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34粒目『abdomina:腹部の、腹腔の』カリブガンズ 6th wave

 登場人物

 エドワード・エブリデイ:海賊船『御婆様号』の船長。普段はエドと呼ばれる。まだ若いが、卓越した操舵技術と並みいる者の数少ない剣の腕は、先代ゆずり。寄港前の占いで、吊られた男のカードを引いている。


 モルガン:御婆様号の副船長。こわもてだが、先代の姿とエドを重ねては涙ぐむ。


 ヘンリー:操帆長。元海軍士官。あせっている時ほど物言いが冷静沈着になる。


 アントネッタ・メアリ・エル・シエラス(鳶色の瞳の女性):酒場の裏の、小さな樽の山を崩した。樽に転びかけたエドから逃げ、表通りで騎士に襲われたが、エドに助けられ、追跡を振り切った先の食堂で、エドに自身の名前を告げる。


 前回までのあらすじ:

 貿易都市シェラスの寄港にあたって、若き海賊船長エドはタロット占いをし、吊られた男を引く。

 楽しみだなと笑うエドだったが、シェラスでの荷下ろしはすんなりと済み、慰労の酒宴が催された。

 エドはからみついてくる女たちに嫌気がさし、酒場の裏手に出ると、樽に転びかけた。

 樽の山を崩した犯人を追いかけることにしたエドは、鳶色の瞳の女性を見つけたが、逃げられた。

 表通りに出たエドは、領主お抱えの騎士が彼女を襲うのを目撃。

 体が勝手に動き、騎士に体技を仕掛けて気絶させる。

 我に返ったエドは、騎士団に喧嘩を売ってしまったと青くなったが、気が付けば鳶色の瞳の女性を肩に担ぎ上げ、逃げていた。

 崖から運河に飛びおりることで騎士団の追跡を振り切ったエドは、女性に服を買って夜市の食堂に入り、大海老を注文。食事の最中に、女性はエドに名前を告げた。

 アントネッタ・メアリ・エル・シエラス。

 鳶色の瞳の女性は、領主の一人娘だった。

『abdominal』

―腹部の、腹腔の。abdomenが変化したもの。―


「俺はサンディ・ネクスト・マンディ。サンディって呼んでくれ」

 エドはアントネッタに嘘をついた。

 居心地の悪い動悸を胸に覚えたエドだったが、それでも顔に出すまいと、テーブルの上で指をゆるく組み、口元に笑みをつくり、瞳を柔らかくした。

 厳しい時に厳しい顔をしてもつまらない、と若き船長は考える。そもそもいっぱしの海賊というのは笑ってこそ、だ。

 だからエドはこの状況を、凶暴に笑い飛ばしたかった。腹だって抱えても良かった。

 けれど優先順位というものがある。


 女中は黙っていてくれるだろう。アントネッタが名を明かした時点で、先客の商人たちが退店していたのも幸いだった。彼らがいた席には、むき身の大海老が半分残っている。光のない海老のつぶらな瞳と、食べかけの白い身には、腹部の殻がこびりついていて、その惨めさにエドは大破した船のような印象を抱き、悲しくなる。

 が、この店では普通のことだとも、若き船長は知っている。

 海老にありつきにくる者もいれば、取引をうまくまとめたい者たちもいる。食欲よりも商魂を優先させる男たちを、エドはどこかで尊敬していた。


 そもそも、陸で彼らが活動してくれないと、戦闘で奪った荷自体に意味がなくなってしまう。

 だから、若き船長は、少なくとも敵対しない限りは、商人たちへの敬意を忘れることはない。

 もちろん、この敬意は女中に対しても抱いている。


 海老を含めて、料理はどれも美味だったし、皿を落とした後でサービスしてくれたデザートは、エドの疲労を取ってくれた。ココナッツの蜂蜜漬けに、レモンを一絞りというデザートは、海上でも作れるものだろうか。モルガンに相談してみようかな、とエドは考えて楽しくなる。

 自然と、嘘をついたという事実、居心地の悪さも薄れた。


 それに、この嘘だってこの場をしのぐためには必要なものだ。

 サンディ・ネクスト・マンディの名前は、女中に聞かせるために、エドがとっさにひねり出したものだ。


 ……エドたちが店を去った後、彼女が誰に何をどう話すのか、というより話さざるを得なくなるのか。

 若き船長は分からない。逃亡奴隷程度なら、騎士団の追跡は運河の時点で終わっていただろう。 

 けれど、アントネッタは奴隷ではない。領主の娘、公女だ。

 追跡はされる。小舟の老人は今頃、捕縛されているかもしれない。

 老人だけではなく、今夜の運河に浮かぶ船を全部、騎士団は査問にかける。

 運河の航行権は領主により保障されている。裏を返せば、領主の胸三寸で、航行権は剥奪されるということだ。夜市の営業だって似たり寄ったりで、あの領主なら、娘の行方不明にいら立って、市の停止命令だって出しかねない。少なくとも、商人1人1人が拘束されて、詰問されることだろう。

 

 黒髪の、鳶色の瞳の女性を見なかったか。

 見たなら、どこに向かったか。連れ回す者はいたか。

 

 守秘義務を尊ぶこの店も、詰問にさらされるし、騎士団に夜市の作法は通じない。

 遅かれ早かれ、女中は降参するし、だからエドは、サンディ・ネクスト・マンディという偽名を口にした。月曜日の次の日曜日。即興にしては中々ふざけていて良い名前だと、エドは気に入り、何かの機会があったら、この名前を使おう、とも思う。

 

 そう。船長として海賊団を率いていくのならば、嘘だって使いこなさないといけない。

 これまでの生活では、嘘など無用だった。敵と海でぶつかれば、裏をかき合えばいい。

 海戦は堂々としたつぶし合いだ。結果の地獄絵図も、船員たちの嘔吐すらも、エドにとっては慣れ親しんだ光景である。

 船員たちには誠実に。ありのままに、笑い、ふざけ合う。悲しければ泣く。

 それだけで良かった。


 けれど、今夜は違う。そして、一度起きたことは何度でも起きる。

 期間はまちまちでも、修羅とはそういうものだと、エドは先代からたたき込まれていた。


 食事を終えて、エドは女中に礼を言い、あり金の残りを全部渡して、仮面を2つ譲ってもらった。

 店を出る時に、アントネッタと2人で装着。

 アントネッタはこの仮面に慣れず、そのため黒髪の後ろで紐がごちゃごちゃになり、かつゆるんでいた。


「その……」

「ん? 何だ?」

「さっきのように手伝ってくれないか? わたしは自分で、こういうものをつけた事がない」

 アントネッタの願いに、エドはなるほど、と納得した。

 公女は究極のお嬢さんだ。

 偉い人間というのは身の回りの世話を使用人に任せる。

 が、並みの貴族なら世話にも限度があるが、さすがは領主、シェラスの最高権力者の娘。

 際限がない。


 ― 寝たきり並みだなあ。―


 エドは、その昔、嵐で航路を外れた御婆様号で、古傷が膿み寝たきりになった船員たちの世話をしたことがある。そういえば、椅子だって引いてもらわないと座れなかった。

 貴族は貴族で大変なのかもしれない、とエドは思いながら、小さく肩をすくめた。


「さっきは人通り少なかっただろ? あんたにつけてやっても良かったんだ。けどここは夜市だし、事情も事情だからさ。不自然なことはしたくないんだ。で、夜市を歩く人間は、自分の仮面は自分でつける」

「そうなのか……」

 肩を落とすアントネッタに、エドは首をすくめた。

「すぐ捨てるから気にしないさ。ちょっと歩いたら、俺たちは路地裏に入る。夜市はさ。結構捨てられてるんだ。仮面。この街の土産みたいなもんだからな。できるだけぼろいのを拾うから、つける覚悟だけは決めといてくれ」

 

 目当ての路地裏が見えてきたので、エドはアントネッタの手を引いて、入った。

 男女が路地裏にしけこむ時、男が女の手を引く。

 これは夜市の作法だが、エドがこれを実践するのはこの夜が初めてで、そのことに気が付いて、若き船長の耳は熱くなった。

 

 が、それも一瞬の話で、すぐに視界を覆う闇に感覚が反応する。

 警戒。目をこらし、周囲を把握。不審者はいない。恋人たちの声が、ねっとりとした風に溶けて届くくらいだ。

 この声をエドは問題にしなかったが、アントネッタが握る手が硬くなった。

 緊張している。


「大丈夫さ。もうすぐ雲も出て、ここは明るくなる。その前に俺は仮面を探すし、あんたは隅でしゃがんでりゃいい」

 言いながら、エドは酒場の裏路地で転んだことを思い出した。

 それほど長い時間がたったわけではないのに、ずいぶんと前のような気がする。

 

 言葉の通りに、エドはアントネッタを路地の隅に座らせた。

 公女という立場に一応の気を使って、地面にはエドがつけていた仮面をしいた。


路地裏(ここ)を出たらさ、俺たちは夜市に完璧にまぎれる。色々珍しいものだって見れる。朝まで開いてるからな。で、歩きながら、あんたの事情を聞かせてくれ。その後、どう逃がすかを考える」

「……ありがとう。サンディ・ネクスト・マンディ」

「サンディでいいぜ」

 エドは闇の中で、寂しく笑った。


 - サンディって名前で呼ばれるのも悪くないな、いや、やっぱり俺はエドワード・エブリディだ。エドって紹介したいけどさ、やっぱり無理だよな……。―


 アントネッタに、嘘の訂正はできない。逃走は助ける。事情だって聴く。

 その後はこの女の運次第だ。捕まるかもしれないし、逃げおおせるかもしれない。

 問題は前者の場合。女中と同じように、彼女にその気がなくても、口を割る。

 その時にちゃんと、偽名を吐いてもらえるように、エドは嘘をつき続ける必要がある。


 ……という若き船長の予定は、

「おや、エドワード・エブリディの坊やじゃありませんか」

 という声と言葉のために、粉々に砕けた。


 路地裏を出てほんの3歩先、夜市の光と雑踏の中、その声の主、ちょび髭のジョンは立っていた。

 灯に伸びる影のような、細長いたたずまいだった。

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