11粒目『abandoument(遺棄。放棄。断念。激情などに身をゆだねること。自暴自棄。気まま)』リンゴが地面に落ちたから
『abandoument』
―遺棄。放棄。断念。激情などに身をゆだねること。自暴自棄。気まま。
abandonの名詞形。ダイエット明けのホテルビュッフェや焼き肉食べ放題でこの言葉を思い出すと、目が遠くなるかもしれない。―
結局あの子は4人で棄てにいくことになった。
私、夫の敏正、息子の誠一郎と恋人の網村由子。
せっかくだからできるだけ遠くに、ということで、トルコ共和国の黒海の湖畔、いや海だから海ぞいか、に事前に空輸して、現地で落ち合わせるという段取りに帰着した。
帰着の直後、敏正は貿易会社を経営していて良かったといい、私はそんな敏正の鼻に拳を叩き込んだ。
……そこまでの喧々諤々(けんけんがくがく)を私は覚えていない。脳が記憶を拒否した。
ただまぶたの裏には、いくつかのシーンが映画のフィルムみたいに、ばらばらにこびりついている。
泣きくずれる網村由子。首を絞め合う敏正と誠一郎。由子の脳天に振り下ろそうとして男2人がかりに止められ、夫は私の首を羽交い絞めにし息子は私の脇腹にタックルした、私の腕から横に長い放物線を描いて宙を飛んだビールジョッキ。
ジョッキにはビールがまだ入っていたし、液体には敏正の唾液が混入していたし、でも私の涙も落ちていたかもしれない、そんなビールというよりも感情が液体になったみたいなそれは築20年の我が家の居間の壁にぶちまけられて、奇妙な模様を作った。
私の心のような模様だった。または私たち4人の関係。
網村由子は誠一郎の大学の同級生で恋人だが、世間的によろしくないアルバイトをしていた。
そして私の夫である敏正は由子の顧客で、顧客であった期間は説教しかしていなかったが、風がない日に住宅街に生えていたリンゴの樹から実が地面に落ちたという理由で……。
何それ? リンゴが地面に落ちたから何だっての? そんなので理性忘れていいわけ?
「言い訳に聴こえるかもしれないけど、事実なんだ」
「事実なんです」
私の前でしおれる未来など想像もせずに、重力に身をゆだねるリンゴに触発されて、敏正と由子は恋に身を委ねてしまった。
そして神様が2人の『子どもが欲しいです願い』を受理してしまい、結果、由子にあの子が宿った。
青天のへきれきは誠一郎である。2人はクリスマスも恥じ入るほどの聖なる関係だった。身のおぼえがない。で、あろうことか由子は息子を神社の裏に呼び出し、というか神社の裏がデートコースだったが、妊娠と父親を息子に教えてしまった。
臨月が近くても胴回りが私よりもささやかな由子の腹に、誠一郎は握った拳を叩き込んだ。由子は破水。あわてた誠一郎は私に電話。私は居間にいて、敏正のジョッキにビールを注いでいた。
そうして色々あった末に、私たち4人は成田空港に向かっている。破水の後に出てきた未熟な子どもを、その生存を断念したのは、もとい土をかぶせて窒息させたのは私だったし、止めなかった3人も共犯である。
私たち4人の関係はぐちゃぐちゃだけど、罪悪という意味では同じだ。テルエブアビブで空港乱射事件をたくらんだ過激派たちにも負けないくらい、私達は同じ意志を抱えている。