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27粒目『abbreviatie:省略される』ゆっこ②

『abbreviate』


―省略される。


語源はラテン語の abbreviatio、短くすることから。bervが短い。abが離す。tioが動作。離して短くする動作、つまり省略。―


『世界中のloveSongは嘘っぱちだと思っていた俺は子供だったよ。君の存在が教えてくれたんだ。あらゆる恋の歌は俺たちの真実だって』


 最後の数字を記入。あせり過ぎてペン先が乱れたけど、読めなくもない。吉橋なら多めに見てくれるはずだ。


「はい。そこまで」

 吉橋の声が太く響いて、あたしは顔をあげる。吉橋は腕時計に視線を落としていた。


「先生」

 隣の席のゆっこが手を挙げた。

 先生、という言葉には尊敬がセットになっているはずだけど、ゆっこが先生と呼ぶ時の響きには、尊敬なんてこれっぽっちもない。

 ひたすらとことんこれでもかってくらい、低いテンションの声。顔だって答案用紙に伏せたままだ。けど、これはいつものことだから吉橋にも気にする感じはない。


「何だ。田中」

「習ってない問題がでました」

「応用問題だ。理解度を試したかったんだ。高校数学は8割が整頓作業だからな。複雑な問題をいかに単純化して整頓化するかという……」

 吉橋の説明は続く。ゆっこも机の上の答案用紙にうなだれ続ける。

 あたしは正直白けてしまって、急に教室を広く感じてしまう。


 2人から何となく視線をそらして、教壇の奥の黒板の上の時計を見上げたら、17時5分をさしていた。

 特別補習授業は17時15分までだから、あたしはあと10分、この戦場を我慢しなければならない。

 あ、戦場は大げさかな? 冷戦?

 反抗と拒絶を沈黙に込めているのはゆっこで、熱弁しているのは吉橋だ。

 あたしは中立。でもゆっこは友達、もっというとこの英祥院学園の日々を一緒に生き抜く戦友だ。やっぱりこっちに加勢することにした。


「吉橋先生」

「何だ? 鈴浦」

「寂しいです」

 窓の向こう、校庭に視線を投げながら言う。

 校庭には日が落ちる前の光が黄色く満ちていて、昔の写真みたい。

 誰もいないあの場所で、あたしは2ヶ月前まで砲丸を投げていた。

 砲丸はたくさんの、野球部やテニス部やサッカー部その他の部員たちのかけ声を、

吸い込むようにして飛んでいったものだ。

 あたしの身長は175cmで他の子より背が高いから、その分青空も近くて、ちゃんと砲丸の行方を見届けることができる。背の高さ的に横並びの集団から出た杭的に申し訳ありません、ついでに横幅も上腕三頭筋とか三頭筋でメロンの物真似ができてしまってごめんなさい。

 男子の筋肉は賞賛されるのに女子は単純な威圧感につながるその理不尽。

 まあ、そんなうっとうしい複雑から解放されるあの瞬間が、あたしはとても好きだった。


 吉橋から、うっ、と声がもれた。

 あたしは勝ったと思った。そう。勝つのは簡単。

 だって、あたしは吉橋の裏アカウントを知っている。教えてくれたのはゆっこだった。


『今夜こそ俺は君に告白する。バーは貸し切りにしたし、百万円分の薔薇を運び込む許可ももらった。本当は100万本の薔薇がいいんだけど、それは無理だから。

ギリギリの妥協を許してほしい。付き合ったら、俺の辞書から消すから。妥協なんて言葉は』

思いつめた顔で、ゆっこがスマホの画面を見せてきた時、あたしは一言、「すごいね」とあきれた。


「だよね。100万円分の薔薇って。本当に仰天動地だわ」

 凄いのはそこじゃない、あんたが学年主任の裏アカウント突き止めるその根性だよ、それに驚天動地だよ、と言いたかったが、こらえた。


 ゆっこがぽろぽろと、涙を丸い頬に流していたからだ。鼻水だってのぞいていた。

 あの時必要だったのはハンカチで、だから渡したのだけど、それは間違ってなかったと思う。

 というよりも、学園、まあ運動部に限るけど、で一番正しいのはあたしだったのだ。

 むしろほぼ全員が間違っていた。吉橋が告白を決意した日、学年副主任の花坂先生が心中未遂事件を起こした。相手はサッカー部の主将。

 南総の崖で寄り添い抱き合いながら荒波に飛び降りて、漁船に救助された。主将は腰椎骨折。

 花坂先生は意識不明の重体。

 事件は全国紙を飾り、もちろん内容は在校生に衝撃を与えないように色々と省略された。

 けどそういうのは水が漏れるみたいに生徒たちの口を伝って、そういえばあーだね、こーだったね、と尾ひれはひれがついて、結局マスコミの取材に誰かが応えて、結局騒ぎが加速する。

 そんな惨状が小休止したと思ったら、何故か連鎖的に不祥事が次々に発覚。

 世間の圧力におびえた理事会が、最悪な決定をした。全運動部を休部とする。期間は5年間。


 あたしもゆっこもスポーツ特待生だった。あたしが砲丸投げで、ゆっこがレスリング。

 ゆっこもあたしと同じで筋肉系だけど、小柄だし小顔だし丸顔の童顔だ。童顔なのは鼻がちょっと丸くて低いから。でも目が大きい。何かを問うような、雰囲気のある目。ファッジとかのファッション雑誌をめくっていた時、ストックホルムのカラフルな街を歩く外人のモデルさんを見て、ゆっことそっくりだと思った。ボーイッシュな子だけど国体とかに出たら話題になるのだろうか。

 でもゆっこにそんな野心はないし、そもそも特待生になったのはあたしと同じで学費がただで家が近いってだけだから、他の特待生の子たちとは違ったんだなあ。

 有名になりたいとか、企業とのスポンサー契約を夢見てた特待生の子たちは沢山いた。

 そしてそんな子たちは結局皆、推薦状を片手に、この学校から離れてしまった。

 もちろんあの子たちにはあの子たちの深刻な葛藤があって、それは、結局離れてしまったとか、そんな省略のされかたはしてはいけないのかもしれない。

 でもそれはあの子たちの話であり、物語なのだろうと思う。


『薔薇は、君への想いは海に捨てた。今はひたすら君の回復を願っている。目を覚ました君が悲しまないように、運動部の奴らの勉強は俺が見るから』


 休部が決まった日に、ゆっこから見せられた画像。

 薔薇に覆われた波の起伏を見た時、あたしは流石に吹き出した。面白過ぎる。本当に百万円分買ったとか。海に捨てるとか。不法投棄だろう。

 お腹を抱えて笑い転げるあたしの肩に、指が強く食い込んだ。痛いと思って顔を上げると、ゆっこが鬼の形相をしていた。

「笑うな」

「ごめん」


『運動部員は2人しか残ってないけど、根性あるんだ。呑み込みは悪いけど、前進してる』


「でもさ。吉橋も悪いよね。応用問題出すなら出すって言えばいいのにさ。で、自分は言いたいことだけ言って、こっちの気もしらないでさ。しかも、あんな事言う? 普通」

「お前らどうせ帰りに買い食いするんだろ、買うなら鯖缶買えよ、知性は良質なDHAからできるんだからな、でしょ。栄養フェチなんでしょ。いい奴だと思うよ。

ゆっこは思わないの?」

「あたしは……熱心な奴だと思う。ちゃんと色々考えてくれるし。でも、うっとうしいのが脛に傷だよね」

「それを言うなら玉にキズ」


 帰り道、あたしたちは買い食いのためにコンビニに寄った。

 吉橋の予言通りだ。あたしはチョコを買い、レジの列に並ぼうとして、

 ゆっこを振り返ると、鯖缶の前で仁王立ちしていた。

「買わないの?」

「なんか、ムカつくから」

「ゆっこ」

「何?」

「あんた、本当に……」

 あたしは言葉に迷った末、

「吉橋のこと、嫌いだよね」

と続けた。

本当は好きだよね、と言いたかった。が、ゆっこは戦友である。戦友には気遣いが必須なのだ。

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