20粒目『abba(父なる神。東方教会の大主教)』魔神を狩る者たち①
『abba』
―父なる神。東方教会の大主教。
語源はアラム語の父。―
そこまで覚悟を決めて臨んだ仕事ではなかった。
軽い気持ちでもない。盗賊という職業は緊張感を常に要求する。
ただ、似たり寄ったりの獲物ばかりを狙うと、どうしても慣れというものが生じるし、そして思いもよらないことが起きて、足元をすくわれる。
王国からしたら盗賊というのはれっきとしたならず者であり、つまりすくわれた足元を待つのは地獄の穴だ。
この稼業についてから20年。そんな輩をずいぶんと見てきた。人買いから俺を救ってくれた親方も、
「だからあんな風になっちゃいけねえ」
と目のふちを赤くして、怒りをこらえるみたいな声で言ってくれたが、結局慣れた先にばかり仕事をしていたものだから、騎士たちに脛の裏を切られて、捕まって、引っ立てられて処刑された。
逆さづりの刑。あれからずいぶんと経ったが、今でも夢にみる。
人だかりの中で刑を受ける親方。
親方の口から洩れた泡。これが少しだけ赤く染まっていたんだが、逆さの髭に伝って、頬に伸びて、白くうつろに剥かれた目に入った。
俺は拭いてやりたかった。悲しいというよりも、そんな恥ずかしい姿は親方らしくなかったからだ。
でも俺は子供だったし、しかも臆病で色々分かりすぎていたから、できなかった。
代わりに人込みから、ずいと進んだのは坊さんだった。
「拭いて差し上げたいのですが」
白地に金の刺繍が血管みたいに沢山入った、ぶかぶかとした服を着た坊さんは、聖典でも朗読するみたいな調子で言った。
処刑人たちは顔を見合わせて、しぶしぶと許可した。
後から知ったが、坊さんってのは誰でもそんな成金な服は着ない。着てもうろついたりはしない。
よほど偉い坊さんじゃなきゃ、そんな酔狂はできない。処刑中の盗賊のよだれを拭いてやるとかも酔狂の一種だ。しかも父なる神の御名においてやすらぎを、とか唱えるもんだから、かなりのもんだ。
誰でもできる、というか許されていいことじゃねえ。
けれどそれが許された。本当に、あの時の坊さんは、かなり高い坊さんだったってことだ。いわゆる大主教クラスだな。
で、そんな恩義もあって、教会相手に仕事をするのを避けていた俺だったが、気が変わった。
たまたま忍び込んだ貴族の家で、旦那の遠征をいいことに、若い坊主と奥さんがよろしくやってたのを見ちまったからだ。俺は旦那が可哀そうになったから、何もとらずに館を出てきた。
で、どうせなら豪勢なつくりの教会で仕事でもするかと、何日も旅をして、でっけえ教会のある街に移動して、下見ついでに忍んだ晩、基本的に盗賊稼業ってのは下見が8割だから俺は気合が入っていた、悪魔を見たんだ。坊さんたちの豪華な宿舎で。俺は悪魔なんか見るのは初めてだったから、やたらとのどが渇いた。
が、立派な教会だったからかな。感謝の心があふれたぜ。だって、のどが渇いていなかったら、絶対に小便を漏らしていたからな。