37粒目『abduction:誘拐、拉致。または外転運動』カリブガンズ 9th wave
登場人物
エドワード・エブリデイ:海賊船『御婆様号』の船長。普段はエドと呼ばれる。まだ若いが、卓越した操舵技術と並みいる者の数少ない剣の腕は、先代ゆずり。寄港前の占いで、吊られた男のカードを引いている。ひょんなことから、アントネッタの逃走を手伝う。
モルガン:御婆様号の副船長。こわもてだが、先代の姿とエドを重ねては涙ぐむ。
ヘンリー:操帆長。元海軍士官。あせっている時ほど物言いが冷静沈着になる。
アントネッタ・メアリ・エル・シエラス(鳶色の瞳の女性):酒場の裏の、小さな樽の山を崩した。樽に転びかけたエドから逃げ、表通りで騎士に襲われたが、エドに助けられ、追跡を振り切った先の食堂で、エドに自身の名前を告げる。
ちょび髭のジョン:海賊船、華麗なる髭号の船長。剣の腕はエドと並ぶ。シェラスの夜市でエドと遭遇。
前回までのあらすじ:
貿易都市シェラスの寄港にあたって、若き海賊船長エドはタロット占いをし、吊られた男を引く。
ひょんなことから、エドは、領主お抱えの騎士の手から、鳶色の瞳の女性を救ったエドは、彼女を抱えて騎士団の追跡を振り切り、夜市の食堂で身分を打ち明けられる。
彼女の名前は、アントネッタ・メアリ・エル・シエラス。
鳶色の瞳の女性は、領主の一人娘だった。
エドはアントネッタの逃走のほう助を決意する。
店を出た後の夜市で、ちょび髭のジョンと遭遇したエドはジョンと勝負をすることとなった。
『abduction』
―誘拐、拉致。または外転運動。
abductに~することのionがついた単語。―
先代の背を見てきて良かった、とエドは感謝した。
エドを見据えるジョンは、英国紳士然としたすまし顔で、およそ海賊の粗暴さとはかけ離れていた。が、自分の船に乗れというこの男の声には説得力があった。
威圧でも強要でもない。
船乗りは、切れ目から雲を燃やす夕日や、沖に群れをなす海鳥の飛び方から、海、進路の状態を知る。
そこに駆け引きはない。海の女神の恣意はあるのかもしれない。
が、女神の領域に干渉できる人間などいないし、受け入れた上で知恵をしぼるのが船乗りというものだ。
ジョンの声は、エドの鼓膜には女神の託宣のように響いた。
甲板磨きから勉強しなおせ、という言葉に、エドは侮蔑も挑発も、感じることができなかった。
ただ、夕日に燃える雲や、海鳥の群れのような自然を感じた。
― でもさ……。―
燃える雲、群れをなす海鳥、どちらの情景にも、先代の姿があった。
巌のような後ろ姿は、エドの網膜に刻まれている。
永久に褪せることのない、先代の背を、エドは追い続ける。
その感情は、過ぎし日を想う郷愁ではない。
強く、烈しい覚悟だ。
エドは口を真一文字に結んで、笑顔を作った。
生きている蛙を無理やり飲み下すような音を、喉が立てた。
碧眼が潤んだが、宿す光には挑発があった。
「いいぜ。俺が負けたら、ちょび髭のジョン、あんたの船に乗ってやる」
「はい。まあ、歓迎しますよ。子猫の手ほどでも……」
ジョンはその先を言いかけて、ベストの肩をすくめ、
「まだ勝敗どころか、勝負をどうするかも決まってはいませんからね」
と続けた。
エドはうなずく。その碧眼はしっかりと、目の前の男にすえられている。
ただ、疑念が胸に渦巻く。それは夜市の石畳から、その闇から立ちのぼり、エドの足から背を這い上がる。この男は何かを言いかけた。
子猫の手ほどでも、の続き。普通なら『助かる』だ。
それは不自然。海賊が、猫の手も足りない状況で、船を離れる。
そうして、部下も連れずに陸を歩いている。
他の船長ならいざ知らず、ことジョンにおいては、ありえない状況だ。
じっとりとした熱帯の夜の大気を、すうっと冷たい風が一筋通り抜けた。
エドの髪は揺れた。
「そうだな。しかも審判すら決まってねえ」
「まったくです。どうですか。エドワード・エブリディの坊や。ここは1つ、コインで決めませんか。当てた方が勝負の内容を指定する」
「外れた方が、審判を指名する、か」
首を傾げて訊くエド。
ゆっくりと頷くジョン。
「はい。まあ、どのような勝負でも、負ける気がしませんがね。私は」
「奇遇だな。俺もだ」
応えながらエドは、目の前の男がつい先ほど発した言葉を思い出していた。
『卑怯は海賊の作法』
ジョンは何かを隠している。猫の手でも借りたい状況であるのに、夜市を部下も連れずに歩く。
これはありえない。ジョンはそういう男ではない。
つまり、まだその状況ではない。ちょび髭のジョンは、先を見据えて行動する男だ。
猫の手でも借りたい状況に備えるために、海賊の船長を勧誘した。
というよりもおそらく、声をかけてきた時点で、勝負を挑まれることも察していた。
ただし、事情は詮索されたくはない。
だから話をそらした。
勝負そのものを、相手の有利にすることで、意識を誘導する。
そう。この勝負は、勝負というよりも譲歩だ。
― コインを当てたら、俺は好きな勝負を選べる。外したら、アントネッタを審判にすればいい。―
アントネッタなら、絶対にジョンの勝ちにはしない。
そしてジョンは部下を連れていない。
つまりこれは、如何にコインを外すかというゲーム。
……と、錯覚させるのが、ジョンの手なのだ。
若き船長はため息をこらえた。
海でも陸でも、駆け引きは変わらない。
探られたくない事情が、この男にはあるが、それはエドも同じだ。
若き船長が、ジョンの視線からかばう女性。
彼女の名前は、アントネッタ・メアリ・エル・シエラス、領主の娘だ。
仮面の内側が判明した時点で、エドは誘拐の罪に問われる。
捕まれば、しばり首。
だからエドの脳裏にひらめくのは、タロットカードの吊られた男である。
その不吉で、どこか滑稽な絵柄が若き船長の胸に、深刻な影を落とす。
後ろめたいのはお互い様だな、とエドは苦笑をしかけてから、不思議な気持ちになった。
目の前の、ひょろりとした影のようにたたずむ男に抱く同情。
アントネッタにまつわる危機感、焦り。
タロットカードの不吉。
全部が混ざり合って、複雑になっている。が、エドは悪い気はしなかった。
というよりも、視野が開けたような、そんな気がした。
ひよっこから、大人になる、というのはこういう事なのかもしれない。
『複雑ってやつに耐える精神がな。若造を大人にするんだ』
先代の言葉を思い出しながら、エドは銀貨を一枚取り出した。
「ジョン。あんたの案に乗ってやるぜ。ただし、コインは俺のを使え」
「ふむ。なるほど。いかさま防止、ですね」
「そうだ。卑怯は海賊の作法だからな。作法に応えるのも作法だぜ」
「なるほど」
ジョンの視線は、銀貨をつまむ指先に注がれている。
表にしたり裏にしたり、月の位置を確かめるように夜空にかざしたりしている。
「……細工はないようですね」
「そんな余裕はねえよ。表だ」
「裏です」
そっ気のない声で宣言をして、ちょび髭のジョンはコインを胸の前で弾いた。
弾かれたコインは、一瞬ジョンの純白のネックチーフに円い影を落として、かがり火の灯りにきらめきながら高く飛び、半分の月に黒く重なった。
以下、個人的なメッセージです。
遥さんへ。
体調を崩していました。食あたりには気をつけないとです。
それはともかくとして、筆が本当に進みませんでした。
いや、先週が奇跡だったのかな。とにかく書いては直しの繰り返しで、沼にはまってました。
それでもワイ杯の前に一区切りつけたいと思い、頑張りましたが、無念。間に合いませんでした。
けれど1話仕上げることができたので、ちょっとほっとしています。
2時間睡眠。おそるべきことです。俺なら無理です。生命が滅んでいます。
遥さん、すごい。尊敬。でも、生きのびてくださいね。無理をするのが人生。でも最大限、いたわってほしいです。
それと、ギャグを書いたのは俺ではありませんが、拝読して、懐かしい気持ちになりました。
昔、俺も書いたなあ、とか。
思いつくままに書いて、ワイさんに50点とかもらったなあ、とか。
今となっては良い思い出です。
もしかしたら、ですが、ギャグを書かれた御仁と勘違いされたことを、気に病まれているのではないかと、少し心配しています。
ですので、速く書きたかったのですが、食あたりで……。
閑話休題。
とにかく、気にしなくていいですからね。
それよりも、良い作品をエントリーしてくださいね。
男と女というお題。
俺はすっからかんです。何にもうかびませぬ。
昔は30通り位、しゅわっと浮かんでたのに。まったく、頭が悪くなるというのは悲しいことですね。
でも、読むのも遅くなったけど、読むのは特に遥さんのは読めるので、楽しみにしています。
ゴールデンウィークは休みですか? 仕事ですか?
どちらでも、良い日々を送ってください。ではでは。
PS.カリブガンズは残り3話です。楽しんで頂けると狂喜乱舞です。