21粒目『abbacy:大修道院長の地位、職』魔神を狩る者たち②
『abbacy』
―大修道院長の地位、職。
父なる神のabbaにcyがついて、寮母の男性版、寮父にでもなったのだろうか。大修道院長はとりあえず父なる神の代理的に偉い人らしい。―
まだ鶏は鳴かない。朝陽はだいぶ先だが、修道士である私には目覚めの時である。
時刻は午前3時30分。むくりと起き上がり、あくびをこらえる口が鼻の下の髭をのみこみ、そのまま祈りの姿勢を取る。
まずは主に感謝をささげる。今日は新月だから室内は暗黒だ。
が、光がないからこそ精神は澄んでいく。
それから燭台に火をともし、橙の揺らめきの中で、聖書を開き主の言葉に没頭。
これが10年と3か月の間変わることない、私の朝である。
ヨハネの福音書第1章5節。
「 光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった」
「そんなことはないよ」
声に振り返ると悪魔が立っていた。
私は目を見開いた。意識が混濁していく一方で、限りなく明晰になっていく。
未開の民が薬物に頼り邪教の神を降ろすというが、邪神を降ろされた者はこのような感覚なのだろうか。
視覚が床や暗い天井の細かな凹凸、室内の四隅を覆うあらゆる構造を認識する。
私の視界の中央では悪魔が笑っている。
山羊の角を生やし大修道院長よりも豊かな髭をたくわえ吊り上がった目をらんらんと輝かせて野獣のように牙を剥いて笑うその右手に握るのはステッキで爪が厚く長く伸びていて左手があてる胸は仕立ての上等な黒と金と緋色のチョッキで黒を白にしたら大修道院長の祈りの時間の正装にそっくりの刺繍で私は思わず、
「助けて下さい。大修道院長」
と口走ってしまった。
そして精神は闇に引きずりこまれた。
共に祈りの日々を送ってきた仲間たちの首の脈に牙をあて嚙みちぎりながら、私は何故引きずり込まれたのか。
何故堕ちたのか。悪魔の闇に染まった精神の中で思考し続けたが、結論は出ないままに、快楽に似た煩悶の中で大修道院長にたどり着いた時に、私は真理を得た。
救いを求めるべきは神であり、主であり、御子であり聖霊である。
救いを大修道院長という職を与えられただけのヒトに求めた時点で、主は、祈りは私から離れてしまった。
その真理は私を煩悶から解放し、しかし煩悶は私の最後の知性であったため、黒い血液が全身に脈打ち、結果私は完全なる異形と化し、大修道院長の前でのけぞって腕を開きずいぶんと近くなった暗い天井に牙を向けて咆哮した。
後方から悪魔の笑う声が響き、私もとても愉快になり、祈りを唱え続ける大修道院長の小さく白い頭部に向けて、厚く太く黒い爪を振り下ろした。