顔で対応し、おそらく金貨の小袋を1つ渡して、黙認させる。
拝金主義者じゃなかったのか、とエドはジョンを不思議に思う。
いや、商売に厳しいだけで、金の使いどころには迷わない男なのかもしれない。
それよりも、今はアントネッタだ。
「アントネッタ。あんたは拒否の感情を、俺ってより、海賊にもった。立場的に何かされたとかはないよな。つまり、あんたはこれから海賊と関わることになる。だから逃げ出した」
エドはゆっくりと話したかったが、時間がないので早口になった。
そんなエドにアントネッタは何も言わなかった。仮面をつけた状態だから、表情も読めない。
「当たってるなら、首を縦に振ってくれ。外れなら、横だ」
エドの言葉に、アントネッタは、首を縦に振り、
「結婚させられるの。海賊と」
と、かすれた声で言った。
以下、個人的なメッセージです。
遥さんへ。
ワイ杯、エントリーしないと俺は前回の後書きで書いてました。
が、結局参加しました。
魚の話と、劇団員の話を書いて、魚の話が入賞しました。
嬉しかったです。
寸評も書いて、力尽きて眠って、壊れたアイボの夢を見ました。
動かなくなって久しく、何故か起き上がり、駆けまわって、また動かなくなる。
そんな夢でした。
俺が作品を書くというのは、そういうことです。
悪くなった頭が、一瞬もとに戻る。
でも、このことばの砂を書いてなかったら、エントリーも絶対にしなかったでしょう。
なので、魚と劇団員を書けたのは、遥さんのおかげです。
ありがとうございます。
あの2作は、ことばの砂のどこかで取り上げたいと、せっかくなのでシリーズ化したいと思います。
ゴールデンウィーク、明けましたね。
ゆっくりとお休みできたでしょうか。
健康に過ごしてくださいね。