2 粒目『aardwolf(アードウルフ)』青年アードウルフ
『aardwolf』
―アードウルフ。ハイエナ科だが小柄で歯が小さく噛む力も弱いため、狩りはできない。
語源は大地の狼。―
大地留生は決意した。
今日こそ御浜さんに秘密を告白する。
「やだな……」
つぶやきながら留生は朝日に涙ぐみ、カレンダーの日付を呪った。
7/18の印字に小さく描かれたハートマーク。色は赤。クレヨンは御浜さんと2人で買ったものだ。
御浜さんとのデートが決まるたびに、留生はハートを記入する。
ハートは現在まで18個。お互い仕事があるから、主にハートは土日や休日に集中している。今日だって海の日だ。
「来週だったら……」
決意は揺らいだのかもしれないのに。つぶらな瞳で日付をにらんでから、留生は下唇を噛んだ。
とても強く噛んだが、生まれつき歯が小さく柔らかいので、血すらにじまない。
留生はため息をついて、シャワー室に向かった。秘密を打ち明けたら……今日が御浜さんとの最後の日になるかもしれない。だからこそ、体のすみずみまで念入りに清潔にしよう。
「海の日に高原ってのも良いわよね」
ウッドテラスにすえられたテーブルも。表面に組まれた様々な色のモザイクも。年季を刻むキズたちも……。
すべては御浜さんのたおやかな腕の白さを、柔らかさを示すための装置なんだと、留生はデートのたびに確信する。色とりどりの花たちも。群生が作る帯も。ハワイのアイスクリームみたいな帯の重なりも。その向こうのブナ林の緑の輝きも。弓型に限りなく広がる、空の青も、御浜さんがテーブルの上で組んだ2つの腕の美しさにはかなわない。
「あの、ですね」
「うん?」
「実は黙ってたことがあるんです」
「何?」
御浜さんは視線を花畑からずらさない。物憂げな瞳をふちどるまつ毛が長い。
「連絡取れない夜、あったでしょう。月に1回ずつ」
「やっぱり浮気してたの?」
御浜さんの横顔は動かない。ただ小さくつるりとしたあごの先、そして声が震えるのみ。
そんな御浜さんの組まれた手、その右にてのひらを重ねて、留生は首を横に振った。
「ちがいます。僕は……」
言葉が喉の奥から出てこない。あれほど決意したのに、と留生は自身を呪う。
それでも、今日が告白の日なのだ。
「僕は、アードウルフ男なんです」
「何それ?」
御浜さんが留生を見た。亜麻色の前髪が揺れた。横髪もふわりと浮いた。
ぱちくりとした大きな瞳に、留生は恥じらいを覚え、視線も下がる。
「新月の夜、僕はアードウルフに変わってしまうんです。性格も僕じゃなくなってしまって、だからラインも返事ができなくて……」
「あのね」
「はい」
「だから、アードウルフって何? 狼?」
「ええと……」
留生はスマホをジャケットのポケットから取り出し、画面を呼び出して、おそるおそるテーブルの上に置いた。
「これです。ウルフっていうけど狼ではありません。体長は犬や狐とそんな変わりません。元々はアフリカのサバンナの生き物で……」
「可愛い」
「え」
「何これすごい可愛い。ペットにしたい。留生君これになるの? 可愛い。確かに目もつぶらだし、ちょっと狸っぽいし全然狼っぽくないし、不思議だし、信じられないけど留生君が言うなら……」
留生は動揺した。御浜さんの言葉が聞き取れないほどに、ひどく動揺した。
画像にはしゃぐ御浜さんは、アードウルフ男である留生を受け入れてくれた。この事実は僥倖。ただ……。
屈辱。
強烈な恥辱。
― 狸っぽい、だと? ―
変身の呪いを不気味がられる。または精神に異常をきたした人間としてひかれる。積み上げてきた絆も愛情も潮が退くように冷めてしまう。あらゆる想定が、留生のしていたものとは違う。
が、狸っぽい、の感想はあってはならない。しかも可愛いなどと。
アードウルフとは呪いの姿だ。
醜悪なハイエナと忌避されても、可愛いとめでられるなど、言語道断。
さらに狸っぽい。狸っぽい。狸……。
「……るな」
「え?」
「舐めるな」
「え? どうしたの? 留生君」
「アードウルフを舐めるな。あまりアードウルフを舐めると……舐めるぞ!!!!!」
留生は低くうなるように咆哮した。
アードウルフは歯が小さく噛む力も弱いため、狩りができない。
食事も舌で舐め取る。それがアードウルフであり、呪いでもある。
※このお話は『aardvark』とは関係がありません。