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15粒目『abashment(赤面。当惑)』紅姫

『abashment』


―赤面。当惑。


abashに名詞化のmentがついたもの。赤面するのは心臓が送り出す血液で顔の毛細血管が充血しているから。心臓がドキドキし過ぎて赤面させられる、みたいな感じらしい。―


 藍国の王女、紅姫が婚礼に(のぞ)んだのは耀国歴の905年の春の日である。

 空が高く南の風に細く濃く長い雲がたなびいていたこの日の朝、紅姫のまぶたと頬はぷっくりと腫れていたのだが、これは前夜まで泣きあかしていたためである。

 号泣の理由。

 それは愛国が耀国に併合、つまり消滅したからではない。

 藍国の王たる父が死を回避するために、紅姫を耀国に差し出したからでもない。

 耀国がこれを受け入れて、それでも皇子の妃とはせずに、戦争の原因となった、両国の中間にある島、笹島の領主の長男を婚姻の先とあてがったことでもない。

 笹島は峻険なる岩山が八割の地味に乏しい島であり、民生はわずかな畑と漁から成り立つ。絢爛たる文化を誇った藍国の王女が貧しい島の領主に嫁ぐ。この屈辱も、政治という複雑な力学の結果としてなら、紅姫は受け入れることができた。

 ただ……。


 紅姫は金細工の手鏡を恨めし気ににらむ。母譲りがまつ毛の長さだけという、その顔。

 鼻は低く顔は卑しい民が使うたらいのように丸く、額は深海の魚のようにせり出している。

 手鏡の中の醜女は、険しく小さな瞳を憎悪にきらめかせている。


「美しければ……」


 婚姻の先も違ったのだろうか。耀国の王子にむかえられたのだろうか。

 しかしこの顔面は、特徴はすべて父から継いだものだ。

 紅姫は上唇を噛み、庭に向かう。


 円形の庭には花たちがあざやかに咲き乱れている。

 その色彩が、美が紅姫は憎い。花を摘んでは手のひらの中で握るを繰り返す。鼻から水も流れる。涙も。


 美が憎い。何よりも憎いのは、領主の息子が醜い男ということだ。宮女たちの噂だが、背骨はよじれており、丈も低く、眼は片方がつぶれて、髪は禿げ上がっているらしい。

 そんな男に嫁がねばならない。その屈辱。

 紅姫は、この三日間、かしづく宮女を見てはその脳天に手刀をおろした。

 そして陽の下では花をむしり、月が出てからは星にうめいた。


 そうして迎えた婚礼の朝。紅姫は最後のうっぷん晴らしに庭に向かう。

 と、先に人がいた。


 すらりとして、風のない草原にある美しい木のように、静かに立っていた。

 紅姫は立ち止まり、けげんに声を出す。


「誰じゃ? わらわの庭に立ち入るとは」

「紅姫様でいらっしゃいますか?」

 肩越しに振り返り、すたすたと歩いてくる、その男性に紅姫の心臓は震えた。

 物憂げな瞳にかかる栗色の髪を、朝日が祝福している。


 男性は優雅に、そして迷うことなく紅姫のもとまでたどり着き、その片膝をついた。


「笹島領主、伊緒でございます。良い朝でしたので、失礼ながら、早めにお迎えに参りました」

 紅姫は当惑し、そして赤面した。

 どこが醜いのか。栗色の髪の分け目でさえ、美の極致ではないか。

 紅姫はその僥倖に混乱し、無言で腕を振り上げた。

 そのまま、領主の脳天に手刀を力なく振り下ろした。

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